上には上が。一生分を数秒で
おじさんが話し好きだということは、容易に想像できた。
でも、30分もあれば終わるだろう。
「いいですよ。時間ならたっぷりありますから」
と軽い気持ちで答えたのだが、おじさんの体験話は、数時間に及ぶ長いものだった。
しかし、退屈するところは一カ所もなかった。中身の濃いとても面白い話だった。できれば、Pと一緒に聞きたいと思ったほどだ。
「ごめんね。うちの人、しゃべり出すと止まらないの」
話の途中で、おばちゃんが夕飯を出してくれたが、食事の間も、おじさんの話はつづいた。
話の内容は、多岐にわたっていた。
なにしろ、おじさんが生まれ落ちたときから、現在に至るまでの話だったのだ。
でも、今回はその内容には触れない。エピソードのいくつかを書くだけでも、膨大な文字数になるだろうし、本題から外れる。
ということで、今回は『ふくしき七回シネマ館』と関係のあることを一つだけ選び、簡単に説明することにした。
それは若いころのおじさんが、大学を受験するために、初めて大阪を訪れたときのことらしい。
親戚の叔母さんとの待ち合わせ場所は、梅田駅。
大阪駅を出たところでポケットベルを鳴らしてね。梅田の改札口を出たら、私が来るまで動かないこと。
方向音痴のおじさんを思っての配慮だったらしい。
これなら俺でも大丈夫。新幹線の中で安心して、ぐっすり眠ったおじさん。大阪駅に降りたところで、あることに気づいた。
どこを探しても、ポケットベルの番号を書いたメモ用紙が見つからないのだ。
ポケットベルの番号はもちろん、叔母さんの家の番号も覚えていない。
困ったな、どうしよう。
大勢の人がごった返す駅の中で、途方にくれるおじさんに閃きが走った。と言うほどのものではない。冷静になれば、誰でも考えつくような簡単なことだ。
自分の家に電話をかけて、叔母さんの番号を聞くか、家から叔母さんに電話してもらえばいい。
我ながらグッド・アイデア。この調子でいけば、明後日の試験も合格間違いなし。
安心したおじさん。公衆電話を探そうと早足で階段を駆け下りようとしたところでつまずいて、頭から真っ逆さまに転げ落ちた。
「あのな、にいちゃん」
そこでおじさんは、僕をじっと見つめて低い声で言った。
「死ぬ間際に、自分の一生が、走馬燈のように見えると言うやろ。あれは、ほんまのことやで。時間にして、数秒、もしかすると、一秒もなかったかもしれへんな。自分がおぎゃーと産まれたときから、大阪に着いたところまでのすべての出来事が、目の前に映しだされたんや。そして最後に、どこからか声が聞こえてきたんや。『これで、今回のお前の人生は終わり。異議はないな』異議はないか、と訊かれたから、わしは『イヤだ』と叫んだんや『何でもします、もっと長生きさせてください』ってな」
おじさんはそこで、僕の顔を覗きこむようにしてつづけた。
「あのな、神様の決断は、早いで。『よし分かった』と言った次の瞬間、誰かがわしの体を受け止めたんや。『大丈夫か、にいちゃん』目の前にいたのは、粗末な身なりのおじさんやった。てっきりこれは、神様が化けているんやと思たがな。『ありがとうございます。神様』と自分では言ったつもりだったんやけど、出てきたのは、別の言葉やった。『おおきに、おっちゃん。おっちゃんが、おらへんかったら、わし、死んでいたで』それからやがな、わしがこんな関西弁しか喋れんようになったんは」




