僕が知らない自分
Pから電話がきたのは、その日の夜だった。
「珍しいな。お前が日本映画に興味を持つなんて。それも、半世紀近く前のやくざ映画だって?」
「悪いな。忙しいお前に頼むようなことじゃないんだけどさ」
「何言ってんだよ。俺とお前の仲だぞ」Pはそこでしらふではないことを告げた。「今夜は酒を飲みながらだけど、それでもいいか」
Pの家系は酒豪揃い。その中でも、Pの強さは群を抜いているという話を聞いたことがある。奈良漬け一枚で真っ赤になる僕。だが、Pはどんなに飲んでも乱れることがなかった。
電話口から、グラスの中で氷が回る音に続いて、リラックスしたPの声が聞こえてきた。
「昭和残侠伝の話の前に、訊きたいことがあるんだけど」
もしかすると僕の仕事についての質問かと思ったが、違った。
「超美人の女の子の話は、どうなったんだ?」
その言葉を聞くまで、つい先日、女性心理について相談したことをすっかり忘れていた。
コンビニは俺の勘違い。でも、事務員の方は現在進行形。
そう言うつもりだった。しかし、なぜか焦ってしまって、言葉が出てこなかった。
「あ、あれな。あれは、実を言うと……」
「皆まで言うな」Pはおかしそうにクックックッと笑った。「後は想像がつく」
それからPは、何ごともなかったような口調で本題に入った。
「お前が知りたいのは、ネットで検索しても出てこないようなエピソードってことなんだよな」
Pは、映画なら何でも来いの父親に育てられたらしい。
英語がぺらぺらなのは、生まれたときから、レーザーディスクやビデオで世界の名作を繰り返し繰り返し見ていたからなんだ。
外国人の彼女が出来たとき、Pはそんな話をしていたが、日本映画についても結構詳しい。面白い話をいくらでも知っていそうだ。だが、僕が知りたいのは、ひとつしかない。
「実を言うと、昭和残侠伝と、ミスダツとの関係が知りたいんだ」
「ミスダツ?」Pは何か考えるように少し黙った。「ミスダツって、俺たちに業界の四方山話をして高い給料をもらっていたあいつのことか?」
たしかにそういう捉え方もある。
「そう。あのミスダツだよ」
そのあと僕は、その理由を話した。
レンタルビデオ店で、昭和残侠伝のDVDと目があった瞬間「俺を思い出したければ、これを見てくれ」という、ミスダツに似た声が聞こえてきたこと。
昭和残侠伝のDVDを借りた直後の記憶が消えていたこと。
昭和残侠伝という言葉を聞いたとたん、 頭の中で、パチンという小さな音がして、その時の記憶がよみがえってきたこと。
そのことを話し終えてしばらくしてから、Pが珍しく遠慮がちな声で言った。
「前から言おうと思っていたことがあるんだけどな」そこでPは少し間を置いた。「お前の脳は、少し個性的かもしれないな」
個性的という言葉に、Pの心遣いが表れていた。たぶん彼以外の人間なら、お前の脳はおかしいんじゃないかな、と言ったと思う。
「何でも言ってくれ」と僕は言った。「言葉を選んで話す仲じゃないだろう俺たち」
「こんな話になると分かっていたら、飲まなかったんだけどな」
妙に真面目な声だった。今日を逃すと、あれは冗談だったんだと逃げられるかもしれない。
「大丈夫だよ」僕はわざと笑いながら言った。「お前はどちらかというと、酔っていた方がまともだからな」
僕の冗談に、Pは小さく笑った。そして咳払いを一つした。
「お前の脳を見たわけじゃないけど、話をしていると分かるんだ。あ、今脳が切り替わったってな」
僕が聞きたい種類の話になりそうな予感がした。
「例をあげれば切りがないけど、パターンはだいたい決まっているんだ。夢で見たことを、現実の世界で起きたこととして受け取る。または、その逆。そして、それが再び元の状態に戻る。しかし、本人は気づいていない」




