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 王宮の大夜会。着飾った貴族たちの放つ香水の香りと、密やかな嘲笑が混じり合い、広間の空気はひどく濁っている。その淀んだ中心で、私の婚約者である第一王子、アラルリック・ヴァリエールが、傲慢に唇を歪めた。


「エルネスタ・クロム。貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」


 突きつけられた宣告。静まり返る広間に、誰かが息を呑む音だけがやけに大きく響く。

 彼の腕にしがみついているのは、私の義妹、ミラベルだ。潤んだ瞳で私を見つめる彼女の表情は、可憐な聖女そのもの。だがその奥底に、勝利を確信した卑俗な愉悦が透けて見えるのを、私は見逃さなかった。


「……アラルリック殿下。そのお言葉、本気でいらっしゃいますか?」


 震える声を、鋼のような意志で押し殺す。背筋を伸ばし、顎を引く。クロム公爵家の令嬢として培ってきた矜持だけが、崩れ落ちそうな私を支える唯一の骨組みだった。


「本気も本気だ。貴様のような無能な女、もはや見ているだけで反吐が出る」


 殿下の嘲笑に合わせ、周囲からもクスクスと、毒を孕んださざめきが漏れ始めた。

「砂の聖女」――。

 かつては畏敬を込めて呼ばれたはずのその名は、いつしか私を蔑むための代名詞へと成り下がっていた。


「ミラベルを見ろ。彼女こそが、天より授かりし光輝の魔法で人々を癒やす真の聖女だ。それに比べて貴様はどうだ? 指先から砂を出すだけ。ジャリジャリと床を汚すだけの、薄汚い無能ではないか!」


「……砂は、無価値ではありません。いま、世界中で魔道具生産用の砂が枯渇しているのです。そして、このアルカディア王国の産業、その根幹を支えているのは――」


貴族達が背後でみな、嘲笑っていた。この場で私を庇護してくれる者など皆無だった。


「黙れ! 砂など、砂漠や海に腐るほどある。貴様の、その見苦しい言い訳は砂のように目障りだ。だがまあ、貴様の声を耳にするのも最後だと思うと、清々するぞ!」


 言葉を遮る怒声。彼は何も分かっていないのだ。このアルカディア王国が「砂魔導さまどう」という危ういバランスの上に成り立つ砂上の楼閣であることを。

 魔道具の核となる触媒、建物の強度を司る結合材、術式を定着させる媒体。それらすべてに、私の生成する「高純度魔導砂」が使われているという事実。この国の砂も、砂漠の砂も、海の砂も、不純物だらけの魔力を通さない「死んだ砂」ばかり。私が十年間、自身の魔力を削り、国中のインフラにその砂を、嘲笑われながら必死に混ぜ込み、品質を底上げし続けてきたからこそ、この国の文明は維持されてきたのだ。


「公爵家からも除籍の通告を受けている。もはや貴様の帰る場所はどこにもない。今すぐこの国から去れ。砂がお似合いの荒野や砂漠へな!」


「お父様も……承知されたのですね」


 胸の奥に、冷たい空洞が広がる。

 家族のため、国のため、指先から血が滲むほど魔力を練り続けてきた日々。その対価が、雨の夜への追放だという。


「お姉様……ごめんなさい。私が、お姉様よりも優れた聖女の力を授かってしまったばかりに……」


 ミラベルが、わざとらしくハンカチで目元を拭う。

 彼女の放つ「光の魔法」など、本質的にはただの発光現象に過ぎない。網膜を刺激し、一時的な高揚感を与えるだけの娯楽魔法。そんなまやかしが、国家を支える私の砂よりも尊ばれる。この国の審美眼は、それほどまでに衰えてしまったらしい。


「いいんだよ、ミラベル。君のような清らかな女性が、こんな砂女に心を痛める必要はない」


 アラルリック殿下は、私の首から婚約の証であるペンダントを乱暴に引き剥がした。「痛い!!」鎖が肌を焼き、鋭い痛みが走る。しかし、アラルリック殿下は痛みで床に這いつくばる私を気にも留めずミラベルの元へ去っていく。誰も、何も言ってくれない……。 私はただ一人、孤独に痛みに耐えた。

そして彼は奪ったそれを、まるで獲物を自慢するようにミラベルの首へと掲げた。

 

 ああ、もういいのよ。どうだって。

 すべてを理解した瞬間、私の中で張り詰めていた何かが、音を立てて千切れた。


「……分かりました。殿下、最後にお忠告を。私が管理していた砂は、非常にデリケートな代物です。私の供給が絶たれれば、遠からず変質が始まるでしょう。どうか、メンテナンスの準備だけはお忘れなきように。民達のためにも……」


