33話 ~不思議な体験~
美しい星が煌めく暗闇の中にレイ・フェリックスは居た。
ここはとても不思議な世界だ。気持ちのいい昼寝のように、時間がどれだけ経っているのか分からない。
あの星を眺め始めたのはいつだったのだろう。さっきだったような気もするし、一時間前だったような気もする。
いつの間にか足元に犬がいた。
白と黒の色の短い毛をした大型犬。
犬は好きだ。子供の頃、近くの親せきの家で飼っていた犬が可愛くてよく遊んでいた。自転車に乗るとタイヤに噛みついてくる犬だった。
触りたい、撫でたい。
尻尾を振っているから噛んで来ることは無いはずだ。手を伸ばしてみたら3歩くらい遠くに行ってしまった。
怖がられている?いやいや、あんなに尻尾を振っているんだからそんなはずはない。
近くに行ってみる。
すると犬はこっちの方を見ながらまた数歩だけ離れていった。
あの犬は付いてきて欲しいのかもしれない。それならついて行ってみよう。
犬に導かれるまま歩く。
結構歩くんだな。と思い始めたところで犬が立ち止まった。そこには何もない。ただ暗闇と星空があるだけで他と変わらない景色だ。
犬は上に向かって三度吠えた。
つられて空を見上げたら、上からスポットライトのような光が降りてきて地面を丸く照らした。
犬が吠えたら光が振ってきた。よく分からない気持ちのまま立ち尽くしていたら、犬が光を真上に登り始めた。
「え?」
よく見てみると、光の中には透明な梯子があって垂直に伸びている。
「なんだそういうことか」
犬は立ち止まってこっちを見た後で、両手両足を使ってどんどん登って行く。さっきと同じだ。ついてこいと言っているに違いない。
レイも光の中の梯子を登る。
見上げれば尻尾を左右に揺らしながら登っている犬の尻が見えて面白い。かなり登ってきているはずだが、暗闇なので下が見えず今どれだけの高さなのかが分からない。
それでもまだまだ登って行く。
するとついに、地面を照らす光の出発地点までやって来た。
犬はまた振り返ってこっちを見た後で、さらに登って行く。光に犬の頭が入っていく。
それでも犬は登り続ける。
「あそこがゴールか………」
レイも光の中に入っていった。
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目覚めたら隣には白衣のナースがいた。
目が合った。
「………」
「………」
お互い何も言わない。
レイはベッドにいる。
大柄な体格でおかっぱで眼鏡をかけているナースは、驚いた顔をしながら葡萄の一粒を口に含んでいる。
あれはもしかして。
自分が寝ているベッドの横にあるキャビネットには、いかにも「お見舞いの品」に見える豪華なフルーツの盛り合わせがある。
そのカゴの中には葡萄があって、その葡萄といまナースが咥えている葡萄は全く同じに見えた。
こいつ………。
「しゅぽん」と、ナースの口に葡萄が吸い込まれていった。
「俺の葡萄………」
レイが声をあげたと同時に病室の引き戸が開いた。
「え、」
そこにいたのは父と母。
「レイ!」
「お前、目が覚めたのか!」
嗚呼。
そうだ、俺は倒れたんだ。その後に病院に運ばれたんだろう。その表情を見ればどれだけ二人が心配してくれていたのかが分かる。
母が抱き着いてきた。
温かくて。
胸に響く母の嗚咽がむず痒い。
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しばらくの時間、驚きと喜びを味わってようやく心が落ち着いてきて話ができるようになった。
母が言うには、俺が宝物庫で倒れてからもうすぐ2ケ月という時間が経つという。
俺が倒れたという連絡が王城から来て、その時の状況を説明してもらったのだが、何回聞いても意味が分からなかったそうだ。
そりゃあそうだろうな………鬼の骨格標本に触ったら震えだして、黒い球体になって、口の中に入ってきた。
自分でもわけのわからない事件だった、その場にいない人にはもっと理解できないだろう。
