みんなの質問コーナー
あすか:(穏やかな笑顔で)「皆さん、おかえりなさいませ。短い時間でしたが、少しリフレッシュしていただけましたでしょうか。(4人が頷くのを確認し)さて、白熱した議論は、ネットの向こうの視聴者の皆さんにも大きな刺激を与えたようです。私のクロノスには、皆さんへの質問が本当にたくさん届いています!時間の許す限り、いくつかご紹介させていただきたいと思います。」
(あすかは手元のクロノスを操作する。タブレットの画面が明るくなり、質問が浮かび上がる演出)
あすか:「最初の質問は…カント先生へのご質問です。『カント先生の厳格な義務論、大変感銘を受けました。しかし、もし、トロッコ問題の支線にいるのが、先生ご自身の、かけがえのないお子さんだったとしたら…それでも、あなたはレバーを引かないと断言できますか?』…非常に、お答えにくい質問かもしれませんが、いかがでしょうか。」
カント:(目を閉じ、しばし沈黙する。その表情には深い苦悩の色が浮かぶ。やがて、ゆっくりと目を開け、静かに、しかし毅然として)「…それは…想像を絶する、魂の試練でしょうな。(絞り出すように)我が子への愛情は、人間として自然な、そして強い感情です。その子が危険に晒されていると知れば、私の心は張り裂けんばかりの苦痛を感じるでしょう。…しかし…(言葉を選びながら)道徳法則は、個人の感情や、特定の関係性によって左右されるべきものではありません。普遍的でなければ、それはもはや法則とは呼べないのです。たとえ相手が誰であろうとも、人間を他の目的のための手段として扱ってはならない、という原則は揺るがない。…したがって、理論的には、答えは『否』です。レバーを引くことはできない。…ですが、その選択がもたらすであろう苦痛と悲しみは…筆舌に尽くしがたいものであることも、認めねばなりますまい。」(その声には、理論の厳格さだけでなく、人間的な葛藤も滲んでいる)
あすか:(静かに頷き)「ありがとうございます。原則を貫くことの厳しさと、そこに存在する人間的な苦悩…重いお言葉でした。…では、次の質問です。こちらは、ベンサムさんへ。『幸福は本当に計算できるのでしょうか?愛や友情、芸術に触れる喜びといった、お金では買えない価値を、どのように数値化するのですか?』というご質問です。」
ベンサム:(待ってましたとばかりに、自信を取り戻したように)「良い質問です。まず、計算可能性についてですが、完璧な精度でなくとも、比較衡量することは十分に可能です。例えば、ある政策がもたらす経済的利益、健康改善効果、余暇時間の増加などを数値化し、比較することはできるでしょう。(愛や芸術について)愛や友情、芸術鑑賞といった精神的な快楽も、それがもたらす喜びの『強度』や『持続性』において、他の快楽と比較可能です。むしろ、これら高尚とされる快楽は、しばしば低俗な感覚的快楽よりも長く続き(持続性)、さらなる喜びを生み出す可能性(多産性)が高い場合が多い。ですから、これらは決して計算から除外されるものではなく、むしろ重要な要素として功利計算に含めるべきなのです。価値をお金に換算するのではなく、それらがもたらす『快楽の総量』で評価するのです。」
あすか:「なるほど、精神的な価値も『快楽』という共通の尺度で捉え、その量や質(持続性など)を考慮する、ということですね。…続きまして、マキャヴェッリさんへの質問です。『あなたの言う「有効性」のためなら、どんな嘘も許されるのですか?嘘に嘘を重ねた先に、真の安定はあるのでしょうか?』」
マキャヴェッリ:(面白そうに口の端を上げ)「ふむ、良い点に気づいたな。結論から言えば、君主は約束を守る必要はない。いや、むしろ、常に正直でいようとすれば、破滅するだけだ。(平然と)人間は悪しき生き物だから、相手が約束を守ると期待する方が愚かだ。しかし、重要なのはここからだ。(人差し指を立てる)君主は、常に約束を守っているかのように『見せかける』技術を持たねばならない。狐のように狡猾に、大衆や敵を欺くのだ。ただし、下手な嘘、すぐにばれるような嘘は、かえって軽蔑を招き、権力の失墜に繋がる。嘘をつくなら、それが有効に機能し、かつ、自身の評判を致命的に傷つけない範囲に留めねばならん。真の安定は、道徳的な正しさではなく、計算された力の均衡と、必要に応じた非情な決断によってもたらされるのだよ。」
