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ラウンド1:基本の問い・あなたならどうする?

(あすかがクロノスを操作し、正面のモニターにアニメーション映像を映し出す。暴走するトロッコ、分岐する線路、それぞれの線路上にいる作業員たちが表示される)


あすか:「では最初の問いです。皆様、こちらの状況をご覧ください。」


(モニターには、制御不能なトロッコが猛スピードで迫り、前方の線路には5人の作業員、分岐した先の線路には1人の作業員がいる、という状況が示されている)


あすか:「トロッコは止めることができません。ですが、皆さんの手元には線路を切り替えるレバーがあります。もし、あなたがこのレバーの前に立っていたとしたら…何もしなければ、トロッコは進み、5人が犠牲になります。レバーを引けば、トロッコは別の線路に進み、1人が犠牲になります。皆さんなら、どうされますか?まずは、ベンサムさんからお伺いしてもよろしいでしょうか。」


ベンサム:(少し身を乗り出し、モニターを冷静に見つめながら)「答えは明白です。当然、レバーを引くべきだ。(きっぱりと)理由は単純明快、最大多数の最大幸福の原理に基づけば、5人の生命、すなわち5単位の幸福は、1人の生命、すなわち1単位の幸福よりも大きい。したがって、より大きな幸福、すなわち5人の生存を選択することが、最も合理的かつ道徳的な判断となります。これは感情の問題ではなく、純粋な計算の問題です。」


あすか:(頷きながら)「ありがとうございます。幸福の量を計算し、最大化する…それが功利主義の基本的なお考えですね。では、カント先生はいかがでしょうか?」


カント:(厳粛な面持ちで、静かに首を横に振る)「否。私はレバーを引くことはできません。(断固として)ベンサム氏の言う計算は、道徳の本質を見誤っています。レバーを引くという行為は、その線路上にいる1人の人間を、他の5人を救うための『手段』として意図的に利用し、死に至らしめることに他なりません。人間は、他の誰かの目的のための単なる手段として扱われてはならない。それは、人間の尊厳を踏みにじる行為であり、いかなる状況においても普遍的に妥当すべき道徳法則、すなわち定言命法に反します。」


あすか:「たとえ結果として5人が亡くなるとしても、意図的に1人を手段として犠牲にする行為は許されない、ということですね。」


カント:「その通りです。何もしなければ、それは悲劇的な事故の結果です。しかし、レバーを引けば、それは私自身の選択による、意図的な加害行為となる。道徳的に見て、両者には天と地ほどの隔たりがあります。」


あすか:「ありがとうございます。では、マキャヴェッリさん、現実の政治にも通じるお考えをお持ちかと思いますが、いかがでしょう?」


マキャヴェッリ:(組んでいた指を解き、少し面白そうに口角を上げて)「ふむ…カント先生の高尚な理想論には感心するが、現実の世界では通用せんな。(肩をすくめ)私ならば、状況を即座に判断し、より『有効な』結果をもたらす方を選ぶ。通常で考えれば、5人を失うよりも1人を失う方が、国家なり組織なりの損失は少ないだろう。(ベンサムの方を見て)計算、という点ではベンサム氏に同意するが、私の基準は『幸福』ではなく『力』や『利益』だ。より多くの、あるいはより重要な”駒”を残す。それが指導者の現実的な判断というものだろう。」


あすか:「つまり、多くの場合レバーを引くが、その判断基準はあくまで現実的な利益に基づくと。」


マキャヴェッリ:「そういうことだ。もし、その1人が我が国の王子で、5人が敵国の雑兵なら、答えは自ずと変わってくる。(にやりと笑う)」


ベンサム:(マキャヴェッリの発言に少し眉をひそめる)「…目的は異なれど、結果を重視する点では共通しているようですね。しかし、私の功利計算は、特定の国家や個人の利益ではなく、あくまで社会全体の普遍的な幸福を基準とします。」


カント:(マキャヴェッリとベンサムを交互に見て、ため息をつく)「結果のために手段を正当化するという点では、どちらも道徳の本質から外れていると言わざるを得ませんな。」


あすか:「ありがとうございます。三者三様のご意見が出ました。最後に、リンカーン大統領、お考えをお聞かせください。」


リンカーン:(ゆっくりと口を開き、その声には苦悩の色が滲んでいる)「…これは…本当に、胸が張り裂けるような問いですね。(深く息をつく)ベンサムさんの言う計算も、カント先生の言う人間の尊厳も、マキャヴェッリさんの言う現実的な判断も…それぞれに理があると感じます。しかし、指導者として、多くの人々の命を預かる者として…もし、その場に立たされたなら…。(目を伏せ、しばし沈黙する)…5人の命を救う道を選ばざるを得ないのかもしれません。ですが、それは決して軽い選択ではない。犠牲となる1人の命の重さ、その家族の悲しみを思うと…その責任と、道徳的な呵責は、生涯背負い続けねばならないでしょう。これは、計算や理論だけでは割り切れない、人間の魂の問題です。」


あすか:(リンカーンの言葉に静かに耳を傾ける)「多数を救うという責任と、個人の命の尊厳の間で深く葛藤される、ということですね…。」


マキャヴェッリ:(リンカーンを見て、少し呆れたように)「大統領、感傷に浸るのは結構だが、決断を鈍らせては為政者は務まらんぞ。」


リンカーン:(マキャヴェッリに視線を向け、静かに、しかし力強く)「感傷ではありません、マキャヴェッリさん。それは、人間としての、そして指導者としての責務に対する誠実さです。失われる命への想像力なくして、真の指導はありえないと、私は信じています。」


カント:(リンカーンの言葉に、わずかに頷く)「…リンカーン氏の苦悩は理解できます。しかし、その苦悩があるからといって、道徳法則を曲げてよいということにはなりません。」


ベンサム:「感情的な苦悩は理解できるが、それによって最大幸福をもたらす合理的な選択が妨げられるべきではない。苦悩は、選択の正しさとは別の問題です。」


あすか:「ありがとうございます。最初の問いから、既に見解が大きく分かれました。結果を重視するベンサムさんとマキャヴェッリさん、行為の動機や義務を重視するカント先生、そしてその間で葛藤されるリンカーン大統領…。この対立の根底にある考え方について、次のラウンドでさらに掘り下げていきましょう。」

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 問題の前にはいくつかの前提があり、それによって答は変わってきます。 ▪命の価値に差がある場合。  功利主義者ならば人数に関わらず価値の低い方を見捨てるでしょう。 ▪自身との利害関係がある場合。 …
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