第八番歌:しるしなき物思ふ(二)
※本作では、二十歳を成人としております。もちろん、十八歳に引き下げられても、飲酒・喫煙は二十歳からです。
二
「ツッチー、グッジョブでシタな☆ オカげデ変身デキたっス」
「嘘ついてもろたけど、安達太良先生のためやもんなぁ」
「仰天不愧っ! C号棟の前に二〇三をあたったら、ヒロイン服見つかったーっつーことでいけんだろっ。あと、助手のなんつった? しずがたけか、カッパ貸してくれたよなっ」
「華火ちゃん、そ、それ七本槍だから。倭文野さん、だよ」
「助手サン『女の子に冷えは大敵よ!』テ、めちゃアドバイスしテまシタ。コレ、サイン入リっスよ、王朝文学講読会ノ」
「全盛期の備品ちがうかなぁ。倭文野さんは元会員やったんよ。指南役されてはる土御門先生のご愛用マグカップも、ロゴあったわぁ」
「もはや、しもべだよね」
「きたキター、ふみセンパイのスパイシー発言イたダキまシター☆」
作戦はうまくいき、私たちは専用の衣装で変身(隊の用語で、お着替え、なんです)して研究棟を抜けた。女子の学生服を隊員ひとりひとりに合わせて改造した、歌って踊れそうな、顧問が手作りした衣装だ。
「どわ、水たまりかよっ。つま先しみるじゃねえかっ」
「意外デス、はなっちハ泥ンこデモへっCHARAカト。ワイルドじゃナイっスな」
「てめえなんざ、下宿先にカビかキノコ栽培してんじゃねえの? 建前は山ガールか、ゆるっとサバイバルってか。汚部屋ガールあきこ」
「ああん? 本名NGだっつーのバカチン」
「やるかっ!?」
いつだってぶつかり合う華火ちゃんと萌子ちゃんを、夕陽ちゃんが仲裁する。
「えぇ加減にしぃや。けんかしに急いでるんちがうやろぉ」
「……おうよ」「ハイ……」
団結しないといけないんだから、仲良くね。
「猿、発見……です」
目的を忠実に成し遂げようとしている唯音先輩が、貴重なひと言をくださった。校舎内の横断歩道を越えた、A・B号棟側の路に、相手が待ちぶせをしていた。
「こいつだなっ、よっしゃ捕獲してやらあ!」
指の関節を鳴らし、クラウチングスタートで猿まっしぐらで快走する華火ちゃん。最短時間で解決なるか!?
「ぬおっ!?」
ぎゅっと抱きしめたのは、お猿さんではなく、自分の体だった。
「不義不正っ、ずっこいぞっ!!」
相手は、なぜか距離をおいてしゃがんでいた。ばかにされているようにとったのか、華火ちゃんは怒っていた。
「夕陽ちゃん、今のって」
「霧のようになって、逃れたんやな。うちにもよう見えたで」
篠突く、車軸を流すように、では全然足りない雨に形を変えはじめた。雲は石膏なんじゃないかと疑うくらいに、重くて硬そうだった。
「一時の方向、走った……です」
「校舎アウトしマスよ! 君下校シ給ふコトなカレっス!」
終わったら即お風呂を覚悟して、五人の女子は白い猿を追った。おしりも徹底して白だった。
言い切れる、空を号泣させたのは、顧問のまゆみ先生のしわざだ。
共同研究室には、教員が四名残っていた。二名は眠りこけており、あとの二名は「七の賢しき人」の札が貼られた一升瓶を半分まで減らしていた。
「べっぴんさんの秘書に人払いさせよって。縁結びの占いでもしてほしいんかえ? 初さんや」
漆塗りの杯をおもむろに回し、土御門先生が訊ねた。
「縁は、寄りかかるものさ」
近松先生は、左で持ったお猪口を飲み干す。
「部下の森君に、膝掛けとタオルを頼んだのだよ。額田さん達は、すすんで付き添った。裏を読みすぎているのでないかい」
右で、朱い杯にお酌をしてやる。異性が惹かれてやまぬ顔が、険しくなった。
「戦に、行かせたね」
翻刻の翁は、茂っている眉をなでた。
「なっとらん報告をしたそちに、言われとうはない」
「偽ってなどおらぬよ。呪いのものを討ったことに、私は関わっていた」
「娘らがおったんやろ。初さんに呪いは解かれへん」
古の本朝で盛んに用いられた、万の望みを叶える術。または、万の理を超えた奇跡。すなはち「呪い」。かつて本朝ではさかんに使われてきたが、当世では廃れつつある。
