P
ここで改めて、僕の親友Pを紹介する。
Pとは、東京の専門学校で一緒に学んだ仲だ。部門は映像。
なぜか僕たちは、出会ったときから気が合った。
しかし、僕と違って、彼の映像に関するセンスはすばらしかった。道端の何でもない景色が彼の手にかかると、幻想的な映像にも、前衛的な映像にも化けた。
二年という限られた期間の中、いろんなコンクールで何度も優勝した。世の中の映像コンクールは、彼のためにあるんじゃないかと思ったほどだ。
近い将来、何らかの形で、Pが映像業界に鮮烈デビューする。
僕はもちろん、他の生徒や学校関係者も確信していた。
「君をトップに据えた映像部門を立ち上げたい。ぜひ我が社に」Pの実力に敬服した大手の広告代理店の偉い人が、直々誘いに来たこともある。
だが彼は、卒業とともに、まったく畑違いの業界に飛び込んでいった。
Pとは、今でも電話でのやりとりをしている。
でも喋るのは、ほとんど彼。僕は聞き役。彼は僕が今どんな生活を送っているのか、ほとんど知らないはずだ。
Pは、東京生まれの東京育ち。
実家は人も羨む豪邸。なのに、高い家賃を払ってマンション暮らし。Pは今どき珍しい会社人間。ほとんど会社に泊まり込んでいるらしい。だから宅配便の送り状には、いつも彼の勤務先の住所を書くようにしている。
彼はとても自由な発想の持ち主でもある。思ったことをそのまま口にするせいか、人に誤解を与えることも多い。
でも、僕にいわせれば、彼ほど律儀で礼儀正しい男はいない。
僕からの贈り物に対する感謝の電話は、発送から三日後の夕方。そしてその二日後に『これ、もらい物で申し訳ないんだけど』というメモが入った豪華な届けものが宅急便で届く。このパターンは、ここ十年変わらない。
しかし、今回の電話が来たのは、荷物の発送から二日後。
それも、真夜中にだ。
Pからの電話を知らす着信音が鳴ったとき、間違えて僕の番号を押したのだろうと思った。
「ごめんな、こんな時間に」
Pは最初にそのことを謝った。そして、低い声で「荷物が届いたよ、ありがとう」と言った。
僕はベッドから身を起こして、スタンドの灯をつけた。目覚ましの針は、午前一時を回っていた。
「ぜんぜん構わないよ、明日も休みだから」
寝ぼけていたせいだろう。うっかり、そう言ってしまった。すると彼は、うらやましそうな声で「いいなぁ、平日に休めて」と言った。
どうやら、僕が有給休暇を取っていると勘違いしたようだ。
となると、ここで「実を言うと、俺、無職なんだ」なんて言えるわけがない。
「まあな」
曖昧な返事をした僕は、ずり落ちそうになったタオルケットをひっぱりあげて、彼の言葉を待った。
「実は、頼みたいことがあるんだ」
Pにしては、珍しく遠慮がちな口調だった。
考えてみれば、彼からの頼みごとは、はじめてだった。
できることなら、話を聞く前に「ああ、いいよ。何でもどうぞ」と言いたいところだが、言えない事情がある。
先日送った焼酎は、簡単には手に入らない。二ヶ月後に届く僕宛の森伊蔵は、これは、地べた里庵で使って下さい。と言って返すことに決めていた。
あと一本、なんとかならないか。
Pがそう続けると思っていた。しかし、予想とは違う言葉が聞こえてきた。
「お前が送ってくれたDVDの制作会社を調べてほしいんだ」
自分の予想が外れてほっとした。と同時に、制作会社という言葉が、僕の心をくすぐった。
どうやら彼は、僕が作ったDVDを、どこかのプロダクションが制作したものと思い込んでいるようだ。とっくの昔に、映像の世界を諦めた僕だったが、嬉しさで眠気がふきとんだ。
照れるじゃないか、あんなDVDをさ、
と言おうとして、待てよ、と思った。
彼は映像に関しては、人並み外れた感性をもっている。映像がすばらしかったのなら、真っ先にそれを言うはず。十五秒のテレビコマーシャルを題材に、何時間も熱く語ったこともある。
ふと、疑問が浮かんだ。
今日の彼の声は、いつになく低い。なぜだろう。
真夜中だから?
いや、それは関係ない。これまで何度もこんな時間に話し込んだことがある。エネルギッシュな彼の声は、受話器を離していても聞こえていた。
すると、あれだろうか?
