093_正しく完璧に
正しく完璧に美しい世界というものはどんな世界なのであろうかなとか想像してみるのだけれども、全員が全員とも幸せとした思っていないのであろうかな、どのくらいの人数がいるのか人格があるのか無数にあるのであろうなぁ、それら全ての個性が幸せしか感じていないわけであり幸せのまま延々と永遠に過ごしているという環境なのであるわけで。
何にも悩むこともなく肉体的に苦しむこともなく死ぬこともなく存在を脅かされることもなく何を強制されるわけでもなく自由な意思でただただ幸せになれるだけの世界とかであるのであろうかな?
理由とか理屈とか原因とか行動とかそれ全てが必要なくただただ、ただただ、多幸感に襲われ続ける世界であり、未来への不安もなく過去の悲しみもなく、植えることもなく寒さに怯えることもなく、外敵もおらず、労働もまたなく、諍いもなく苛立ちもなく煩わしさもなく、ありとあらゆる苦痛はなく、ありとあらゆる快楽だけがある、騒がしくなく静かであり、寂しくなく、孤独も楽しめ、比較されることもなく、貶められることもなく、それが必要とされるならば、崇め奉られることもあり、賞賛もあり、優しく誉められることもある、けれども究極的には自分自身で完結していて、他者を必要としない、のかもしれないような、世界が、そのまますぐに作られてしまう、これが、究極に完璧な世界というものではなかろうか、いやまあ、創ろうと思えばすぐに作れるわけではあるけれども。
幸せな一瞬を切り取ってそれを延々と繰り返すことが幸福で完璧であると言えるのではなかろうか、飽きるのかというならば、その飽きるをなくしてしまえば良いのであり、慣れるのかというならば、その情報を消して仕舞えば良いわけであり、進歩がないのではという意見に対しては、必要ですか?と素直に返せば良いのではないなか?とか思うんだけれどもどなんだろう?
不幸がなければ、幸せを感じないのではないかという疑問に対しては、それをねじ伏せることができるからこそ究極で完璧なんじゃないか?という反論ができそうではあるな、いや、何かと比較しなければ感じれない幸せというものは不完全なものであるから、完全な幸せはその概念が独立していなければならないんじゃないかな?
誰にも邪魔されない、一人で豊かで、満ち足りている、そういう幸せしかない世界を創ると、究極で完全で完璧な世界と言えるのではないか?そしてそれは創造神であるなら、十分可能な選択肢ではあるんだよね。
でもそういう世界は作りたくないというか、作る気がないというか、作る意味がないのでは?とも思ってしまう、わけであり、果てまた、疑問がループしてしまうわけでありますな。
つまらない、という感情はどこからくるのであろうか?




