第20話 山へ続く静けさの道
山の呼吸と、海の男の勘**
「……もう限界だな」
講義が終わったあと、カイトは机に手をついた。
今日も保守派の嫌味がひどかった。
「航海とは勘でするものだ」
「学生に余計な知恵をつけるな」
「特別教官は黙っていてほしいものだ」
その一言一言は、刃ではなく“重し”だ。
じわじわ積み重なり、呼吸を奪っていく。
(俺、海にいたときはこんなに息苦しくなかったのに)
海には風があり、太陽があり、
船には役割と規律があった。
しかし教官という立場は、
思っていた以上に政治と圧力にまみれていた。
そこへ校長フロルドが現れ、
カイトの肩を軽く叩いた。
「カイト君、顔色が悪いね」
「バレます?」
「海の男は、心が濁るとすぐ目に出る。
私は海軍で何百人も見てきたよ」
(……この爺さんには敵わないな)
フロルドは椅子を引き、
カイトの前に腰を下ろした。
「気分転換が必要だ。
山に行くといい」
「山、ですか?」
「海は君の“故郷”だ。
だが、山は“静けさ”をくれる。
そして静けさは、船乗りにとって欠かせないものだ」
カイトは息をついた。
(確かに……気が張りっぱなしだ)
フロルドは続ける。
「ただ歩くだけでもいいが、
どうせなら――つまみを取ってくるといい」
「つまみ……?」
「魚でも肉でも、君の料理は私も楽しみにしている。
その腕を鈍らせるなよ」
その言葉が不思議と胸に落ちた。
海の男にとって料理は生存術であり、娯楽であり、
同時に“仲間との絆”でもあった。
料理をするとき、カイトはいつも“素の自分”に戻れた。
「……じゃあ、明日山に行ってきます。軽く狩りでも」
「うむ。その方がいい。
山は今、少し静かすぎるようだがね」
(静か……?)
その一言が小さな伏線になった。
――翌朝。
カイトは海で使っていた簡易調理セット、
小型の火打ち石、布袋、槍、ナイフを背に、山へ向かった。
学院裏の森へ入ると、空気の質が変わった。
潮風とは違う、湿度を含んだ冷たい風。
土と草の匂いが混じり合い、足元の葉がさらりと滑る。
(こういう匂い、けっこう落ち着くんだよな)
海では波と風。
山では音と影。
どちらも自然と対話する生存感覚がいる。
その“勘”が、カイトの頭を静かに研ぎ澄ませていく。
しかし――
その勘が告げた。
(……今日の山は、変だ)
鳥の声が弱い。
獣の動きが少なすぎる。
木の皮には深い爪痕。
折れた枝は高さが異様だ。
(オークだな。数が多い……)
海の男でも、こういうときの“危険の匂い”には敏感だ。
カイトは槍を握り直した。
(まあ、つまみの肉は手に入りそうだし……
少しくらい暴れるか)
冗談めかして呟いたが、
山の静けさは、返事のように深かった。
その静寂の奥に、
“誰かの息”が確かに潜んでいた。
この先でエルノアと出会うとは、
まだ思いもしなかった。
だが、
その気配だけは確かに――
“ただの狩りじゃ済まない”予感を持っていた。




