085_夢の如く
夢の如く印象が薄いというか現実感がないという心情でなければ世界創造などはできないのではなかろうか、とも考えられるかもしれない。
ようはぼんやりと深く考えなくて本能に近いところでなければまともに進めることはできないくらいに思考が行動を阻害してしまうのではなかろうか、つまるところ考えすぎて行動ができないわけではなかろうか?
思考を停止しているのではなく、罪悪感とかを遠ざけることによって、一時的に価値観を当てはめることを止めてしまう倫理観とかを感じなくしてしまわなければならないのではなかろうか、しかし創造に必要なところは思考を止めることはなく冷静に論理的にしかし直感も捨て去ることはなく、ロマンもまた十分に働かせながら、後のことは知ったことはない、という無責任さが、織り込まれるような神経、精神?状態にしなければならないのではなかろうか?
つまり無責任にならなければ世界は作られないわけであり、本質的に作られたものには責任が取れるようなものではないという、作られた瞬間に憤慨するしかない状態になってしまうのではなかろうか、それでも作られないようりはましであるというか、作られたい、存在したいと思ってしまう、のかな?
いないことは嫌ではあるけれど、いることによって苦しむことを望むのか、最初からいなければ苦しむことはなかった、けれどもいることによって得られる楽しみやら喜びもまたあるのではなかろうか、それをそもそもなかったことにした方が良かったのか?
不完全で無責任な世の中しか作ることができないというか完璧な世界を創造する意味がないいやそれは創造することができないなぜならば完璧なというものが主観でしかないわけであり創造主にとっての完璧は被創造主にとっての、創造物にとっての完璧とは限らないからであるか?
作ろうと思えばというか作れることは確かなのである完璧な世の中というものは、しかしそれが存在する価値が創造主にとっては皆無であるのではなかろうかという話なのであろうなぁと。
必要か不必要かでいうならば創造主にとって世界は不必要ではあるはずである、なぜならば自分自身で完結しているからであり余分はいらない蛇足である邪魔であるウエイトにしかならないからであり、だがしかしそれでも創造神であるからには世界を作らなければならない、そういう生き物であるとするならば、どうやってか作らなければならない。
となると、無責任に夢心地で作らなければならなくなる、
のか?




