3-9 急襲
「ゾロスト伯爵はワグル人の大物政治家で、ヴァーバ君の言う通り、きな臭い噂ばかりね」
アニーや下僕どもをギルドの裏庭に待たせたまま、俺はインテロちゃん経由でアポを取り、レンテス・パブリースから情報を得ていた。
あのとき、イセエビを取材した部屋で2人きり、パブリースの姐さんは、テーブルに両腕を乗せたまま、前かがみになってひそやかに話す。
「ジョー・ノヌーの投資話にバカな貴族を紹介していたのもゾロスト伯爵って話よ」
「じゃあ、殺したって誰も文句は言わないな」
「ちょっと、どういうこと?」
俺は椅子から腰を上げ、部屋を立ち去る。パブリースの姐さんが追いかけてきて、肩を掴んで引き留めてくる。
「何を野蛮人みたいなことを言っているの? それに伯爵の身の回りは10人以上のボディガードで警護されているわ」
「泣き寝入りするよりも、野蛮人ってバカにされるほうがマシだ」
姐さんの手を振り払い、目玉を剥き出しながらの笑みを見せてやる。
パブリースの姐さんは唇を震わせながら後ずさりし、俺はギルドの1階に下りていく。
昨晩、殺人を働いたせいか、体中を巡る血の気のうちに、破壊衝動がずっとたぎっているかのようだった。フレンド姉妹を相手にしているときもそうだった。
相手が誰でもいい。揉め事を起こしたい、ぶん殴りたい、ぶっ殺したい。反対に返り討ちにされたって構わない。
「何をしてたんス? 受付事務以外にもギルドに知り合いがいるんス?」
裏庭の椅子からケツの肉がはみ出しているくせに、ピンギは呑気な顔だった。
「先生、今日はどうするんですか。昨日の確率だと、フィアダイル山に行っても途方に暮れちゃいます」
綺麗な青髪のくせに、目つきの悪い変態。
「どうしたのレイジー。怖い顔して」
口もとを可憐に緩めながら、アニーのエメラルドグリーンの瞳は澄んでいる。
俺は瞳孔を拡張しながら、笑みを浮かべる。
「ププンデッタ村に行くぞ。ネコのボスから全部を吐き出させてやる」
連中に有無も言わせずマジカエを唱えた。
空は青く澄み渡り、薄雲がとぎれとぎれにたなびいている。
広大な草原の中に突如として出現している高床式住居群。先日、来たときは、ランカーたちが騒いでいただけで、集落には穏やかな風が吹いていた。
ところが、今日、目の前にしたら、茅葺屋根の物見櫓に何匹ものネコ獣人の影が見え隠れし、物々しくなっている。
どころか、ビュッ、と、矢が飛んできた。もっとも、矢は山なりに落ちていき、まるでオモチャのように弱弱しい。
「ど、どういうことッス? 警護していたランカーがいなくなっているッス」
「テントだけ残っていますけど……」
そう言いつつ、メシスがゆっくりと俺に視線を向けてくる。ピンギも目を向けてくる。そして、2人は俺のマントの返り血にようやく気づく。
「ど、どこに行ったんスか……、あの人たち……」
「どういうこと? ねえ、レイジー、どういうこと? まさか、あなたが倒したの?」
戸惑いのエメラルドグリーンを無視し、俺は歩みを進める。オモチャ同然の矢が飛んできたので、抜いた刀で振り払う。
下僕どもが後ろでボソボソと話している。
「アニーさんには黙っていましたけど、先生は、相手を麻痺させるスキルを持っているんです。どんな相手でも、どんなモンスターでも」
「怒鳴りながら悪口を言うだけでッス。ゴールドグーイもッス。だからオデたちはLvアップがすごく早かったんス」
時折俺にナメてかかってくるが、従順には違いない下僕どもは、俺が吹っ切れてしまったのを察したようだ。
「どうして。どうして黙っていたの」
「それは――」
「それは――」
ネコどもの騒ぎ声が物見櫓からならず柵の向こうからも聞こえてくる。柵門は板で閉じられているが、右手に抜き身の刀を握ったままに蹴破ってやった。
「入ってきただにゃあ!」
「みんな逃げるんだにゃあ!」
白磁板の情報に掲載されていたとおり、ネコにしては巨大だが、ニンゲンにしては小ぶりの、ぬいぐるみのような毛深い生物が大量にいた。二足歩行であったり、四足歩行であったり、そこかしこでパニックになって駆け回っている。
