表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/9

ラウンド2:幸福は計算できるか?・功利主義vs義務論

あすか:(議論の熱を帯びたスタジオを見渡し)「ラウンド1では、トロッコ問題に対する皆さんの基本的なお立場が明確になりました。特に、ベンサムさんとカント先生の間には、根本的な考え方の違いがあるようです。そこで、このラウンドでは、その核心にある思想について、さらに深く掘り下げたいと思います。ベンサムさん、先ほど『最大多数の最大幸福』という原理について触れられましたが、あなたの提唱される『功利主義』について、もう少し詳しく教えていただけますでしょうか?」


ベンサム:(待っていましたとばかりに、少し姿勢を正して)「よろしいでしょう。功利主義とは、極めて明快な原理に基づいています。すなわち、『自然は人類を苦痛と快楽という、二つの主権者の支配のもとに置いてきた』。我々のあらゆる行為は、この二つによって決定され、また、善悪の基準もこれらに依存するのです。(自信に満ちた口調で)ある行為が正しいか否かは、その行為が関係者全体にもたらす快楽の総量を最大化し、苦痛の総量を最小化するかどうか、ただそれだけで判断されるべきです。これが『最大多数の最大幸福』の原理です。」


あすか:「つまり、結果として生み出される『快楽』や『幸福』の量が、行為の善し悪しを決めるということですね。」


ベンサム:「その通り。そして、この快楽や苦痛は、決して曖昧なものではありません。(指を折りながら)強度、持続性、確実性、遠近性、多産性、純粋性、そして影響範囲…これらの要素によって、客観的に計算することが可能なのです。これにより、道徳や立法は、主観的な感情や、根拠の不明な『義務』といったものから解放され、科学的で合理的な基礎を得ることができる。先のトロッコ問題も、この計算に基づけば、5人を救うことが明白に正しい選択となるわけです。」


(ベンサムが説明を終えると、間髪入れずにカントが口を開く)


カント:(厳しい表情でベンサムを見据え)「ベンサム氏、あなたの理論は一見明快に聞こえますが、根本的な問題をいくつも孕んでいます。(断じるように)まず第一に、『幸福』とは何か?それは人によって、状況によって、あるいは気分によってさえ変わる、極めて主観的で曖昧な概念です。ある人にとっての快楽が、別の人にとっては苦痛であることなど日常茶飯事。そのようなものを、客観的に計算し、比較衡量するなど、一体どうして可能だと言えるのですか?」


ベンサム:「カント先生、それは些末な問題です。基本的な快楽、例えば生存、健康、安全といったものは、多くの人間にとって共通の価値を持つはずです。細かな質の差はあれど、量の比較は十分に可能です。」


カント:「量の比較が可能だと?では聞きますが、友情がもたらす精神的な喜びと、美食がもたらす感覚的な快楽、これらをどうやって同じ尺度で測るというのですか?知を探求する喜びは?芸術に触れる感動は?これらを単なる『快楽の量』に還元することは、人間性の豊かさを著しく貶めることになりませんか?(語気を強めて)さらに重大な問題は、あなたの理論が、結果のためには平然と個人の権利や尊厳を踏みにじることを容認しかねない点です!」


ベンサム:「それは誤解です。個人の権利も、それが社会全体の幸福に貢献する限りにおいて尊重されるべきです。しかし、全体の幸福というより大きな善のためには、時に個人の利益が制限されることもやむを得ない。」


カント:「『やむを得ない』?それこそが問題なのです!あなたの理論に従えば、例えば、無実の人間を一人犠牲にすることで、暴動を鎮め、多数の人間の生命や財産を守ることができるなら、それは『正しい』行為となってしまう。これは、正義の観念に根本から反するではありませんか!人間は、決して他の目的のための単なる『手段』ではない!それ自体が『目的』であり、尊重されるべき尊厳を持つ存在なのです!道徳の基礎は、移ろいやすい幸福感情ではなく、理性によって導かれる普遍的な『義務』、すなわち、いついかなる時も守らねばならない道徳法則にこそ置かれねばなりません!」


ベンサム:(少し苛立ったように)「カント先生、あなたの言う『義務』こそ、現実離れした硬直的な概念に過ぎません。その『義務』を守るために、結果として多くの人々が不幸になることを、あなたは是とするのですか?それこそ、人間の幸福を無視した冷たい理論ではありませんか?」


カント:「たとえ世界が破滅しようとも、正義は行われねばなりません!結果のために道徳法則を曲げることは、道徳そのものの破壊に繋がります!」


(ベンサムとカントが互いに鋭い視線を交わし、議論が白熱する。あすかは困ったようだが少しうれしそうに二人の議論に割って入る。)


あすか:「わわっ、待ってください!かなり白熱した議論になっていますが、ここでマキャヴェッリさんとリンカーン大統領のコメントもいただきましょう!」


マキャヴェッリ:(二人の応酬を面白そうに眺めていたが、ここで口を挟む)「やれやれ、哲学者の議論というのは、どうも雲の上で行われているようですな。(皮肉っぽく)『幸福』だの『義務』だの、結構なことだが、実際の政治の世界では、そんな悠長なことは言っておれん。重要なのは、いかに権力を維持し、国を富ませ、敵に打ち勝つか。そのためには、時に民衆の『幸福』を踏みにじることも、高尚な『義務』を無視することも必要になる。お二人の理論は、書斎の中では美しくとも、現実の泥臭い政治の前では無力ですぞ。」


リンカーン:(マキャヴェッリの発言に静かに首を振り、そしてベンサムとカントに目を向ける)「マキャヴェッリさんのご意見は、あまりにシニカルに過ぎるかと思います。しかし…(少し言葉を選びながら)ベンサム先生の功利主義も、カント先生の義務論も、それぞれに重要な真理を含んでいると感じます。ですが、同時に、どちらの理論も、それだけでは人間の複雑な現実や、私たちが実際に抱く道徳感情…いわば『良心』のようなものを完全には捉えきれていないようにも思えるのです。理論は導きとなりますが、最終的な判断においては、人々の声に耳を傾け、共感し、そして時には理論だけでは割り切れない決断を下すことも、指導者には求められるのではないでしょうか。」


あすか:(議論を整理するように)「ありがとうございます。幸福は計算できるのか、そして道徳の基礎はどこにあるのか…功利主義と義務論の対立は、非常に根源的な問いを含んでいますね。そして、マキャヴェッリさんやリンカーン大統領からは、その理論と現実の政治や人間の感情との間に横たわる溝についてもご指摘がありました。さて、この理論的な対立が、より具体的な状況、特に『自らの手で』誰かを犠牲にするという状況において、どのように現れるのか。次のラウンドで見ていきたいと思います。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