083_いつもそうだの
いつもそうだのいつもはいつのことであるのか?
前にも同じことをやっていたのか、時間の概念がへんてこりんであるのに、前後の区別がつくのか、そもそも積み重ねてきているものでは無いのでは無いか、いや、積み重ねられないのでは無いか、それはそのままいつもそこにあるのでは無いか?
というかあるな。
ありとらあらゆる空間と時間に同時に存在できるようなものじゃ無いかなと思うんだけれどもね。じゃあその存在はどういうふうに世界を認識しているのかという話にもなるんだよなぁ。
時系列に沿った思考ができないのかというと別に時間に囚われないだけであって時間を利用できないわけでは無いとは思うんだよね、というか実際にできているわけであって、ただ結論を先に覗いておいてその過程を作るくらいは息をするようにできるんじゃ無いかなとかは思う、いやそうしないことも同時にできるのであろうけれども。
こうであるから全知であるという言い方もできるのかどこかで答えが出る問いであるならばそれを先に読むことができるのであるから、解答集を事前に読むことができる問題集のようなものであるのか、無限に試行することが可能であるから最後には必ず最適解が生まれてしまうわけでありそれを時系列やら因果やらを無視して得ることができるのであるから、間違えないか、間違えが意味をなさないか、正しく間違えることができる、んじゃ無いかな?
じゃあその思考はどうなっているのかといなら、後でそれを合わせているだけであるのかというとどうなのだろう?ようは借金のようなものなのか、辻褄を合わせているだけの話であるというか辻褄が主体になるのかいやそうではなく、それは時間に沿って行っているけれどもどうにでも都合がつくということなのであろうか、いやまあ、他の存在に説明をしないといけないならばそれが、時間に囚われている存在であるならば、時間通りに手順を踏んで伝えなければならないということになるのか、いやそこも無視して、結論だけを叩き込んで、インストールして納得してもらうというか納得したようにする、結果だけが残るようになるのであろうか。
そもそも自己で完結しているのであるならば誰かに何かを伝える必要性があるのかというところから思考していかなければならないのであろうか、そもそも全て正しく行えるならば、思考をする必要があるのかという話でもあり、いやそれはいつかはどこかでやっているはずでありその結果をそのまま見ているだけの話であるならば、思考そのものは必ず行っているのであるか、全て総当たりでやっていることは思考と呼ぶことができるのか?
私は一体何を考えているのであるか?




