森伊蔵当選祝賀会
電話が一発で繋がったとき、もしかすると、と思った。
僕はガイダンス音が、外に漏れないように、携帯を耳に押し当てた。
「こちらは森伊蔵でございます。ただいま抽選結果のご案内を致しております」に続いて、流れてきたのは、僕の携帯番号と、お買い上げありがとうございます、という言葉。
え?
僕は首をひねった。
自分の携帯番号が聞こえてきた理由は分かる。この携帯から電話したからだ。でも、どうして、お買い上げありがとうございますなのかが、分からなかった。
だって、僕はまだ焼酎を買っていない。この前、予約電話をかけただけなのだ。
森伊蔵初心者に、お買い上げありがとうございますが、当選を告げる言葉だと分かるはずがない。
ガイダンスが続く携帯をぼんやり眺めている僕に、おばちゃんが訊いた。
「どこにかけているの?」
「ここです」僕はカウンターの一升瓶のラベルを指差した。「森伊蔵」
「ちょっと、それ、貸して」
僕の手から携帯をひったくるようにして、自分の耳に当てたおばちゃんが、突然、片手でパンパンパンとカウンターを叩いた。そして、焦ったような声で、さっきと同じようなセリフを口にした。
「メモ帳、メモ帳、メモ帳」
おばちゃんがいなかったら、僕は森伊蔵を手にすることはなかった。予約番号を聞き逃していたはずだからだ。
酒造会社に問い合わせたら、何とかなるんじゃないの。
仮にそんなアドバイスをもらったとしても、絶対に従わなかった。僕は、自分の手の中から逃げたものは、追わない主義なのだ。
「カンパーイ」
おでんの試食が、急きょ当選祝賀会に変わった。
僕はコーラ。おばちゃんは、缶ビール。
「お酒が飲めないのに、どうして?」
半年ぶりに森伊蔵が当たったというおばちゃんが、不思議そうな顔で訊いた。
ここで、トリエステの話を持ち出すわけにはいかない。
トリエステとの会話が夢だったにしろ、僕の脳が勝手に作り出した妄想だったにしろ、それを言い出すと、話が長くなるからだ。
ここは、さらりといこう。
と決めた僕は「当たる予感がしたんです」と、でまかせを言ってからつづけた。「当たったら、友人に送ってやろうと決めていました」
「どこに住んでいるの? その友達」
おばちゃんは、口についたビールの泡を手の甲でふきながら言った。
「東京です」
僕は、Pが映像を学んだ仲間だったことを手短に話した。
「彼に言わせると、鹿児島の食べものは、何でも美味しいらしいんです。半年ほど前、カツオの腹側を送ったら、こんなに美味い腹側を食べたことがない。やっぱり、本場は違うなぁと、感心していました」
「あら、そう」
おばちゃんは、自分が褒められたかのように、目を細めて笑った。
「その友達、違いが分かる人らしいね。だったら、今度はもっと喜ぶと思うよ。飲める人にとって、森伊蔵は特別だから」
そのあたりでコーラを飲み干した僕は、壁にかかっている時計に目をやった。いつの間にか、この店に来てから一時間近く経っていた。
「ごちそうさまでした。今度は、客として伺います」
と言おうとしたところで、あ、いけないと思った。
この前電器店で会ったとき、おばちゃんから宿題が出ていたことを思い出したのだ。