1080が意味するもの
1080。
計算機が出した数字の大きさに驚いた。
自分の頭の回転は人並み以下。いつもそう思っている僕は、どこかで操作を間違えたと思った。
小学生の頃からの悪い癖。桁違い。それも今回は二桁も違っている。
多分、掛けると割るを、押し間違えたのだろう。
この歳になっても治らないのだから、数字音痴は根が深い。
自分の勉強不足は棚に上げて、そっとため息を吐いた僕は、クリアボタンを押して計算をやり直した。
しかし、二回目も三回目も、結果は同じだった。
答が正しいとすれば、僕にとっては大事件。
僕の脳は、記憶の中の出来事を現実の世界の千倍以上の速さで再現したことになる。
でもそんなはずはない。
僕が映像の中身を確認できるのは、十倍速がいいところ。つまりそれくらいが、僕の脳の限界速度なのだろう。
だが、絨毯のちいさな焦げ跡。柿の種の賞味期限。深くもたれると、かすかな金属音を発する座椅子。そんな些細なことも含めて、ミスダツのマンションでの6時間のすべてを思い出したのは事実だ。
「本当に、20秒だったんですか?」
念のために訊いた。
すると、おじさんは真面目な顔で「それより短かったかもしれんな」と答えた。
どういうことなんだ、これは。
俺の脳には、自分の知らない能力が隠されているっていうこと?
心の中で、自分に問いかけた僕は、先日の電話を思い出した。
「ミスダツのアパート(とPは言ったが、正確には、ミスダツのマンション)での一部始終を思い出したとき、お前に何かが起こりそうな気がするんだ。もちろん良い意味でな」
あのPの言葉は、僕の脳が持つ潜在的な能力を予言したものだったのだろうか。
とすれば、Pには予言能力があることになる。
そんなことを考えながら携帯画面を見つめているうちに、あることに気づいた。
1080は、映像関係者にとっては馴染みの数字。ビデオカメラなどの画質を表すとき、必ずといっていいほど出てくる数字だった。
1440×1080。これはハイビジョン (地上デジタル)画質で、1920×1080は、より高画質なフルハイビジョン画質。
1080という答は、偶然なのだろうか。
それとも、映像を学んだ僕に対するメッセージが隠されているのだろうか。
「あのな、にいちゃん」おじさんが、僕の肩をちょこんと突いた。「もし、月末にお金が足らんようになったら、遠慮せんでええで。ここに来て、何でも食え」
その口調と表情から、本心から出た言葉だというのが分かった。
「ありがとうございます」
そのあと、でも、大丈夫です、と続けようかと思ったが、気が変わった。
疑問が起きた時点で、すぐ解決する癖をつけろ。
講義中に、ミスダツが言った言葉を思い出したからだ。
「あのう」僕は、質問を口にした。「これまで、変わった経験をしたことはありませんか?」
あやふやな問いかけに、おじさんは眉間にしわを寄せた。
「たとえば?」
「そうですね」僕はそこで、意識して言葉を止めた。そして、おじさんの視線が僕の顔に留まるのを確認してから言った。
「遠い日の記憶が、猛スピードで頭の中を駆け抜けるような体験です」
「あるで、あるある」予想外の答が返ってきた。「よかったら、そんときの話を聞いてくれへんやろか」




