エロティックと神秘の融合
レッスン終了を告げるチャイムが鳴り、タレントのたまごの生徒たちが部屋の中央付近に集合した。
「ありがとうございました」
一人が音頭を取ると、他の生徒たちもそれにならい、声を合わせてインストラクターに一礼した。
その様子を興味深そうな目で眺めていたPが、僕の肩をちょこんと突いた。
「お前も、ちょっと来い」
それだけ言うと、足早に駆けだした。
レッスン室は、三方鏡張り。
自分の髪型をチャックしていたインストラクターが、鏡に映った僕たちに気づいたらしく、びっくりした顔で、振り向いた。
「お願いがあるんです」
二メートルほど手前で立ち止まったPは、はっきりした声でそう言うと、深々とお辞儀をした。
わけが分からないまま、後をついていった僕は、つんのめりそうになるのを堪えながら、口の中で「こんにちは」と言って、Pの斜め後で黙礼した。
睨みつけるような目で、僕たちを交互に見ていたインストラクターの表情が、しばらくすると和らいだ。
「びっくりするじゃないの、あなたたち」
あなたたちと、複数形で言ったが、視線の先にあったのは、P一人だけ。
どうやら、僕たちは無意識のうちに相手を驚かせてしまったらしい。でも、それはお互い様だった。
男性インストラクターの声が、完全に裏返って、いわゆるニューハーフ系の声になっていたからだ。
たぶん歳は五十前後。金色に染めた髪のところどころに、白髪が見える。色白だが、肌はたるんでいる。
「お願いって、なあに?」
こんどは、体をくねらせるようにして、言った。
昨今のバラエティ番組で、こんな感じの男の人をよく見かける。一言二言、言葉を発するだけで、その場を盛り上げ、場の空気を一変させる話術に長けた人が多い。
テレビで見慣れているおかげで、インストラクターの、突然の変貌ぶりに衝撃は受けなかったが『本物』を間近で見るのは初めてだった。そのせいなのかもしれない。反射的に、のど仏に目がいった。
くの字型に飛び出たりっぱな形。これぞ、男ののど仏、といった感じ。
レッスン中のよく通る太い声と、きびきびした動作は、どこにいったんですか。思わず、突っ込みたくなったが、もちろん口には出さない。
「実はですね」Pは、両手を体にぴたりと付け、腰を少し折った恰好で言った。「先生のお力をお借りしたいのです」
インストラクターは、それには答えず、Pの足元に視線を落とした。そして、その視線をゆっくりと動かして、頭のてっぺんまでもっていった。
「あたしに、できることなのかしら?」
生唾でも飲み込んだのか、彼の、のど仏が上下に大きく動いた。
「生徒さんたちを、三分間だけお借りできませんでしょうか」
「なあんだ、そんなことなの」
がっかりしたような声で言ったインストラクターの視線が、Pの右手に移った。その手にあったのは、ハンディカム。
「どう、しようかしらね」
焦らすような声で、ビデオカメラを眺めていたインストラクターが、何かを思い出したように、視線を上げた。
「ねえ」彼はゆっくりと両手を組んだ。「あなたの名前を、教えてもらえるかしら?」
「僕の名前ですか?」
Pは困ったような、照れたような表情を浮かべながら、自分の苗字だけを言った。
「こんなときは、フルネームで答えるのが礼儀なんじゃないかしら」
インストラクターが笑顔で言うと、Pは、渋々という感じで、それに従った。
パン、パン。
突然、インストラクターが両手を打ち鳴らした。
鼓膜が破けるかと思うような大きな音。レッスン室が一瞬で静まった。
床に腰を下ろし、タオルで汗を拭いている者。天井を向いて、水分補給のペットボトルを口にくわえている者。今習ったばかりのステップの復習をしている者。
その全員が、そのままの恰好で固まったように見えた。
代表らしい生徒の一人が、我に返ったように、すっくと立ち上がって、叫ぶように言った。
「集合!」
しかし、インストラクターは、それを手で制すると、しばらく間を取ってから、おもむろに口を開いた。
「あなたたち、この人の顔をよく覚えておくのよ」
それから彼は、僕でも知っている有名な写真家の名前を数人上げた後で、体をPに向けた。
「この人も、その方達と、肩を並べるようになるかもしれないわよ」
息をひそめるようにして、話を聞いていた生徒たちの間に、ざわめきのようなものが起きた。
その日の帰り道にPが白状したのだが、Pは中学生の頃から、写真やビデオコンクールにおいて、上位入賞を繰り返していたらしい。
Pを有名にしたのは、彼が中三のとき出品した作品。浜辺に打ち上げられた流木を、裸婦に見立てた写真三枚。
タイトルは『エロティックと神秘の融合』
シンプルで大胆な構図の組み写真は、撮影者が未成年だという理由から、大賞は逃した。しかし、一部の審査員が、芸術に年齢は関係ないと言って、審査委員を辞任したことが、一部のマスコミに取り上げられ、週刊誌の片隅にPの顔写真とともに載った。
そのおかげで、Pの名前は様々な業界に知れ渡った。
高校二年の夏休みに、結構有名な女性歌手から、もう一花咲かせたいから、ぜひ、この私を撮って、と懇願されたこともあったらしい。
たぶんインストラクターは、Pの顔に、見覚えがあることに気づいたのだろう。彼はさらにつづけた。
「女を撮らせたら、誰にも負けないはずよ」
それまで黙っていたPが、困ったような声で「よしてくださいよ、先生」と言うと、インストラクターは、成り行きを見守っている生徒たちを、さらに煽るようなことを口にした。
「今のあなたたちでも、この人に撮ってもらえば、すぐに有名人の仲間入り」
「きゃー」
悲鳴のような声が上がったと思ったら、Pの周りには、女の子の輪ができていた。