以前、彼から聞いた話を思い出した。
「うちの会社では、テレビで放映される旅番組のほとんどを録画するんだ。そして何度も何度も見直す。でも、お目当ては地方の特産品とか、名所旧跡じゃない。景色の中に、地元の不動産業者が見逃している優良物件が結構隠れているんだ。俺たちはそれを、宝の山と呼んでいる。特に地方の繁華街の場合、画面の隅々まで気を配る」
僕が撮影したのも鹿児島の繁華街。そういえば、電車線沿いに、貸しビルの看板がかかった建物が映っていた。シャッターが降りたままになっている店舗もあった。
ひょっとすると、PはあのDVDの中に宝の山を見つけたのかもしれない。声が低いのは、興奮を無理やり抑えているからだろう。
しかし残念ながら、あれは十年前の街並み。悪い知らせは早めに伝えた方がいい。
「わるいけどな」僕は意識して明るい声で言った。「あれは昔の映像なんだ」
その言葉にショックを受けたのか、反応がなかった。しばらく待ってから、僕は続けた。
「つまり、今現在、あの辺りには空きビルも貸店舗もない。九州新幹線のおかげで商店街も見違えるように活性化していている。関係ないかもしれないけど、電車は芝生の上を走っている。がっかりさせて、ごめん」
少し間が空いて、Pが言った。
「お前。何か勘違いしているぞ。その頃の映像だってことは、小学生でも分かるじゃないか。八カット目の映画のポスター、あれを見れば一発だぞ」
映像の中の宝の山は、どうやら僕の勘違いだったようだ。
でもさすがはP。何気ないカットの隅々までチェックしている。僕が選んだのは、撮影した年代がわかる映像だけだった。
「極めつきは、走っている車」Pの声は、いつもどおりになっていた。「今頃は、どの車もリサイクルされて別の製品になっているか、東南アジアを走っているよ」そこまで一気にしゃべったPは、話を本題に戻した。
「頼むから、その会社とカメラマンを探してくれ。経費はいくらかかってもいい。領収書はいらない。見つけてくれたら、お前にもたっぷり謝礼金がでる」
僕は携帯電話を持ち直してから、ひとつ咳払いをした。
「謝礼金って、聞こえたみたいだけど…」
「ああ、確かに、そう言った」Pは、はっきりとした声で答えた。
「だれが、謝礼金を出すんだ」
Pは、あたりを気にするように、声をひそめて答えた。
「会長だよ、会長。金に糸目は、付けないらしい」
彼の口から、会長、という言葉が出てきたのは、今がはじめてだった。
会長という言葉の響きの中に、僕たち一般市民とはちがう常識を持つ団体の匂いを感じた。
「会長って、お前の会社の?」
念のために訊いてみた。
「ああ、そうだよ。うちの会長、鼻が利くことで、この業界では名前が通っているんだ」
だとすると、僕の直感は当たっていたわけだ。会長は、Pが見逃した映像の中に眠っている宝の山を発見したのだ。
「つまり、あの映像のどこかに、金儲けに繋がる何かが映っていたということ?」
「たぶん、そうだと思う」そこでPは、さらに小さな声で言った。「でもわからないのは、会長の涙なんだ。うちの会長は、百億円以上の物件を見つけても、表情一つ変えない人なんだけどな」
涙?
興味は、謝礼金から、別のものに移った。僕は頭の中に刻み込まれている三分間の映像を高速再生させた。
あの中に、涙に繋がる映像があったっけ?
あった。思い当たるシーンが、二カ所あった。
でも、と僕は思った。
僕は涙もろい。結婚式の撮影を何度か手伝ったことがあるが、両親への花束贈呈のシーンになると、必ず泣いた。両親や親戚よりも、僕の流す涙の方がはるかに多かったと思う。
そんな僕でも、編集中にあの場面で涙ぐむことはなかった。微笑ましいシーンだな、と思っただけだった。
となると、会長に涙のわけは、ひとつしかない。
「あのな」僕は勿体ぶることをやめて、率直に話した。「実を言うと、カメラマンは俺なんだ。撮影から編集、ジャケットも含めて、全部、俺」
「お前が一人で?」
心底驚いた声だった。
「ああ、そうだよ」
その後僕は、あれは、機材選びの一環の中で借りたカメラで撮影したもの。でも、共同経営者になる予定だった友人が、突然アメリカに行ってしまったため、会社設立の話は立ち消えたことなどを、簡単に話した。
僕がしゃべっている間、受話器の向こうから、深いため息が何度も聞こえた。
「よくわかった」Pは、押し殺したような声で言った。「とりあえず、撮影者が見つかったことを知らせてくる」
その直後、電話は一方的に切れた。
無音状態になった携帯電話をぼんやり眺める僕の脳裏に、専門学校時代のPの面影が浮かんできた。
すらりとした体型。切れ長の目。茶色く染めた髪。古びたシャツ。穴の空いたビンテージジーンズ。高級住宅街に家があるのに、わざわざ薄汚い寮に住み、なぜか門限だけは守った。趣味は、インスタントラーメンを食べること。ちんぴらに絡まれたとき、余裕の笑顔を浮かべていた。
一言で言えば、変な奴。それがPだった。
次の電話は、明日だろう。
スタンドの灯りを消そうとしたところで、携帯が鳴った。2コール目で通話ボタンを押した。
「お前の、今度の休みを教えてくれ」
どうやら、会長は決断の早い人らしい。
その後僕の頭に浮かんだ言葉は、たっぷりの謝礼金。質問の趣旨は想像できたが、一応訊いてみた。
「俺の休みを訊いて、どうするんだ」
「決まっているだろう。会長が、お前を東京に招待したいと言っているんだ」
思った通りだった。思わず笑みがこぼれる。懐かしい東京の空気を吸いながら、これからの人生について、Pと語り明かすのもいいかもしれない。
「ありがたい話だな。だったら、そっちの都合に合わせるよ」
「仕事の方は、どうするんだ?」
Pは驚いたような声で言った。
僕はそこで少し間を置いた。でも、勿体をつけたわけではない。いま無職だとわかってしまうと、彼が妙な気を使うかもしれないと思ったからだ。
「上司に頼んでなんとかしてもらうよ。この時期、そんなに忙しくないし、有給休暇も結構残っているから大丈夫」
思いつきにしては、上出来だった。
「わかった」Pは明るい声で言った。「じゃ、明日の十時に電話する」