第19話 酔いどれの理(ことわり)──静かな革命の種
講義の終わった夕方、カイトは職員室のイスに深く座りこんだ。
今日も保守派の教官たちの嫌味は健在だった。
「理屈など必要ない。航海とは勘で行うものだ」
「三角の比? 積分? 海軍を混乱させる気か」
「特別教官だからといって出すぎた真似を」
(……面倒くせぇ)
学生たちの目が輝くぶん、
大人たちの嫉妬は重く、しつこい。
だがカイトはその場で反論しない。
航海と教育は、感情でぶつけるものじゃない。
(まあいい、終わった。酒飲んで忘れよう)
港町へ向かい、いつもの酒場に足を踏み入れた。
扉を開けると――
「おおっ! カイトの旦那!」
グランが大きな腕を振っていた。
「飲めよ! 今日は俺が奢る!」
「いや今日は――」
「なんだよ、俺と飲めねえのか? 寂しいじゃねえかよ」
(……ずるい)
観念して席に座ると、
意外な人物が隣にいた。
「やあ、カイト君。ちょうど良かった」
校長フロルドだ。
グランと肩を合わせ、一緒に飲んでいる。
「……校長、グランといつの間に?」
「昨日の技術の話から盛り上がってね。
この男、実に話が早い」
「だよなあ、フロスト。
あの“比率で角度読む”って発想は衝撃だったぜ」
(……仲良すぎだろ)
この二人の距離の近さに驚きながら、
カイトはジョッキを持ち上げた。
「じゃあ……乾杯」
その夜は、普通の飲み会のように始まった。
だが、
グランが深く酒を煽り、
いつもの“愚痴モード”に入った瞬間から空気が変わる。
「聞いてくれよ、旦那……!
俺の鍛冶場、もう限界なんだ!」
寸法はズレる。
角度は揃わない。
炉の温度は安定しない。
ネジは一本ずつ誤差だらけ。
「“繰り返せる仕事”ができねえ!
腕だけじゃ追いつかねえんだよ!」
その声は、
仕事に命をかけてきた男の悲鳴だった。
カイトは静かに、酒を一口飲んだ。
(……分かるよ。
海も、腕と勘だけでやる時代じゃない)
気づけば口が動いていた。
「旋盤作れば……揃うよ……」
「せん……ばん?」
「材料……まわして……刃を押し当てるの……
そしたら……同じ丸棒……量産……できる……」
フロルドの眉が上がる。
「それは……何かの道具かね?」
「穴あけたいなら……刃を回す……
それが……ドリル……」
「ド……リル……?」
グランが完全に固まった。
カイトの舌は回っていない。
それでも“理”は止まらない。
「ネジはさ……径……と……ピッチ……
決めて……規格……作れば……
プラス……マイナス……六角穴……
共通の道具で……回せる……」
フロルド
「君、酔っているんだよね?」
カイト
「……おれ……酔ってても……理は理……」
「炉……は……反射炉……空気送って……温度上げて……
非鉄混ぜて……合金作って……
計算尺……そろばん……」
最後の方は言葉にならない。
そして、
カイトは酒場のテーブルに突っ伏して寝た。
静かに寝息が聞こえる。
フロルドがグランに言う。
「……どう思うかね?」
グランはナプキンを拾い上げ、
殴り書きされた図をじっと見つめた。
「どうもこうもあるかよ。
これ全部、“理”だ」
そう言って、
ナプキンを丁寧に折りたたんだ。
「……全部覚えた」
その声音は低く、
だが燃えるように熱かった。
次の朝。
カイトは頭痛でうめきながら起きた。
(……身体が重い。昨日何を……?)
だが、どれだけ思い出そうとしても、
酔っていた部分は霧のように掴めなかった。
職員室に行くと――
グランと校長が並んで茶を飲んでいた。
二人の距離が近い。
まるで十年来の親友のようだ。
「お、旦那。二日酔いか?」
「……俺、昨日何か……言ってた?」
フロルドが微笑む。
「すべて聞いたよ。
旋盤、ネジ規格、反射炉、合金……
どれも非常に興味深かった」
「……覚えてないんですが」
グランがニッと笑う。
「安心しろ。
“必要になったら言ってくれよ”」
カイトは目をしばたいた。
「言ったら……?」
「“ああできてるぜ”って言ってやるからよ」
(こえぇよ!)
しかし、不思議と嫌ではない。
昨日の言葉を拾い、
理解し、
未来へ繋げようとしている人間がいる。
(……俺、がんばれるかもな)
カイトは、今日もまた講義へ向かう準備をした。
彼の知らぬところで、
三本の線が世界に描かれた夜だった。




