10話 ~100発殴る~
悪霊の住処から脱出した午前中の青空の下で、レイ・フェリックスは激怒していた。
「シャルル………」
目も見ずに黒い髪をした少女の名前を呼ぶ。
眉が吊り上がったレイの顔。ヘラヘラしながら話しかけてくるいつもの顔とは全く違う。
「俺は今からアダチを殴る!」
「ちょっと、なに言ってるのよ」
完全に熱くなっているレイを止めようと、その肩に手を置いた途端に汗の湿りを感じた。
魔武器が詰め込まれたあの蔵の中で、レイがどれほど辛い目に会ったのかが想像できる。
「顔面を殴る!百発殴る!」
「ちょっと落ち着きなさいよ、それはいくら何でもやり過ぎよ」
「やり過ぎ?」
レイの体が熱い。
「人をグルグル巻きにして無理矢理に悪霊の巣に放り込む。殴られるだけのことは十分にしてるだろ!」
「でも………」
「とりあえず顔面を100発だけ殴らせてくれ!そうじゃないと気が済まない」
目の前でおばあちゃんが殴られるのは見たくない、何とかして止めないと。そう思っていたら蔵の扉が開いた。
「おお、無事でよかったよ、レイ」
何食わぬ顔をしながら出てきたアダチ・ド・ゴールが言った。
「それにしても窓を蹴破って出ていくのは元気が良すぎるね」
歩み寄るレイ。
「何が無事でよかっただ!」
正面に立ち怒声を飛ばす。
「今からお前を殴る!」
握り拳に力が宿る。
「自分がそれくらいの事をしたのはわかるよな!?」
レイが叫んでもアダチは怯まない。
「それはあんたのためさ………」
優しく言った。
「はぁああ!?」
そんなことで納得するはずもない。
「何が俺のためだ、ふざけじゃねえ!」
「本当なんだよ、レイ・フェリックス」
いままでは小僧と呼んでいたのに急に名前を呼ばれ驚く。いやいや、そんなことくらいで騙されるんじゃない!
殴れ!
顔面を100発殴れ!
罪には罰を与えなければならない。これは大昔から今に至るまで当たり前に行われていることだ。
世の中には「目には目を歯には歯を」というハンムラビ法典の素晴らしい言葉がある。やられた分は自分の腕力でもってやり返しても許されるのだ!
「どうだい、怖かっただろう」
「ふざけんなぶち殺すぞ!」
自分があんな目に遭わせておいて何が「怖かっただろう」だ!舐めるのもいい加減にしろ!
「けどねぇ………」
アダチは全く怯まなかった。
「あれがあんたが欲しがっていた魔武器なんだよ。どうだい?いまでもそんなこと気軽に言えるかい?」
何を言っているんだこの婆は。
「どうなんだい?」
「それは………」
「そのために私は今日、あんたをここまで連れてきたんだ」
俺に教えるため?そんなことあるはずがない。
「そうじゃなかったら、何のためにこんなことをしたと思うんだい?私には何の得もないじゃないのさ」
それは俺を怖がらせる為だ。そう叫びたいけれど違う気がする。目の前にいる鬼婆が、なぜか学校の先生のように見えてくる。
まさか本当に俺の為だったっていうのか?そんなはずは………。
いやでも確かに向こうに得は無いと言えば無いし、魔武器の恐ろしさを身を持って知ったのはその通りだ。
しかし………。
「魔武器に興味を持つということ剣術家としての自分に自信がないんだろう?」
「………」
図星すぎて声が出ない。
「周りは大人ばかりで体格は違うしシャルルの動きは天才的だ。身体強化には自信があったはずが、自分が道場の中で一番弱いことに耐えられないんだろう?」
全てを見通すような深い目。
「だから何かに頼りたくなった。そうすれば自分が弱いという現状を変えられるんじゃないかってね」
そうだよ。
道場で基礎ばかりやることは正しいことだと確信はしている。いまの5歳という肉体の年齢を考えればそれこそが正道だと思っている。
しかし今。
今の自分は誰より弱い。
「その気持ちは特別なんかじゃなくて誰もが思うことさ、私だって若いころはそう思っていた」
アダチは語りかける。
「その焦る気持ちが魔武器を求める。けれどあれは誰でも簡単に扱えるようなものじゃない。心が弱い人間は悪魔に心を侵食されるんだ」
心を侵食される。
実際に体験したからこそわかる。
悪霊は弱い心に寄って来る。中身が同じであっても気迫と気合と怒りをもって叫べばあいつらは逃げていく。
「強くなるのに近道はないんだ。近道だと思ったらそこには落とし穴があるんだよ。私はそれを分かってもらいたかったのさ」
そんなに優しく言われても簡単に納得できることではない。
それならそうと最初に言ってくれればいいじゃないか。お詫びをしたいなんて嘘までついて、無理矢理分からせなくてもいいんじゃないかと思う。
けど、ちゃんと説明されたらここに来ていたのか?と聞かれれば逃げていたかもしれない。
もしかして、ありがとうございましたと言わなきゃいけないのか?
