朝食の前に
しかし、体温計のリミットぎりぎりの高熱だったにしては、副作用のようなものは何も感じなかった。
頭は痺れていなかった。ものが二重に見えることもなかった。体が浮いているような感じもしなかった。
再びベッドに視線を向けた。
もし熱にうなされていたのなら、子供の頃と同じように、手足を激しく動かしたはず。
だが、ベッドまわりに乱れた様子はなかった。空になったボトルもドリンク類も、寝る前と同じところにきちんと並んでいた。
体温計が壊れているのかもしれない。
寝る前何回計っても、36度5分ぴったりだった。どうもあれがあやしい。
買ってから大分経っている。一度も使ったことがない。電池が古くなって電圧が低くなった。それが原因で、表示部分に異常が出た可能性もある。
僕は理科の成績はだめだったが、実験で物事を確かめるのは今も好きだ。
さっそく試してみることにした。
しかし、その前にやるべきことがあった。
この際、記念に残しておいたほうがいいかもしれない。
携帯を取りだした僕は、体温計の表示画面を写真に撮ってフォルダに保存した。
何歳まで生きるか知らないが、きっとこの41度6分という数字が、僕の人生においての最高体温になる。そう思ったからだ。
お湯をいれた湯飲みに体温計の先端部分を浸けて、数字の上昇具合を観察した。
同じことを三回繰り返したが、予想に反した結果が出た。
数字は32から42までスムーズに変化した。
「体温計に異常なし」
声に出して言ってみたが、どうも納得がいかなかった。
「君を信用しないわけじゃないんだけどね」
体温計に語りかけてから、脇の下で体温を計ってみた。
またもや、36度5分。
やれやれ、思わずため息がもれた。
もしかすると、これからの僕の人生は、この体温と同じように、何の変化もない日々の繰り返しかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えていると、急に固いものが食べたくなった。
たぶん僕の消化器官が、もっとやり甲斐のある仕事をさせて下さい、と催促しているのだ。
冷蔵庫の中を覗いてみると、冷凍食品のチャーハンとスパゲッティが残っていた。でもそれだと、健気な胃や腸たちに失礼になる。第一、腹の足しにならない。
時刻を確認すると、まだ8時前。
この時間で頭に浮かぶ食事処は、ファミレスしかない。
だが今は通勤時間のど真ん中。道路は大渋滞。バイクで行くと、知った誰かと会いそうだ。
「仕事が見つかったのか?」そんな声をかけられると、僕も相手もしらけた気分になりそうだ。
で、僕が選んだのはロイヤルホスト。あそこなら表通りに出ることなく、路地伝いに行ける。
簡単に着替えをすませて、部屋を出る前に、Pに電話を入れた。
いつものように留守番電話になっていた。僕としては、その方がよかった。
「別に急がなくってもいい話なんだけどな」
そのあとに言うべき言葉を頭の中で整理しながら喋ろうと思ったが、まとまりそうになかった。
「高倉健の昭和残侠伝で思いつくことがあったら、何でもいいから教えてくれ」
それだけ言って電話を切った。




