街の風景にあったもの
翌朝の十時ぴったりに、携帯電話が鳴った。
僕はFMラジオのスイッチを切ってから、通話ボタンを押した。
開口一番、Pは言った。
「あのDVDの中に、会長の両親が映っていたらしい」
そうだろうと思っていた。
「真ん中あたりと、最後のシーンに出てくる二人だろ。もっと詳しく言えば、あの二人は、もうこの世の人ではない」
「よくわかったな」
Pは感心したような口調で言った。
「そりゃそうさ、キーワードが、涙とくれば、それしかない。つまり、お前んとこの会長は、鹿児島で生まれ育った」
「その通り」とPは言った。「会長の生まれ故郷を知っていたから、お前から送ってきたやつを、ずっとおすそ分けしていたんだ」Pはそこで何かを考えるように間を空けた。「最初に送ってくれた、お菓子の名前は、何だったっけ?」
僕は十年ほど前の記憶を辿りながら訊いた。「特徴は?」
「三角形の黒いやつ」
「ゲタンハ」
「あ、そうだ、そうだった。ゲタンハ。あのとき、俺は突っ込んだよな、由来は「下駄の刃」なのに。どうして三角形をしているんだって、な」当時を思い出したようにPは笑いながら続けた。「でも、分からないのは、金持ちのやることだよ。全国の特産品が、いつでも買えるこのご時世に、お前の荷物が届くたびに、今度は何? って、子供がするような恰好で中を覗きこむんだ。そして、このお礼は、私に任せなさいと言って、会長自らデパートまで出向いていくんだぜ」
これで、毎回豪華なお返しが来る謎が、解けた。
そのあと、Pは遠慮がちな声で付け加えた。
「できれば、原本をDVDに落としてもらえないだろうか」
Pが、何を言おうとしているか理解できた。でも会長の両親の姿は、すべてDVDの中に入っている。
そのことを告げると、Pは「わかった」と言って話題を変えた。
「何時に出られる?」
何日間の休みを取れたか、確認しようともしないのは、いかにも彼らしくて、嬉しい。「まさか、今すぐ出てこいというんじゃないだろうな」
わざと驚いた声で、そう言った。
「あのな」Pは待っていましたというような声で言った。「うちの社訓を知っているか?」
僕に言わせれば、サービス問題。
「時は金なり」
「ピンポーン」Pは甲高い声で言った。「俺とお前のツーカーの仲は、永遠に不滅だな」
こういうこともあるかもしれない、そう思ったからコンビニのATMで現金を引き出しておいたのだ。
礼金に糸目はつけないということだったが、大金持ちほど金にきたないと聞く。往復の旅費ぐらいは出してくれるだろうが、すべて相手任せというわけにもいかない。
それに、久しぶりの東京。ある程度の持ち金がないと、心細い。
というわけで、財布の中には、一万円札が九枚。千円札が十枚入っている。でも、なるべく使わないように、心がけなければならない。
「俺を引き留める相手なんていないから、今すぐにでも出かけられるよ」
と言うと、すぐに嬉しそうな声が返ってきた。
「そうだ、そうだ。そうでなくっちゃ。じゃ、二十五分後に、もう一度連絡する」
呼び出し音は一秒の狂いもなく、二十五分後に鳴った。
ワンコール目で通話ボタンを押した僕に、Pは笑いながら、「そっちの天気はどうだ」と訊いてきた。
「晴天。風無し、飛行機日和」
僕としては、P好みのセリフで返したつもりだったが、彼はそれを無視したように言った。
「お前のアパートを出た左手に、自販機があるだろう」
どこで調べたのかわからないが、彼の言うとおりだ。
「その横で、若い女の子が、お前を待っている」
若い、という部分に妙な力がこもっていた。
同じようなパターンで、担がれたことを思い出した。
お前に一目惚れした、若い女の子、がいるんだ。で、どうしても会いたいと言うから、待たせてある。断るのは自由。一度だけでいい、会ってみてくれ。
あのときの女の子は、寮近くの劇団に所属していた最年長役者。しかも男だった
「今日も真っ赤な口紅をつけたオカマが、ミニスカート姿で、にたにた笑って待ち構えているんじゃないだろうな」
「本当は、そうしたかったんだけどな」Pは、くっくっくっと笑った。「今回は、役者を用意する時間がなかったんだ」それから真面目な口調になってつづけた。「東京までは、すべて俺がプロデュースする。大船に乗ったつもりでいろ」
思わず頬が緩んだ。
Pと一緒にいたあの頃は、なぜか世の中の全てが輝いて見えた。あれから十年。もしかすると、今回の東京行きで、あの頃の情熱が戻ってくるかもしれない。
「じゃあ、よろしく頼む」と言った後で、質問があったことを思い出した。「会長に会うんだったら、服装を考えなきゃいけないと思うんだ」
でも、適当な服を持っていないんだ、と続けようとする前に、Pが言った。
「うちの会長は、姿形で人を判断しない」
そしてその直後「傘か、レインコートを持っているか」という意味不明の言葉を残して、電話はぷつんと切れた。