第八番歌:しるしなき物思ふ(三)
三
細身に合わぬ脚力で、ブルーは目標にまっすぐ膝蹴りをする。命中すれば、痛みにのたうち回る前に、御剣川にまっさかさまだ。まゆみ先生の力が引いた動物だって、かさが増えた川で溺れてしまうだろう。
でも、余計なお世話だった。猿はかはらけを身代わりにして、ブルーを跳び箱によけたのだから。攻撃はやめられなく、まっさかさまになるのはブルーの方……!
「結び玉の緒!」
イエローが髪飾りのリボンを伸ばし、ブルーにきつく巻きついて事なきを得た。遅れた命綱が活躍し、ヒロインズは胸をなでおろした。
「どないしはったんですかぁ、やみくもに戦われて」
「身のこなしが軽い猿です癪にさわるです早くぶっ倒れろます」
えらく雄弁ではありませんか。丁寧語は相変わらず雑ですけどね。
「私を縛るなですまゆみさんの力をおとなしくさせるです最優先ます」
胴まわりの黄色い帯を、乱暴に破り捨てて猿のところへ歩む。とっくりを投球の標柱っぽく並べて、遊んでいるのをうっとうしく思っているらしい。
「猿ボールにしてストライクにしてやるます」
無防備な猿に、かかと落としをお見舞いしようとしたら、グリーンが腿にすがりついた。
「酒入舌出っ、袒裼裸裎っ! そのへんにしとけよっ!」
こらえていたのだろうが、小さき戦士の目からは、真水ではない粒がこぼれだしていた。とうに限界が来ていたのだ。
「伯母さんの話だから、あたしは直接見たり聞いたりしてねえけどっ、去年の、誕生パーティーで、酔っ払って壊しちまったんだろっ!? ストレスたまっちまってたんだっつってたけどよ、そーじゃねえよなっ? 青姉の言いたいことがお酒のせいで一挙放出して、どー伝えたらいいのか右往左往なんだよなっ? クールじゃねえ時があるんだよなっ!?」
「私がクールですか決めつけですやめろです邪魔するなます!」
優先事項を成し遂げたいあまりに、ブルーは親族を押しのけた。水たまりにはまりそうだったグリーンを、ピンクが受け止めた。
「アツい血汐、ふれてくだサイ☆ もえこチェンジ!!」
ヒロイン服が光り、体の線が目立つ、ぴったりした警官服に変化した。髪は縦巻きになり、ひとつにまとめられる。ハートの飾りをもれなくつけて、ポリスモードが完成した。
「センセの力デ起コっタ事件ヲ解決スルのハ大事デス。しかしbutしカシ、センパイのコトを放置ナンてデキまセン! かなシイ酔ひデスよ!」
ポリスモードは、相手の行動を制限させる戦法に特化している。ベルトに通していた、メタリックピンクの手錠を外し、ブルーにちらつかせた。
「……戦線カラ離脱させマス!」
「や、やめようよ!」
ピンクとイエローの肩が、ブルーとグリーンのの眉が、ぴくんと上がった。
「わ……、わ、私は、ブルーの気持ちを聞きたい」
「レッド隊長!?」
暴れ上戸は、一緒にいると正直、煩わしいなあと思う。でも、濁流となったブルーの想いを、ないがしろにしたくないんだ。
「倒さなければです終わらないです早く終わらせたいます、どけです」
しらふだったら、護身用の空気弾ピストルを構えていた手が、私の頬を張った。電気が走る感覚がして、こけてしまった。跡をさするのは我慢だ。
「……どかないよ。終わらせたいわけを、教えてください」
「まゆみさんをです苦しませるですいやなのですます!」
じゃんけんの「紙」が、私を打ち、払い、ぶつ。イエローたちが、防ごうとしてくれたが、遠慮した。これくらい、母に「雨の階段で転んじゃって」でごまかせる。追及されるかもしれないけれど、その時は、そうなってから考えるよ。
「先生を、慕っているんだ。どうして?」
「まゆみさんにはです家族には無い、熱が、情が、あるです」
手首を回して、だらりと腕を下ろしたブルー。荒い呼吸が、冷えて白くなっていた。
「私の家族は、冷たいです、血がつながっているですのに、他人みたいです、まゆみさんは、他人です、ですが、私に、笑っていてくれた……!」
想いの速度が、落ちてゆく。うん、あなたはもう、壊すなんてことは、しない。
「笑顔の下に、親を蘇らせたことに、負い目を感じている、一瞬だけの、生き返りだった、それでも、してはいけなかったことだったと、反省している、償う覚悟ができている、笑いづらい状況です、しかし、まゆみさんは、前向きに、生きている」
ブルーが、心臓のある所を、かきむしるようにしながら空気を振動させた。彼女の、純粋な、源にとても近いであろう、言葉で。
「まゆみさんは、強い心を、持っている、です、私は、まゆみさんに、楽しく、生きていてほしい、特別な、力を、知らないでいてほしい、代わりに、私が、抑える……です」
感情を表に出しにくい、と多くの人に理解されてきた瞳が、熱を帯びた水で潤んでいた。
体調がすぐれないのではないか、と不安にさせる青白い肌に、赤みがさしていた。
ブルーを―仁科唯音先輩を、またひとつ、分かるようになれた。
「他人の、ために、身を尽くして、戦う、間違っている……ですか」