アーサーは結構頑張ってくれて、本当なら身分の高い人間しか入ることのできない病院の個室を用意してくれたという。
父も母もとても感謝しているし、俺も後で御礼を言いに行かなければならないなと思う。
シャルル達、道場生の人たちもお見舞いに来てくれて、さっきのフルーツの盛り合わせもシャルルが持ってきてくれたものだという。
うれしい。
とてもうれしい。
異世界に来ても、こうやって色々な人が心配してお見舞いにも来てくれる。最初は修羅の国だと思っていたこの世界も、案外悪くないものだと思う。
しかし今、その感動を上回るほどの問題が発生していた。
「あの、ちょっと………」
まだまだ話したりなそうな両親の話に割って入る。
「なによ、ちゃんと全部話を聞いてよ」
それはわかるけど今は緊急事態。
「膀胱がパンパンなんだ」
なんだか嫌な顔をされた。感動の場面でなんでそんなことを言いだすんだ、みたいな雰囲気を感じたが、こればっかりはどうしようもないじゃないか。
「もう、しょうがないわね………」
母は続きを喋りたくてしょうがないようだ。息子が2ケ月も意識不明だったのだから、そりゃあ言いたいことは沢山あるだろう。
だけど無理なものは無理だな。
「行ってくる」
掛布団を捲くろうとしたところで違和感。
「え」
手の中にあったのは、白黒の模様をした犬の石像。
これは鬼婆ことアダチ・ド・ゴールに悪霊の巣に無理やり連れていかれた後で気が付いたらポケットの中に入っていた手のひらサイズの石像。
主人のいうことをよく聞きそうな賢そうな顔をしているので見れば見るほど可愛く思えてきて、いつもポケットに入れて持ち歩いているものだ。
それをなぜいま握っていたのか分からない。倒れるときには持っていなかったはずだ。
まあ、いいか。
気に入っているから失くしていなかったのは嬉しい。
「ほら、手を貸してやる」
父が手を差し出してくれる。
少し戸惑った。
ひとりで立てないほどに体調が悪いということは無い気もするが、断るのもなんなので、ありがたく手を貸してもらおう。少し照れ臭いけどね。
大きくて引き締まった父の手を取る。
めきょっ。
音がして、父親の呻き声が聞こえた。
「えっ!」
俺は驚いて握っていた手を放す。
音と、手の感触と、父親の反応からして異常なほどの力で手を握ってしまったのは想像できるが、そんなつもりは一切なくて普通に手を取っただけのつもりだった。
しかもその瞬間、自分の手に墨で書かれたような読めない文字が浮かんでいて、手を離したら消えた。
いま一体何が起こったんだ?
「ごめん、大丈夫だった?」
怒っているかもしれない。
ちょっと怖い。
下を向いているから父がどんな表情をしているのか分からない。悪気は無かったんだけど、怒っているのかな?
「いいから行ってこい」
少しだけ声が怖い。
やはりちょっと怒っているようだ。
だけど俺が病み上がりだし、病室だから怒鳴らなかったけど、普段だったら怒鳴っている感じがする。それだけ痛かったということだろう。
「わかった」
ともかくここは言われた通りにするのが一番だ。早くトイレに行ってこよう。そう思って急いでベッドから降りる。
バキョッ。
変な音がして着地した床がめり込んだ。
「お前の力加減はどうなってんだ!」
「ご、ごめん………」
そうだ、さっきから力加減がおかしい。全然力を入れているつもりは無いのに異常なほど力が出てしまう。
そして当たり前のことだが、父親の怒りは増幅している。
「行ってくる」
少し足がふらつく感じはあるが、ちゃんと歩けていえる。焦りながらも安心しながら病室の扉を開けたら「ゴドッ!」という、すごい音がして扉が開いた。
「あ、」
またミスってしまった。
「力加減!!」
「ごめん!」
ついに怒鳴られた。
そのまま廊下に飛び出してトイレへと向かう。なんなんだこの力を制御できない感じは。明らかにおかしい。これは間違いなく鬼の骨のせいだと思うが分からない。
というか、トイレはどこだ?この病院に来たのは初めてだから、全然分かんないんだけど。




