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空港にて

 空港での手続きは、すべて彼女たちがしてくれた。もちろん航空料金の請求もなし。

 大きな胸。きゅっとくびれたウエスト。体の線を強調させる大胆なデザインのスーツ。美女二人に挟まれて歩く僕の体のあちこちに、多くの視線が突き刺さった。

 痛くもかゆくもなかったが、眠い上に気恥ずかしさまでが加わった僕の姿勢は、当然のことのように、前屈みになっていった。

「何か軽いお食事でも」

 空港レストランの横に差しかかったとき、青いスーツが言った。でも、僕はとっさにウソをついた。

「出てくる前に、食べてきたばかりなんです。何もはいりません」

 昨夜、僕は一睡もしていない。今何か腹の中に入れると、機内に乗り込む前に、いや、その場で眠ってしまいそうだったからだ。

 頭の芯が痺れるような眠さをこらえ、やっとの思いで待合室までたどり着いた。

「ありがとうございました。僕のために、わざわざこんなところまで」

 お辞儀をして礼を言うと、それまで笑みを絶やさなかった二人の表情が、急にこわばったように見えた。

 気づかないうちに、何か迷惑をかけたんじゃないだろうか。それとも、これからチップのようなものを要求されるのだろうか。そんなことが頭の隅を過ぎったが、どちらも僕の深読みだった。

 二人は互いに顔を見合わせたあと、爽やかな笑顔を僕に向けた。

「ここで私たちの役目は終わりますが、もう少し時間がごさいます。何か御用がございましたら、ご遠慮なくおっしゃってください」

 二人を代表して、というような感じで、赤いスーツが言った。

 そこでやっと気づいた。

 今の笑顔は、もうすぐ仕事が終わるという安堵の表情。二人は、僕という人間に個人的な興味を持っているわけではない。これは単なる仕事。たぶん、会社に戻った二人は、今日のことを、上司に報告しなければならないはず。そのとき、彼女らは、どういうふうに言うのだろう。


「どのようなサービスを提供したのかね」と上司が訊ねる。

「車内でCDをかけました」

「それから?」

 二人は目を伏せて、小さな声で答える。「それだけです」

 少し不満そうな表情を浮かべた上司は、二つ目の質問をする。「食事の内容は?」

 二人はしばらく顔を見合わせる。そして青シャツがつぶやくように言う。「何もいらない、とおっしゃったものですから……」

 上司はため息をつく。「つまり、飲み物だけだったと言うんだね」

「いえ」二人は力なく首を振る。「それも、いらないとおっしゃいました」

「いらないと言われたから、そのまま引き下がった」上司は信じられないというような表情で天井を睨んだあと、手のひらで机を叩く。そして恐怖に顔を歪める二人に言う。

「ほとんどのお客様は、最初は断る。でもそれは、日本人の美学の一つ、遠慮というものなんだ。そんなお客様の心を解きほぐして差し上げるのが、君たちの仕事だろうが。なのに、君たちは、もう……」上司は再び天井を見上げて、ため息まじりに言う。「依頼主様に、何と言ってお詫びすればいいんだ」

 

 目の前の二人が、気の毒に思えてきた。その上罪の意識まで芽生えてきた。

 二人は自分の勤めを全うしようとして、いろいろ働きかけてくれたのだ。 僕としても、悪気があって彼女たちの提案を断ったわけではない。なんとかしてあげよう。

 僕は笑顔を作った。

「たとえば、ジュースを飲みたいとか、スポーツ新聞が読みたいとか、そんなことでもいいんですか?」

「はい、どんなことでもかまいません」

 二人の目が、輝いた。やはり彼女らには、ノルマのようなものが課せられているようだ。でもここで、だったら、手土産を一つ二つ買ってきてください。なんてことは言いたくない。

 しばらく考えているうちに、ちょっとしたセリフが浮かんできた。実際は、そうではなかったが、それを口にすることにした。

「車の中で熟睡できたのは、あなた方の選曲が良かったからです。おかげでぐっすり眠れました。頭の中はすっきりしています。あれ以上のサービスはないと思います。押しつけの親切ではなく、何もしないようにみえるサービスこそ、本当のサービスだと思います」

 僕の言葉を、頭の中のメモ帳に書き込むような表情で聞いていた二人は、声を合わせて同じセリフを言った。

「ためになるお話を聞かせて頂きまして、ありがとうございました」

 美女二人。最高級の乗用車。所要時間は一時間ちょっと。

 飛行機と高速料金は抜きにして、Pの会社は、どれだけのお金を旅行会社に支払うのだろう。たぶん僕はこれからも、飛行機に乗る。でも、今日のような持てなしを受けることは二度とない。ありがとうを言わなければならないのは、こっちだ。

「僕のほうこそ、とてもいい経験をさせてもらいました。できるものなら、あなた方と一緒に羽田まで行きたい気分です」

 僕のリップサービスに、二人がにっこり笑ったとき、羽田行きの搭乗アナウンスが流れた。

「窓側の席を取ることができませんでした。申し訳ありません」

 赤いスーツが、あわてたような声で言った。

 でも僕は眠るだけ。座席なんてどこでもいい。今日の僕だったら、機体に寄りかかったままでも、熟睡できる。

「また会えることを祈っています」

 声を合わせて手を振る二人に見送られ、ゲートをくぐって、数歩歩いたところで、客室乗務員が声をかけてきた。

「ご案内致します。こちらへどうぞ」

 驚いたことに、彼女が連れて行ったのは、普通席ではなかった。

 これがファーストクラスなんだ、と思ったが、後で調べてみると、クラスJと呼ばれている座席だった。

 金のことなんか気にしないで、手足を伸ばして、空の旅をぞんぶんに楽しめ。

 どこからか、Pの声が聞こえてきたような気がした。

 席に着いてしばらくすると、別の客室乗務員がやってきた。

「お飲み物か、週刊誌をお持ちしましょうか」

 いえ、けっこうです。

 と言おうとしたが、少し腰を屈めた姿勢で僕を見ていた彼女は、 旅行社の二人に負けず劣らずの美女だった。

「ちょっと、待ってくださいね」

 コーラと、ジンジャーエールが頭に浮かんだが、それよりも、今の僕にぴったりのものがある。

「できれば、アイマスクをお願いしたいんですけど」

「かしこまりました」彼女は僕が頼んだものを、すぐに持ってきてくれた。そして笑みを浮かべて言った。「他に御用がございましたら、ご遠慮なくお申し付けください」

 二時間足らずのうちに、三人の美女から同じような言葉をかけてもらった。いずれも仕事の一環としての言葉だとわかっていたが、悪い気はしなかった。たぶん頼まなくても、そうしてくれると思ったが、頭に浮かんだことを口にした。

「向こうに着いたら、起こして下さい」


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