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「右手の指を左手の甲に当てて、左手の指だけ動かしてみろ」
「あ……本当だ……」
「喩えば本人は手だけを動かしてるつもりでも、実際には他の部分の筋肉も連動して動いている。スポーツや格闘技や武道だけじゃなくて、重い荷物を持ち上げる時も、昔の農作業で畑を鍬で耕す時も、音楽家が楽器を演奏する時も、職人さんなんかも……ある動きに熟達すればするほど、全身の様々な筋肉を連動させるようになっていく」
バスから下りた後、あたしは眞木さんのお姉さんから、さっき起きた時の説明を受けながら、JR久留米駅に向かっていた。
「じゃあ、さっきの人がやったあれって、本当に魔法や超能力じゃなくて……?」
「ああ……私が喧嘩の素人だったら、逆に動きを読めなかった可能性が有る。相手が格闘技や武道をやっていた場合こそ、逆に、体の一部の動きから……体全体の動きを推測するのは可能だ……それに……」
「それに……?」
「答が一意でなくても……例えば、パターン認識で良く使うベイズ理論って有るだろ? その内、確率の授業で習うと思うけど……」
「えっ?」
「ああ、すまない。例えば、学校の数学で習った二次方程式みたいに、公式通りに解いたら、答が複数有る場合でも『その場の状況からして有り得ない答』を除外すればいい。多分、あいつは限られた情報から推測された私の姿勢や次の動きの候補の中から『その場の状況からして有り得ない候補』を除外して私の動きを推測していた。しかも、バス内の後部の通路が狭い場所に居た私は、横方向への動きに制限が有った。それまで考慮に入れれば予測制度は一〇〇%に近くなるだろう」
「な……なるほど……それが、目も見えないし、魔法も使わずに相手の動きを推測出来た理由……」
「多分な……。でも言うのは簡単だが、それを無意識レベルで、瞬時にやってたんだから……化物だ……」
「じゃあ……何で……そこまで凄い人が……えっと……」
「『私が噛み付くのを予想出来なかったか?』って事?」
「ええ……」
「多分だけど……あいつは……例えば料理人が料理してる場合に同じ事をやったり、音楽家が楽器を演奏してる場合に同じ事をやっても、予測の精度は大幅に落ちるだろう」
「へっ?」
「限られた情報からでは、複数の正解候補が導き出されてしまう。だから、『その場の状況からして有り得ない』候補を除外する必要が有る。そして、除外する基準は、あいつの経験や思い込みだ。だから、一か八か、あいつの経験に無かったり、思い込みから外れている可能性が高い攻撃をやってみたら……巧く行った」
「あ……あなた、一体、何者なんですかッ⁉」
その時、後ろからあたし達について来てたスペクトラム・スカーレットが叫んだ。
「あいつの言った通りだ……。ただの高校生だ。たまたま『アマチュア・スポーツなら県大会は上位でも全国大会は難しい』程度の身体能力を持ったな」
「そ……その程度の人が、あたし達の先生に勝てる訳が……」
「勝てる手段が有る事は、今、説明した通りだ」
「ふざけないで下さい」
「何がだ?」
「何かのスポーツや武道や格闘技をやってるなら……判ってる筈です」
「だから……何がだ?」
「全国大会クラスのスポーツ選手だって……練習の時の実力を試合で一○○%出せない人なんて普通なのに……試合どころじゃない筈の緊張を感じるのが普通の本当の喧嘩で、そこまで冷静な判断が出来る人なんて、そうそう居る筈が有りませんッ‼」
あ……。
言われてみれば……。
「話は簡単だ……」
「へっ?」
「見ての通り、私は極端に空気が読めない。だから、試合や喧嘩でも、その場の雰囲気に呑まれる可能性が小さい。たった、それだけの事で、本番でも練習に近いスペックを出せるようになる」
「そ……そんな……馬鹿な……」
「覚えとけ……。何かが他人と違う事も……何かが他人と同じな事も……強みにもなれば弱みにもなる。どっちになるかは、その人間次第だ」




