前編
およそ探偵と名のつく人間を敵に回すべきではない。多々木さんのような男と付き合っていると、つくづくそう思う。
あ、付き合っているというのは、そういう意味じゃない。一緒に仕事をしているという意味だ。
探偵というヤツは、とにかく記憶力があって話術が巧みだ。うっかりこちらが知らない、だが多々木さんの知っていることを口走れば、たちまち煙に巻かれてしまう。
先日、こんなことがあった……。
「社長、聞いてくださいよー。昨日超イヤなもの、見ちゃったんですよー」
「なに、幽霊がTバックでも穿いていたか」
「……ギルティ」
はい、出ましたギルティ。これは多々木さんが限りなくセクハラに近いことを言ったときに、若林さんが発動させるペナルティーのようなものだ。このギルティが貯まると、多々木さんは彼女におごらないと、いけない。
「はいはい。で、なにを見たの」
多々木さんが促した。
「昨日の夜、吉祥寺で友だちと飲んで、そのあとラーメンを食べたんです」
若林さんは話をつづけた。
「で、食べ終わってお店を出たところで、もの凄い大声がしたんです。なにかと思って見たら、通りの向こうで男の人が、お婆さんに怒鳴っているんですよー」
「ふむ。通りって、南口の大通り?」
その大通りならオレも知っていた。たしかラーメン屋が四、五件あったと思う。
「そうです。ああいうの、激昂っていうんですかね。男の人は、意味のあることをまったく言っていなくて……」
「酔っ払いかな」
多々木さんが言うと、彼女は首を傾げた。
「そういう感じでもないんですよねー。あきらかにお婆さんに非があって、それを責め立てている感じ……ああん!? ああん!? って何回も怒鳴っていましたからね」
「うーん」と多々木さん。「それはちょっと、気になるね」
「でしょー?」若林さんは目を輝かせた。「だいたい、夜の一〇時ごろに、お婆さんが独りで出歩いているっていうのも、ちょっとヘンじゃないですか。まあ有り得ないことは、ないですけど」
さらに彼女は続けた。
「男の人とお婆さんが、どういう経緯で揉めたかはわからないけど、ちょっと尋常じゃないくらい怒っていましたからね、その男の人。まさか道でぶつかったくらいで、大の大人があそこまで怒らないだろうし」
多々木さんが興味ありげに訊く。
「で、正義感の強い我らがワカメっ毛は、当然お婆さんを助けたんだよね?」
「それが、」彼女は照れ笑いした。「ちょうどバスが来たもので……」
「見捨てたんだ」
「大通りの向こうだったし……」
「見捨てたんだ」多々木さんは執拗に言った。
「こっちもお酒が入ってたし……」
「もういいって」
すると多々木さんは腕を組み瞑想をはじめた。おい、ちょっと待て。これは彼が本気モードで推理するときの仕草だぞ。オレと若林さんは、思わず顔を見合わせた。
「いまはまだ、なんとも言えない。ま、そのうち」
彼は目を開けてそう言った。