「ふん、負け惜しみを。砂の代わりなど、いくらでも替えがきくわ! 去れ! 衛兵!!」


無駄だと分かっていたけれど、父と母に助けを求めようとした。しかし、父も、母も、私の顔を見ようともしない。彼らにとって私は、華やかな光を放てない「不良品の娘」に過ぎなかったのだ。


私は、クロム公爵家の証である紋章の指輪をその場に捨てた。


王宮の裏門から放り出された時、夜空からは冷たい雨が降り始めていた。

 着飾っていたシルクのドレスは、またたく間に泥に汚れ、雨水を吸って鉛のように重くなる。

 私は、振り返ることもせず、歩き出した。


街を出る間際、私は巨大な魔導貯蔵庫の横を通り過ぎた。

 そこには、私が昨日納品したばかりの、砂が山積みにされている。

 この国の役人たちは、これを「どこにでもある砂」だと信じ切っている。

 だが、私の生み出す、不純物がなく工業に適したこの砂は、あと数日、長くても一ヶ月で使い果たされるだろう。


砂がなくなれば、どうなるか。

 まず、精密機械が死ぬ。魔力の循環を支える触媒砂が劣化すれば、術式は摩擦熱で焼き切れる。

 次に、メンテナンスできぬ建築が死ぬ。私の砂を混ぜて作られた特殊なコンクリートは、私の砂が供給されなくなれば、ただの脆い砂利の塊へと戻っていく。

 経済の血流である工学兵器も、輸送馬車の動力源も、すべては「質の良い砂」があってこその贅沢だ。あの城も次の嵐が来る頃には、亀裂が走る。そうしたら、修理のために必要な砂など、どこにもない。


……なんて、愚かな人達。


私は、重い足を引きずりながら、国境を目指した。

 今、この瞬間にも、目に見えないミクロの単位で、国家の崩壊は始まっているのだ。


でも、今の私にはどうする事もできない。神々よ。これが国を必死に支えてきた私の運命なのですか? これはあまりに……あまりにも残酷です……。


雨は止むことなく、むしろ激しさを増していった。

 街道を歩く私の足は、既に感覚を失っている。

 公爵令嬢として育てられた私の体は、あまりにも脆弱だった。

 雨が体温を急激に奪い、空腹と悪寒、そして何より、十年間休むことなく魔力を放出し続けてきた、精神的な摩耗。

 

 一歩、また一歩。

 アルカディア王国の境界を示す石碑が見えた。

 その先にあるのは、険しい山脈と、荒涼とした大地が広がる隣国。

 友好関係にないその国へ入ることは、死を意味するかもしれない。

 けれど、私を無価値だと切り捨てたあの場所に留まるよりは、野垂れ死ぬよりは、マシだと思えた。


 街道を歩き続けて数時間ぐらいだろうか。足の感覚は既になく、視界がちかちかと点滅を始める。

 目指すのは北の国境、軍事強国ハルシュタット王国。もうこの国に居場所はない。だからと言って、国を越えてもそれは変わらない。

 鉄と岩に閉ざされたあの国なら、資源としての「砂」の真価を見抜く者がいるかもしれない。そんな淡い希望を胸に、私はただひたすら歩いていくしかなかった。


国境を越え、隣国の冷たい土を踏んだ瞬間。

 私の膝が、ガクリと折れた。

 泥の中に顔をうずめ、荒い呼吸を繰り返す。


感覚が薄れていく。

 

 視界が、暗い。


 雨の音だけが、耳元で激しく鳴り響いている。

 

 ああ……、結局、私は何も守れなかった。

 自分の誇りも、国も、家族との絆も。

 ただ、砂を作り続けるためだけの人生だった。

 その果てが、この名もなき場所での孤独な死なのだろうか。

私は……大勢の人達を見捨てて、もっと早くこの国を去るべきだったの……。今なっては、もう何も分からない。


意識の混濁の中で、私は最後に自分の手を見つめた。

 あかぎれだらけの、醜い、砂を作るためだけの手。

 この手から生み出される「高品質な砂」が、どれほどの価値を持っていたのか。

 それを思い知る頃、あの国はきっと、砂上の楼閣のように瓦解しているはずだ。


「……だ、誰か……私の代わりに国を……民を救って」


絞り出した声は、風にかき消された。

 遠くで、獣の遠吠えのような音が聞こえる。あるいは、それは馬の嘶きだったかもしれない。

 だが、今の私には、それを確かめる力すら残っていなかった。


指先から力が抜け、泥の中に沈んでいく。

 体温が奪われ、意識が急速に冷えていく。

 冷たい雨。硬い土。

 かつて「砂の聖女」と呼ばれた私は、誰に看取られることもなく、静かにその目を閉じた。


――絶望が、すべてを塗りつぶしていく。

 私の物語は、ここで終わる。

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