かわいい担当者
店を出て時刻を確認すると、約束の時間までは三十分以上あった。
さて、どうしよう。
しばらく考えた僕は、そのまま人材派遣会社に向かうことにした。
理由はひとつ。右手にぶら下げた紙袋が妙に気になったからだ。
このソフトに関わったのは、トリエステによく似た声の持ち主。それも美人。
一分でも早くこのソフトをインストールしたいと思うのは、当然のことだろう。
人材派遣会社は駅前にあった。六階建ての三階のエレベータを降りたところが受付になっていた。
時間のせいなのか、たまたまだったのか分からない。事務所にいたのは、お揃いの制服を着たスタッフだけだった。
「いらっしゃいませ」
だれかが号令をかけたみたいに、声を揃えて僕を出迎えた。
「三時の約束だったんですが」
全員の視線を受けながら自分の名前と、担当者名を告げると、一番近くにいた女性が立ち上がって、会釈をした。
「はい。私でございます。お待ちしておりました」
十数人のスタッフの中で一番若くみえる女性だった。というより、一番かわいい女の子。
「しばらく、こちらでお待ちください」
案内されたのは、壁に沿って三つ並んでいる小部屋のひとつ。四人がけのテーブルの上に二台のパソコンが向かい合う形で並んでいた。
「ご希望のお飲み物がございましたら、遠慮なくお申し付けください」
テーブルには、ハガキくらいのカードが置いてあった。
コーヒー、紅茶、緑茶、ウーロン茶、ルイボス茶。
コーヒーを頼んだのは一番無難だし、飲み終えたら、タイミング良く席を立てるような気がしたからだ。
通話記録なんて、どうでもいい。聞いたら自分の恥になるだけ。五分でさっと話を切り上げよう。
「お待たせしました」
ノックと共に彼女が入ってきたのは、それから三分ほど後。シルバーのトレイの上には、湯気の立ちのぼる薫り高いコーヒー。それに砂糖とクリーム。
トレイを置くと彼女は「先日は申し訳ありませんでした」と頭を下げた。「ずいぶん失礼なことを申しまして、」
コーヒーカップに手を伸ばそうとした僕は「ちょっと待ってください」と言った。
「あなたが謝ることはありません。悪かったのは僕の方です。実を言うと、お礼を言いに来たんです」
「お礼?」担当者は僕の顔をまじまじと見た。「今日のご用件は、クレームではないとおっしゃるんですか?」
彼女の表情が硬い理由が分かった。
「もちろんです」僕は笑顔をつくった。「あの電話のおかげで、僕は悪夢から覚めたんです」
それから三十分くらいかけて、夢の話をした。
白い世界。指先の火花。僕の中の蟻たち。暗闇で鳴り響く音。
その間、彼女は小さくうなずいたり、驚いたような声で「まぁ」と言ったりしながら話を聞いてくれた。
「これで分かったでしょう。もし、あの電話がなかったら僕は、あの世に行っていたかもしれないんです。じゃあ、これで」
と、立ち上がろうとする僕を、彼女が手で制した。
「もう少し伺いたいことがあるんですが……」
考えてみると、細々とした手続きはまだだった。
たぶん、そのことだろうと思った。
「その件は、後日伺います。実を言うと、自分にどんな職業が合っているのか、まだ分からないんです。今日から、御社のホームページを毎日みることにします」
すると彼女は、恥ずかしそうな声で「あのぅ」言った。
「お伺いしたいのは、プライベートなことなんです」