039_作り手を作ったのは誰かという
作り手を作ったのは誰かという問題も考えなければならないのでしょうね?いや創造神がいるとしてそしたらば誰が創造神を作ったのかという命題というか疑問といういかとんちは生まれてくることは不自然ではなく。
なぜか存在していたというふんわりとした答えがあったりしますが、自然に生まれたとか、必然として存在していたとか、存在と同時に存在したとか、言葉遊びになりそうな答えは結構出てきそうであるけれども、論理的に説明できますかとかになると結構難しいのではなかろうかという話ではある。
じゃあ、自分がどうしてここに生まれたのか存在したのかを調べれ良いのではないかという話ではあり、なぜならば私自身が創造神であるから、結構なんでもできるはずなのであるから、自分自身がどうやって存在を始めたのか、その理屈を突き止めることは十分可能なはずであり、なんとでもなるはずである。
そうなんとでもなるので、どうにもならないというか、存在を始めた方法を自由に後から決定することができるという矛盾のようなやり口が成り立つのであるよなぁ、ようは後からなら何とでも言えるということに実効性があるというか、後付けに十分な説得力があるというか。
無理が通れば道理が引っ込むをそのままじでいけるわけであり、そこに真面目に議論する価値があるのかという話でもある。
私がこうであったと思えば、設定すればそうなるのであるから、因果が逆転しているというか、そのまま流れていかない、ということなのであろうかな、とか言える話であるのであるよな。
客観的に理屈をつけるのであるならば、過去の私を作り上げたのは未来の私である、先の世界での創造神が、前の世界での創造神を作り上げたわけであり、ループしているとか言えばわかりやすいのであろうなぁと、そもそも、時間に縛られていない、因果関係を自由に操れるれる、それこそ息をするのと変わらない感覚でできるのであるからして、どうやって生まれたかを決定することにあまり、意味やら価値やらがあるのかという、感覚ではあるわけで。
おそらくは創造神が生まれなかった因果関係の宇宙とか世界とかもあるのであろうかなとか、それは創造されていないから存在しないのではないかということにもなりそうではあるけれども、創造神が創造しない世界がやはり存在するという証明にもなりそうではあり。
いやほんとに、創造神とかいるのですかね?
既に存在しているのにこう言っては何ですが。
いや存在しなかったことにももちろんできるわけではありますが。
自己存在を保護するようなロジックがやはりあるのでしょうかね?




