41度6分
火花が消えると同時に、僕の脳裏にひとつの映像が浮かんできた。
TSUTAYAの道路向かいにある自転車屋の前の歩道で、派手に転ぶ僕の姿。僕の手を離れた昭和残侠伝入りの袋が、植え込みに隠れるのがはっきり見えた。
それは、僕の記憶からこぼれ落ちていた記憶に間違いなかった。
そうだ。あの日、DVDを一本借りた。高倉健の昭和残侠伝。
それを思い出したことで、女の子が何を言おうとしているのか分かった。
僕が転んだ拍子に落としたDVDを、誰かが拾ってくれたのだ。たぶんそれは、自転車屋のおじさん。
そんなことを考えていると「もしもし、もしもし」と焦ったような声が聞こえてきた。
「私の声が聞こえていますでしょうか」
「もちろん聞こえています」僕はそう答えてから、憶測を口にした。「そのDVDを届けてくれたのは、関西弁を使う男の人だったでしょう」
「はい、その通りです」女の子は、ほっとしたような声で言った。「という事は、あの方から、連絡があったわけですね。お知り合いだったんですか、あの方とは」
事実はそうではなかったが、僕は「ええ、まあ」とだけ答えた。
すると、事が丸く収まりそうだと思ったのか、女の子はうれしそうな声で「昭和残侠伝はキープしてあります。いつでもお越し下さい」と言った。
「心づかいありがとうございます」僕はしばらく考えてからつづけた。「でも、棚に並べておいて下さい。そのDVD目当てに来店する人がいるかもしれませんからね」
電話を切ったあと、体温計に手を伸ばそうとした僕の口から「あれっ?」という声が漏れた。
冷蔵庫の前に、見覚えのあるものが散らばっていることに気がついたのだ。
目の錯覚かと思ったが、冷蔵庫の前に脱ぎ捨てられていたのは、僕の下着とタオルとパジャマに間違いなかった。いつもと違ったように見えたのは、そのすべてが裏返しになっていたからだ。
誰がいつ、こんなことを?
手にとって調べてみると、ぜんぶ湿っていた。汗の臭いもした。
わけが分からなかった。
ベッドに目をやると、用意しておいた着替えや、タオルのほとんどが消えていた。
言葉を変えると、消えたものは、すべて裏返しになって、冷蔵庫の前に移動していた。
考えられることは、一つしかなかった。
僕が放り投げたのだ。
テレビをつけたところで、謎が解けた。
今日は六月一日。僕が眠り続けているうちに月が変わったらしい。
ウイダーインゼリーと、カロリーメイトと、栄養ドリンクの半分ちかくが空になっていた。
よっぽど喉が渇いたのだろう。12本あったスポーツ飲料のほとんどを飲み干していた。
一番驚いたのは、体温計に残っていた数字。
41度6分。
僕は熱に弱い。それまで経験した高熱は、幼稚園に上がる前の39度8分。はしかにかかったその時でさえ、生きるか死ぬかの瀬戸際だったらしい