006_今どこにいますか?
あなたの後ろにいるの、とか言って仕舞えばそれはホラーとか都市伝説とかで誤魔化せそうではありますね、いや、最近の私なんとかちゃん、今どこどこにいるの系の幼女に寄せて、神様を造形するという流行もあったりするわけではありますが。
なんでメリーさんなのですかね?
調べて見ましょう、そしてよくわからないことがよくわかります。
こう、異世界ものの小説とか漫画とかが先に出てくるので、そらされてしまっている感じではありますね。
あるんですよ、メリーさんの異世界もの、それもコミックス化している結構メジャな作品で、小説家になろう、では結構有名ではあり、閲覧数とか人気とかもそれなりにあるもので。
幼女であるところの神様もどこかシンパシーを感じて読んでいるわけではあるのですが、とてもシュール?で面白かったです。普通に、コメディとしても読めますし、社会風刺としても面白いです。
なんでレビューみたいなことをしているのでしょうか?
閑話休題。
自分が確かにそこに存在しているかどうかを確認する術がないのではないかという疑問が湧き起こることはそれほど珍しいことではないけれども、大体はどこかで思考を停止して、いるんだもん、とか幼児化して断言しなければならなくなるのではないかなとか思うんだけど?
思うことによってその思っている存在は主体として存在しているのではなかろうかなという話は、有名ではあり、あれですよね、我思うが故に我ありとか、なんとか日本語で訳されているやつです、誰が言ったんでしたっけ?
哲学者の誰かだったとは思うのですが。
デカルトでしたか、詳しいですね。
なぜか神様空間でも使えるスマートフォンで調べたと、よく考えたら、なぜにこのようなところでwebに接続できるのでしょうかね?
ご都合主義という伝家の宝刀を持ち出されてしまうと、全てが終わってしまうわけではありますよ?
ようはここらあたりの環境は、全ての可能性を内包している、羽化直前の卵みたいなものであり、なんでもあるし、ないもないのでは、とか言われても、わかったようなわからないような?
多分に哲学的な内容のお話になってしまうわけではあるのですかね?
哲学というよりは、禅に近い問答とか流れとかになりそうである?
ううん、主体はどこにあるのか、そもそもないのか?
わからないけれども、遊びとして扱うには面白いですよね?




