第3話 “陸だ!”──海の男と天使
海上衝突予防法第5条
(見張り)
船舶は、周囲の状況及び他の船舶との衝突のおそれについて十分に判断することができるように、視覚、聴覚及びその時の状況に適した他のすべての手段により、常時適切な見張りをしなければならない。
二日後。
灰色だった海は少しずつ落ち着きを取り戻し、
波の音もどこか優しくなりはじめていた。
カイトは言わなくても、船員たちが交代で適切に見張りを続けているのを見て、内心で静かに評価していた。
そんなとき――
「陸だぁぁぁぁ!!」
船首から飛んだ若い船員の叫び声に、
甲板が一気に沸いた。泣き出す者もいる。
(……助かった……
安心でちびりそう……いや、ちびったかもしれん……)
もちろん外には出さない。
カイトはいつもの“渋みのあるエエ顔”で周囲を見回した。
三時間後、船は無事に接岸し、
軋んだ木の船体が桟橋に凭れかかるように止まる。
船員たちはカイトへ集まり、
どう言葉にすればいいのか分からないまま、何度も何度も頭を下げた。
カイトは短く言った。
「……船長と、皆さんの力です。」
その一言に、船長は胸を震わせるようにして言った。
「あなた……は天使なのか?」
カイトはゆっくりと首を傾け、穏やかに尋ね返した。
「あなたに、私はどう見えますか?」
「……海の男だ。」
そのまっすぐな返答に、カイトは微笑む(エエ顔)。
「礼がしたい。何か望むものはあるか?」
「いくばくかの金を。
実は、お金も寝る場所も無くて」
「それならば、ぜひ我が家へ!」
(はっずかしー……
エエ年こいて、一文無しのホームレスって……
死ぬほど言いたくなかったわ)
カイトは内心で頭を抱えつつも外ではエエ顔で、
「ありがとうございます。本当に助かります」
と深く礼をした。
船員たちは「解散!」のかけ声でふらふらと家路へ向かっていく。
(プッ……ゾンビみたいやな……ダサ……
でも死ななくてよかったわ、ほんま)
カイトは心の中で笑いつつ、外では優しい顔で彼らを見送った。
船長の家は、王都湾から少し内陸へ入った場所にあった。
石造りで質素ながら、細やかに手入れされており、
生活の温かみがにじんでいる。
「ただいま!」
船長が扉を開けると、
奥からすぐに女性が駆けてきた。
「あなた! 本当に無事だったのね!」
船長の妻、リディアだ。
柔らかくてあたたかい、家庭そのもののような人。
「紹介しよう。
この方はムラカミ・カイト殿。
我々の航海を救ってくれた恩人だ」
「まあ……!」
リディアは胸に手を当て、
涙を堪えるようにカイトを見つめた。
「どうかゆっくり休んでくださいね……。
あなたのような方を迎えられるなんて……」
そこへ、階段を降りてくる青年がいた。
士官学校の制服、背筋の伸びた凛とした佇まい。
「父上、帰還報告を聞きました。
その方が……」
「息子のアーネストだ。士官学校の三期生でな」
「アーネスト・ラグナです。
ようこそお越しくださいました」
アーネストは完璧な礼式で敬礼した。
真面目で、不器用なほど正直な青年。
(おお……ええ子やん。
こういうタイプは伸びるわ)
カイトはエエ顔でうなずく。
「お会いできて光栄です。
お父上を見事に支えておられる」
アーネストの耳が赤くなった。
褒められ慣れていないのだ。
「まずは湯を沸かしますね!」とリディアが慌ただしく台所へ向かう。
(ああ……こういう“お母さん系の人”、好きやわ……
落ち着く……)
湯に浸かった瞬間、
カイトは緊張の糸が切れて、湯を浴び終わるとそのまま寝落ちした。
船長も同じように湯から上がった途端に倒れ込んだらしい。
翌朝。
硬いパンを温かいスープに浸した朝食が出された。
(まずいおじややん……
いや、文句言ったら罰が当たる……)
カイトはエエ顔で「はあ。胃が落ち着きます。」と微笑み、
全部食べきった。
「さあ、会社へ行こう」と船長が帽子をかぶる。
「今回の航海の報告と……
君を紹介したい」
カイトはエエ顔でうなずき、
王国海運へ向かうことになるのだった。




