恋のアドバイス
アパートに帰り着いたら、すぐにソフトのインストール。
そのあと、古いICレコーダーのデーターをパソコンに取り込んで、文字に変換。それがすんだら、新しいICレコーダーの取扱説明書を読みながら、使いやすいようにカスタマイズ。
と思っていたが、それどころではなかった。
コーラを一本、水道水をコップで二杯飲んでも喉はカラカラ。胸の動悸も収まらない。
原因は分かっている。
「もし、よろしければ、ここに……」
人材派遣会社の担当者が、そっと差しだしたメモ用紙。
11桁の数字。
彼女の携帯番号。
一字一字、丁寧に書いたのがうかがえる。
これって、お付き合いして下さいという意味ですか?
僕のどこが気に入ったんですか?
ほんとに僕でいいんですか?
彼女がいない今なら、スラスラ言える。
でも、伏し目がちに僕を見つめていた彼女の前では、そんな簡単な質問さえできなかった。
「一応、頂いておきます」
椅子から立ち上がりながら言ったそれが、精一杯。しかも、硬い声で。
エレベーターまで見送ってくれた彼女は、恥ずかしそうな声で言った。
「ご迷惑かもしれませんが……お待ちしております」
アイロンのかかっていない綿シャツ。よれよれのジーパン。履き古したスニーカー。右手にぶら下げた二つの紙袋。
商店街のガラスに映る自分の姿に、問いかけた。
一体何が起こっているんだ。これまでまったく女性に縁がなかったこの俺に。
パソピアのお婆さんを通じて、気持ちを打ち明けたコンビニの女の子の件だけでも大事件。あれから一週間も経っていない。なのに今度は、本人から直接のアプローチ。
何かがおかしい。何かが変。天変地異の前触れか?
もしそうじゃないとすると、いつまでも放っておくわけにはいかない。少なくとも一週間以内に、何らかのアクションをとる必要がありそうだ。
でも、どんなふうに?。
悩みに悩んだ末、Pに電話をすることにした。
でも、携帯の発信ボタンを押す直前で、やめた。
仕事を失ったことをまだ話していなかった。いずれ報告しなければならないことだが、それは日を改めることにしよう。
ということで、午後六時の時報を確認してから、改めて携帯電話を取りだした。
いつものように、留守番電話になっていると思った。
忙しいようだな。じゃあ、また後から電話するよ。
そう言うつもりで呼び出し音を聞いていると、スリーコール目で彼が出た。
「珍しいじゃないか、こんな時間に」
そう言えば、僕たちの電話は、いつも夜の十一時が過ぎたころだった。僕は慌てて携帯を持ち直した。
「あ、い、今帰って来たばかりなんだ」
「いいな、お前は。こんな明るい時間に仕事が終わってさ」
という声は、ぜんぜん羨ましそうには聞こえない。
「実をいうとな」Pは嬉しそうな声で言った。「俺もお前の声を聞きたかったんだ。時間はあるのか」
「ある」
と答えると、彼は黙って電話を切った。
三十秒ほどで僕の携帯が鳴った。
もちろんPがかけ直してきたのだ。僕に負担をかけないために、彼はいつもこのやり方をする。
「俺の携帯料金は会社で支払ってくれるんだ。と言っても、俺だけが特別っていうわけじゃない。社員は全員掛け放題。会社の統計によると、重要な情報というのは、身内や親友から入ってくる確率が結構高いらしい。でも安心しろ。お前にそんな情報は期待していないから」
彼の就職が決まって、長時間話し込んだとき、そんなことを言っていた。
「今どこにいると思う?」
Pがこんな言い方をするときは、大体において、映像を学んでいたころよく行った場所だ。
「晩飯には早そうだから、ガストか、ジョイフルあたりだろう。お前の前には、また新しい彼女が座っている」
「半分当たりで、半分外れ」
「じゃあ、どこかうす暗い部屋で、彼女と二人きりってことなんだな」
クックックッ、
Pは、何かを思い出したように笑った。
「それは昨日と、一昨日だよ」
「ところで」僕は本題を切り出した。「アドバイスが欲しいんだ」
「あのさ」Pは笑いを含んだ声で言った。「たまには、映像関係以外の質問をしてもらいたいもんだな」
「例えば?」
「決まっているだろう。彼女ができたとか、できそうなんだけどとか、そんな種類の話だよ」
「実を言うとな」僕は、そこでたっぷり時間を取った。「彼女ができそうなんだ。しかも、二人とも、超売れっ子のモデルタイプなんだ」
しばらく待ったが、何の反応もなかった。
まさか、電話を切ったんじゃないだろうな。
携帯を耳に押しつけると、コーヒーにむせているような声が聞こえてきた。