ボイスレコーダー
僕はさっそくキーワードの入力に取りかかった。
しかし、思った以上に時間がかかった。
たぶん僕の頭の中では、まだ「実体験」と「夢」と「自分が考えたこと」の三者が複雑に絡み合ったまま、ぐるぐるぐると回転し続けていたからだろう。
最初と最後だけはしっかり覚えていた。でも中間辺りの出来事を思い出そうとすると、頭の中に霞がかかったようになった。
特にパソピアの監視カメラで自分の行動をチェックしているくだりになると、頭の芯が痺れたようになった。
なんでそんなに一生懸命になるんだ。 水でも飲んで頭を冷やす方が先だろ。
自分に突っ込んだ。
たしかに、マトリョーシカ方式の夢の一言ですむ話だった。
だが、実際に起こった出来事だったとすれば、そうはいかない。
三日続きの夢をみたことも含めて謎だらけ。
世の中の仕組みを解明したい僕としては、それがはっきりするまで諦めるわけにはいかなかった。
僕は頭に浮かんできたキーワードを、片っ端から打ち込んだ。
それしか方法はない。入力さえすれば何とかなる。先が見えるまで絶対に諦めない。絶対に謎を解いてやる。
そんなものが僕を突き動かした。
しかし50個くらい打ち込んだところで、頭の中が飽和状態のようになった。
これ以上考えても何も出てこない。
そう思った僕は、1回目のプリントアウトを試みた。そしてそれを声に出して何度も読み上げた。
「キーワード」とはよく言ったものだ。
同じ言葉を繰り返しているうちに、記憶の扉が徐々に開き始めたのだ。キーワードを中心に、前後の出来事が脳裏によみがえってきた。
しばらくすると、話の糸口がはっきり見えてきた。
すべてが実際に起こった出来事。
出発点はあの三日続きの夢。ここ数日間のわけのわからない出来事は、すべてあのときから始まっている。そう確信した。
もしかすると、と思うところも何カ所かあった。
お婆さんたちに見送られてわらぶき家を出たあとの出来事が、僕の記憶から消えているかもしれない。
最終的には時間軸に沿って100個くらいのキーワードが並んだ。でも、僕以外の人にはキーワードになり得ない言葉ばかりだった。
【十三秒の遅れが生み出したもの】【餃子とペンギン】【ガラガラ、ドシャーンで消えたもの】【片目のジャックが消えた冷蔵庫の横で】
今の僕にこれらのキーワードで、何でもいいから話を作れと言われてもできないと思う。 しかし僕はその日のうちに粗筋のようなものを作り上げた。
でもキーボードで入力したわけではない。
ボイスレコーダーを使った。
記憶にあるうちに、何としても書き留めておかなければならない。
そんな強い思いが、パソコンデスクの引き出しの奥に仕舞ったままになっていたICボイスレコーダーの存在を思い出させたのだ。
実を言うと、今こうして腹式七回シネマ館を書いていられるのも、むかしPからもらったボイスレコーダーのおかげなのだ。
取扱説明書はなかったが、使い方は覚えていた。まず、新しい電池を入れた。それからメニューを開いて、V・O・Rをオンにした。
V・O・Rというのは、一定以上の音をマイクが拾うと自動的に録音がはじまり、音が小さくなったり、音声がなくなると録音が一時停止するという機能。
つまりポーズボタンやストップボタンを押す面倒な操作を省くことができるのだ。言葉を変えれば、別の作業をしながら録音ができるということになる。
単四電池2本で最長30時間以上の連続録音。これをポケットに入れておけば、メモ帳代わりにもなるというすぐれもの。
その時の僕のように、あやふやな記憶を探りながら録音するには、実にありがたい電子機器。
声を出したのと記録に目鼻がついたからだろう。喉の渇きがさらに増した。
僕はボイスレコーダーを片手に持って立ち上がった。しかし水やお茶を飲むためではない。向かったのはベッド。
もちろん、トリエステという名前のノートパソコンと対面するためだ。
ここ数日の出来事が現実に起きたのなら、このパソコンと僕は会話ができるはず。
だとしたら、数々の謎を解き明かしたい僕にとって、これ以上の証人はいない。
自動録音機能がついていることを願いながら、僕は枕の下から半分だけ見えているノートパソコンをじっと見つめた。