「ちょっと! ちょっと待ってよレイジー!」
日本刀を抜き身で出で立つ野武士スタイルの俺の前に、アニーはヘアバングローブの両腕を広げながら躍り出て、この行く手を阻む。
「何をするつもりっ? どういうことっ? 私はあなたの意図がまったくわからないんだけど!」
アニーの瞼尻から、なぜか、ひとすじの涙がすっと流れ出てきていた。なぜ泣いているのか不明だったが、俺は胸を苦しめられた。
「説明して。お願い。どうして、ランカーがいなくなったのか。これからどうするつもりなのか。あなたは何者なのか」
刀を鞘におさめていく。アニーの頭に矢が降ってきたので、ぐっと掴み取る。バキッと片手でへし折る。
「この通り、説明しているヒマなんざねえ。ただ、この村で手荒な真似をするわけじゃねえのは確実だ」
泣きべそアニーの向こう、村のどこからか、狼煙が上がっている。俺は舌打ちしながら矢を放り捨てる。大事になるまえに決着をつけなくてはならん。
「オラアァ! 族長はどこにいやがる! 出せやコラァ!」
にゃあっ、と、ネコどもは一目散に駆け逃げていき、物見櫓の兵隊ネコも飛び降りて逃げ出す始末。
俺はLv45のスピード力で駆け出し、兵隊ネコを1匹捕まえる。首根っこを掴み上げたネコをそのままヘッドロックし、
「族長はどこだ。言え」
「にゃあーっ! 教えるけんっ! 教えますけんから、やめてくだされにゃあっ!」
ぬいぐるみにヘッドロックしながら、言われた通りの道順を進んでいくが、アニーがすぐに追いついてきて邪魔立てしてくる。
「手荒じゃない! 私にはププンデッタの人たちと争うつもりは毛頭ない!」
「メスガキが。何もわかっちゃいねえ。このネコのぬいぐるみどもはな、嘘八百を並べ立てたんだぞ。お前の知り合いの貴族のオッサンは何もしてねえだろう。なのに、このバカどもは罪をでっちあげたんだ」
「そんなの、何か事情があってのことでしょ?」
「俺がこうしているのも事情があってのことだ」
「あなたにはなんの関係もないじゃない!」
咆哮したアニーの両目は、なぜか涙でいっぱいだった。唐突すぎる出来事に対応できないのか、少女すぎるのか。
「お前……、今の言葉、飲み込めんのか」
俺はぬいぐるみを抱えるままに、取り乱しっぱなしの小娘を眺める。ネコどもの騒乱をよそに、俺とアニーの間には、煙の香ばしさを乗せた風が静かに流れていく。
「おい、飲み込めんのか?」
アニーは押し黙る。金色の毛先がそよいでおり、陽光にきらきらときらめく。俺は沈黙を破るようにして、一歩、にじり寄る。
唸った。
「行きずりだろうが、袖振り合いだろうが、テメエとテメエとに生じた人の縁を無視するのか? お前に関係した以上、俺には事情ができた。俺とお前は赤の他人じゃねえ。それを、テメー、なんの関係もねえだと?」
唇を嚙みながらうつむくメスガキ、
「世の中わかったようなツラしてんじゃねえ!」
肩を突き飛ばしてのける。沈黙のままに何の抵抗もなかった。消沈のメスガキを捨て置き、俺は突き進む。
と、ネコが上目に覗いてくる。
「よくわからんけど、お兄さん、カッコよかったにゃ。お兄さんのいう通りだにゃ。袖振り合うも多生の縁、男はやっぱり女を放っておけないがにゃ」
偉そうにのたまっているネコの喉元を掴み上げた。ネコは短足をじたばたさせる。
「なんだ、テメー。カッコつけたこと言ってんなら、テメーもカッコつけてみろ。他の連中をおとなしくさせて、族長にすんなりと合わせろ」
「も、も、もちろんがにゃっ! ワイは兵隊長やけん、族長の次の次の次ぐらいに偉いんがにゃっ! ワイの言うことはたいがいは聞くんがにゃっ!」
ぶん投げて地面に叩き捨てると、ネコのくせに咳き込みつつ、俺を見上げてきて愛想笑い。
「兵隊長のくせに逃げていた奴が、男だのなんだのよく言えたもんだ」
「愛嬌みたいなもんがにゃあ」
そして、兵隊長ネコは指笛を吹いた。ピィーッと甲高く響き渡った音色とともに、ネコどもの騒ぎ声はぴたりと止んだ。




