063_情報、概念
情報、概念、そういったものの上だけに存在する生き物である可能性はあるわけではありますが、神様、ただその情報だけでも存在することができるという点では、不死性というか不滅性というか、普遍性というか、神様らしいように思えるんだよね。
物理的に存在していようが、どこぞの想像上の産物であり、実態がいなかろうか、神様にとっては関係ないのであり、なぜならば存在しようと意識した瞬間その世界が構築されるわけであるから、しかもそれが物理的には存在しなくとも構わないというか、構成要素から決定することができるのであるならば、それを物理的存在だと言って仕舞えば、宣言してしまえば、そうなるのである。
コストは変わらないのであろうかというならば、無限に近い資源を持っているというか無限の資源を持っているのであるならば、実のところ仮想であろうと現実であろうと、使用するコストには変わりはないわけでありまして、誤差よ誤差。
であるならば仮想世界を作り出す意味もまたないのではなかろうかという予想が立つわけである、あまり差がない、資源の消費に違いがないのであるならば、しかし実際にはそうはなっていない?気がする。
内省するに、仮想的な世界を作る方が安いという認識があったりもする、これは矛盾しているのではなかろうかという、疑問が湧いてくるのではあるけれども、おそらくは何かの前提に引き摺られているのではなかろうかなと、誤認させられている可能性があるというか、おそらくは、創造神を作り出した何かから制限を受けている可能性が高いのではないか?
もしくは他の時間軸とか因果の地平に立する何かの自分がそうゆうふうに設定してしまっているのではなかろうか、理屈の上では無限の資源があるならば、それが嘘でも本当でも関係なく世界が構築できるはずであり、その扱いにもなんら変わりがないはずである。
無限の資源というところが嘘なのであろうかとなるが、これは真実である、資源は無限に存在する、世界を創るための資源は、無限なのである。それ以外が何か有限であるのではなかろうかという予想が立つ。
世界の観測者が有限である、ということであろうか、もしくはそう思わされている、認識を設定されている、のであろうかな?
評価する人格が限られているからこそ、無駄に多くの世界を創ることは控えるべきであるということなのではなかろうか?いやまあ、私は別にそういう承認欲求のようなものはないのであるが、それが多い創造神もまたそれなりに存在するのではなかろうかという予想があり。
現実世界よりも仮想世界の方が観測がしやすいという見方もあるか?
資源は実は有限であったのだな。