「私は嘘を付くつもりなんかないよ、その証拠にちゃんと詫びの品は持ってきたんだよ」
そうなの?
「私はあんたの様子を見ながらも、魔武器の様子もしっかりと見ていたんだ。そうしてあんたに一番相性が良さそうなものを見繕っていたのさ。ほら、それをみせてやってくれ」
遅れてやって来た男に促すと、男は長物を入れるための肩掛け鞄を開けて取り出したものを見て驚いた。
「これはねぇ、「人人無情」という槍だよ。聞いた話ではあんたは突きが得意だそうじゃないいか」
驚くほど薄気味悪い。
「だからこいつはあんたを呼んでいたのかもしれないねぇ」
呻き声が聞こえるような気がする。
「魔武器職人の中でも屈指の狂人と言われるファンコッフォンが五人の大罪人の背骨を使って作ったんだ」
屈指の狂人!?
「ファンコッフォンといえばコレクターのなかではかなり有名な奴で、これくらいのものなら5億ゴールドでも喜んで買うだろうね」
5億!?
一瞬だけ心が揺らいだが、これはやばすぎる。
「ほら、そんなに怖がっていないで持ってごらんよ。見事にあの蔵から脱出したあんたならそのうち使いこなせるようになるだろうよ、あれはそのための試験でもあったんだからね」
最悪だ、最悪の試験だ。
「この槍の凄いところはねぇ、持ち手の所に罪人の歯が埋め込まれている所なんだよ。そのおかげで滑りにくくなってるんだよ」
なんだよその世界一気持ち悪い気遣いは。滑り止めが欲しいのならゴムを貼ればいいだろう、罪人の歯を滑り止めにするな!
良いからこっちに持ってこないでくれ、触る前からすでに吐き気がする。
「なに、遠慮することは無いよ。きっとこいつもあんたに使ってもらいたがっていると思うよ、嬉しそうな声で鳴いているじゃないか、さあ受け取っておくれ」
そんなことは絶対に無い、持った瞬間にこいつは俺を呪い殺すつもりだろう。
五人の大罪人?
五人と言えば前世で俺の事を殺した奴らと同じ人数じゃないか。偶然の一致とはいえ、とてつもなく気持ちが悪い。
5億の価値のあるもので、これほど欲しくないものが世の中にあるとは思いもしなかった。
これはいらない、絶対にいらない。
けどな………。
あの槍は絶対にいらないが、ここまでの事をされて、手ぶらで帰るのも納得いかない。学ぶことはあったが、それにしてもこれは酷すぎると思う。
なにか少しくらいは反撃しても許されるだろう。
「いまアダチさんが持っているその杖が欲しい」
これならどうだ。
アダチが驚いた顔をしている。
俺を拘束したあの杖。
持ち手の所は髑髏だが手の中に納まるくらいに小さいからそれほど怖くはない。しかもその下の部分は木だから普通の杖。「人人無情」とかいう世界一気持ちの悪い槍に比べれば大丈夫そうだ。
しかもあれの威力は体感している。
ミイラのように体をぐるぐる巻きにされた時、どんなに力を入れてもドクロが吐いた包帯のような布はびくともしなかった。かなりの強度を持っているから大人でも抵抗できないに違いない。
「これかい?」
「お詫びの品なら僕が欲しいものをくれるのが一番いいんじゃないの?」
どうだどうだ。
自分が持ってるということは相当いいものなんだろう?
「わかった………」
あら?
何だか空気がおかしい。
シャルルも金髪の男も驚いた顔をしている。婆さんは無表情で感情が伝わってこない。もしかして何かとんでもなく変なことを言ってしまったんじゃないだろうか。
差し出された杖。
いいのか?
受け取った途端、楽しい気持ちになった。