私の想いを、口にする番だ。聞いてくださいね。
「ブルーの、正直な気持ちなんだもの。間違いなんかじゃないよ」
大きなお姉さんヒロインが、子どもに帰ったみたいな喜びを表した。生意気なこと言わせてもらうけれど、かわいいですよ。
「クールキャラとか断定しちまって、ごめん。あたしも、話、最後まで聞くからっ」
「緑さん……」
「センパイのセンセ愛、ピンク、アツくナリまシタ。ピンクは、センセも、青センパイも、大好キっスよ☆」
「桃色さん……」
「戦いに対する姿勢を、学ばせていただきました。酔われた先輩も、うちにとって素敵な先輩です」
「黄色さん……」
ビニール製の合羽を目深くかぶりなおし、ブルーは知性高い面差しに切り替えた。
「赤さん、お願いが、ある……です」
佩いている武器を取り、二、三歩進んだ。三角形を組み合わせた、SF小説に書かれていそうな銃は、空気砲を撃てるブルーの発明品である。
「決着の、一撃を、私と、して……」
レッドの隣に至り、斜め前の柱にくたびれている猿へピストルの先を合わせた。否が応でも付き合わせる、強引なお願いだ。そこまでしなくとも、レッドの答えは、決まっていた。
「二人でけりを、つけちゃいましょう!」
赤く円い髪飾りを、慎重に外してブルーにならった。チェック柄のパッチン留めで、とどめをさすのだ。
「世の中に、やまと歌を! ふみか・いおんコラボレーション!!」
いおんブルーの発射した空気の弾が、複雑な立体図形を作る。薄い露草色の気体が化けたものは、二挺のはさみを主たる五組十本足の、甲殻類に属する生き物だ。空気の枠内に雨を湛えた、水の蟹ができあがった。
「アルコールを、加水分解するよ!」
「体内の、アルコール代謝は…………」
加水分解ではなく、酸化反応です。お酒に含まれるアルコールは、正しくはエチルアルコール(CH3CH2OH)といいます。肝臓の中で、アルコール脱水素酵素によりアセトアルデヒド (CH3CHO) に分解されます。次にアセトアルデヒド脱水素酵素 により酢酸 (CH3COOH) に分解されるのです。酢酸は、最終的に水 (H2O) と二酸化炭素 (CO2)に分解されます。
「すみません、一般教養で生物受けているんですけど、語感がかっこよくてこの際だから決め技っぽく使いたかったんです」
「意味、不明……です」
「戦闘の恥はかき捨てなんですよ! えいやあー!!」
パッチン留め「ことのはじき」を、人差し指で弾いた。蟹の甲羅にとぷんと入り、「ことのはじき」が緋色に光る。
「発進……です」
レッドの武器が核となり、水の蟹が重々しく縦歩きを始めた。はさみで器用に、おなかを丸くした猿を包むと、懐に沈ませた。
「蟹洗濯機で加水分解だ! 時短をさらに短縮して、いくよ!」
ゴリラ、チンパンジー、アウストラロピテクスも混浴できるだろう蟹怪獣の腹部が、泡立つ。泥酔した白い猿が、泡ともども激しい回流にもまれた。
「五、四、三、二、一…………」
ブルーの秒読みが終わると、蟹は水しぶきとなって解体された。橋にはヒロインズと、念入りにすすがれた猿が残る。お猿さんは、エチルアルコールと洗濯槽で、飽きるくらいに酔ってへろへろだった。風船のようなおなかをさらしたまま、毛と同じ色の煙をあげて現にさよならしたのであった。
「勝ちましたね、唯音先輩」
戦いが終わったら、ヒロイン名では呼ばなくなる。どうしてだろう。これもある意味、課外活動だからかな。
「……………………」
先輩は合羽のずきんをずらし、前髪を乱れを直した。ちょっとおでこが見える程度に分けるのが、重要だとか。
「ばーん!」
「ひゃほー☆」
華火ちゃんと萌子ちゃんが、唯音先輩にかぶさった。骨折しやしないかはらはらだったけれど、ご無事だ。甘えられるのに慣れているものね。
「雨、あがったなぁ。ふみちゃん、お疲れ様」
「夕陽ちゃん、ありがと。う、あいたたた……」
「ほっぺた、腫れてるわぁ。共同研究室で保冷剤いただこな」
そうしよっか。でも、暗い気分じゃないんだ。唯音先輩の役に立てたと思えば、ね。
「蟹さんでお猿さんを、て、昔話で着想を得たん?」
「え、えーと、私というか先輩が」
未成年組を適当にかまってあげている原案者に、訊いてみよう。
「かにみそ、食べたかった……です」
夕陽ちゃんとずっこけた。し、渋い、渋すぎるよお……。
「姉ちゃんは、あて系が好きだからなっ。いかげそだろ、冷や奴だろ」
「いけない……ですか」
「いけナクないデス、ヒロインズデータ登録モノっスよ☆ 萌子、おさエテおきマース」
「うちのもかまへんかなぁ。卵料理なんやけど、オムライスとカルボナーラがぁ」
「はなび様は、きゅうりなっ! あと、メロン、うなぎっ!」
皆の話を、もっと、ずっと、聞いていたくなった。人を避けていた頃の私には、想像がつかないだろうなあ。ひとりで頁を旅するのは楽しいし、続けてゆく。並行して、誰かと同じ道を、おしゃべりしつつ歩いてもゆきたいんだ。
星があちこちで瞬いている、晴れた夜空にしみじみしてしまった。




