031_何でもある、
何でもある、つまりはリソースが無限であるということなのですよね、制限がなければ発想が生まれにくいということでもありますが。
人間であるならばその発想は有限であるのですが、こちとら創造神的な神様でもあるので、そこの広がりは、これはまあ無限かそれに近い、概念的な感じではありますが、ゆえに、選択肢が膨大すぎて決められない、それこそ、無限に時間を必要としてしまう、わけではあるのですよね。
パラメタを設定して自動生成して仕舞えば良いのではないかという、つまりはランダム要素を入れれば良いのではないかとも思ったんだけども、おそらく、サイコロが振れないのではないかなとか、無意識というか、完全に意識して偶然やら運命を作り上げてしまうことになると思うのだよな。
失敗することができないというか、失敗があざとくなってしまって無理ということになるのではないか、いやまあ、最初から何でもできるとしているので、何事も予定調和になってしまうから、驚きが無くなってしまうのではないかということではあるわけなんだよね。
もちろんそこを制限することも可能ではあるけれども、それは物語が、舞台の幕が上がった後の話であって、それまではかなり強力な偉大な絶大な前人未到な、リソースを自由に使える、神様であるわけでして。
ここで手を抜くのは違うというか無理なのではないかなと思うわけであり、抜いてはいけないところではなかろうかとか思うのであるけれども、最初のコンセプトが息抜きであるわけであり、逆にそう考えてはいけないのではなかろうかという悩みが生まれてくるわけでして。
物語を盛り上げるためのピンチとそれの解決というカタルシスとかを考えてみることがすでに、分かっていてそれをやる虚しさというか、熱が冷めるところがあるわけであり、自分自身が楽しめないのではなかろうかなと思うわけであり。
解決方法として劇中はかなり能力を制限しておくというやり口もあるのではあるけれども、それは本気で取り組んではいないということにならないかという、ジレンマも生まれてしまうわけであり。
要は何でもできるからこそ物語が嘘になってしまうので何もできないというわけであり、いやまあ、虚構であることは前提ではあるのであるから、嘘をつくことは最初から決定づけられているのではあるか?
その辺りをうまく回避しなければ、物語を作り上げることはできないのではなかろうか、いやまあ、自分自身を騙すようにして楽しむのであるならば、意識の向き先を変えるだけでどうにかなりそうではあり。
妄想やら夢想を登場人物とは関係ないものを用意して、語らせる、語るようにしたら良いのではないかなとか、思うわけであり。