あすか:(少し引きながらも)「…あくまで目的達成のための手段として、計算ずくで嘘を用いるべきだと…ありがとうございます。…では、次はリンカーン大統領へ。『リンカーン大統領の「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉は、現代でも民主主義の理想として語られています。もし、現代の(2025年現在の)民主主義をご覧になったとしたら、どのような感想を持たれますか?』」
リンカーン:(感慨深げに遠くを見つめ)「…私が生きた時代から、随分と世界は変わったようですな。…技術が進歩し、瞬時に情報が世界中を行き交う…素晴らしいことです。しかし、それによって新たな分断や、真実を見極めることの難しさも生まれているのかもしれませんな。…私が目指した『人民の政治』とは、単なる多数決のことではありません。それは、一人ひとりの市民が、国の主権者としての責任を自覚し、理性と共感をもって対話し、公共の善を目指す…そういう理想でした。現代の民主主義が、その理想にどれだけ近づけているのか…私には分かりません。しかし、理想を追い求める努力を放棄してはならない。技術がいかに進歩しようとも、自由と平等の尊厳を守り、賢明な市民であり続ける努力こそが、民主主義を健全に保つ唯一の道だと、私は信じています。」
あすか:(深く頷き)「ありがとうございます。時代を超えた、重みのあるメッセージでした。…さて、最後の質問です。これは皆さん全員に関わるかもしれません。『功利主義は、最大多数の幸福を優先するあまり、少数派の意見や権利を無視することになりませんか?』という、功利主義の根幹に関わる問いです。まず、ベンサムさん、いかがでしょう。」
ベンサム:「功利主義が少数派を完全に無視するわけではありません。少数派の幸福や苦痛も、全体の計算には当然含まれます。しかし、(きっぱりと)最終的な判断においては、全体の幸福の総量を最大化することが優先されます。もし、ある措置が大多数の大きな幸福をもたらし、少数の小さな不幸を伴うならば、功利主義的にはその措置は正しいと判断されるでしょう。それが、全体の利益を最大化するための、最も合理的な方法だからです。」
カント:(ベンサムの言葉に即座に反応し)「それこそが、功利主義の最大の欠陥です!『全体の利益』という名の下に、個人の、特に少数派の基本的人権が踏みにじられることを容認するなど、断じて許されるべきではありません!一人ひとりの人間が持つ尊厳は、多数決や計算によって侵害されてはならない、絶対的な価値なのです!」
リンカーン:(カントに同意しつつ、自身の経験を重ねて)「私も、少数派の権利擁護は、民主主義社会において極めて重要だと考えます。多数派の意見が常に正しいとは限りませんし、多数派の力が暴走すれば、それは容易に『多数者の専制』に陥ってしまう。それを防ぐためにこそ、憲法による権利の保障や、異論を尊重する寛容さが必要なのです。最大多数の幸福を追求することと、少数者の尊厳を守ることは、時に緊張関係にありますが、両立させる努力を続けることが、公正な社会の条件でしょう。」
マキャヴェッリ:(やれやれ、という表情で)「少数派の権利、ねぇ…まあ、反乱の火種にならぬ程度には、ガス抜きも必要かもしれんな。だが、国家の安定という大局の前では、些細な問題だ。」
あすか:「ありがとうございます。功利主義の原理とその課題、そして少数者の権利という重要な論点について、改めて皆さんの考えを伺うことができました。…さて、名残惜しいですが、質問コーナーはここまでとさせていただきます。たくさんのご質問、本当にありがとうございました。」