空満大学で呪いによる事件が、発生していた。同僚(忍者みたいに身を隠しとる国語学のにやにや坊)によれば、今年の神無月が初めであった、と。そして霜月、日文の緊急教員会議で、近松先生と森先生が事例を報告した。演劇部の活動中に出現した林檎型の化け物についてだった。
「学生に要らぬ苦労を、かけてはならぬだろう」
「呪いは拙者に任せろ、学び舎の平和を守った手柄で学長に就任でござる、かや。士族の考えそうなこっちゃ。チャンバラ断ちで毎日つまらへんねんやろ」
「室内遊びで明け暮れる華族殿に、高き志は持てるまい」
酒が進む。国民みな平等といえども、帝をお支えする華族と、武を極める士族は息づいている。二人はそりが合わないのではない。研究機関である空満大学に長く勤める者同士のひねくれたおふざけに興じているのだ。
「土御門さん。お嬢さんが玩具で呪いを討てるのかね。目の当たりにしたのだが、未だに信じられぬよ」
「行使できるのや。自覚しとらへんがな。寄物陳呪の類とは、ちと離れとる。嵐は、正義の味方がやっつけてくれますぞ。わたしらは果報を待てばええ」
裏の仕事は、ぼちぼちするもんや。長椅子をひとり占めしている、白いスーツの「お嬢」に心で話しかけた。
宗教学部と文学部が交替で果たしてきた、呪いへの対策。幾年かして当番がどちらだったか分からなくなった。宗教学部は、空満神道校とのやりとりで忙しいと言い訳をし、文学部の歴史文化学科は、国原キャンパスの地下に眠る遺跡の調査で立て込んでいるなど渋っている。こうなれば日本文学国語学科がやってやるわい、と開き直った。事件を解決し、行使者を捕まえれば完了だ。
「己は楽をして、行使者を探すつもりかい」
「あくまで忘れ物のためや。ふぉっふぉっふぉっ」
好きにならぬが、嫌いでない。近松先生は、同僚を一瞥して足を組み、椅子に身を預けた。
白い猿は、四足でA・B号棟を通り越し、走りゆく。日本文学課外研究部隊は、裏門に誤られがちな正門を過ぎた。二本の、角が欠けてみずぼらしくなっている石柱が、大学と街の境目を果たしている。
「やつ、橋んとこで止まったぞっ」
先頭の華火ちゃんが、相手を指差した。欄干の柱に、銅像のふりをしている。御剣川にかかっているので「御剣橋」だ。内嶺県が本朝の都だった時代に、この川で、神に捧げるための剣を清めていたそうだ。
「萌子タチにモ、雨ガード機能欲シいデス。ニーハイ被弾シテ、ベチャベチャっスよ」
「レインコートをお借りできて、ありがたいんやけど……。メガネの曇りは、どないもでけへんなぁ」
雨は、猿を丁重に扱っているのか、それとも畏れているのか。猿のみが、晴天に恵まれているようでならないね。
「あなたは、まゆみ先生の力が生み出したものなの?」
座りこんでいる猿は、鳴く代わりに小ぶりな土器を橋に投げ捨てた。割れたら危ないでしょうが、と物申したくなったが、不思議なことに、着地しても形はそのままだった。拾いあげると、底に字が入れられてあった。
さやう 汝らに戦ひを 挑む
「勝ったら、大雨と風が治まるんだね」
かはらけで意思を伝える猿は、三枚投げて「さ」「や」「う」と答えた。
私たちの顧問・まゆみ先生には「特別な力」が宿っている。黄泉に旅立った家族を生き返らせたため、償いとして負わされたんだ。先生は、当時の記憶を失っているため「特別な力」についてはご存知ではない。さらに、制御できないため、急に暴走させてしまうのだ。「特別な力」とは、「引く」力。あらゆる物事を「引き」寄せ、「引き」つけ、「引き」起こす。最悪な天気と風変わりな猿は、先生によるものだ。なお、力を発動すると、まゆみ先生は眠りに落ちてしまう。
「皆、いくよ!」
『ラジャー!!』
力の暴走を鎮められるのは、私たち日本文学課外研究部隊……いや、お騒がせな顧問が考えた愛称にしよう。その名も、
「やまとは国のまほろば! ふみかレッド!」
「原子見ざる歌詠みは、いおんブルー……です」
「花は盛りだっ! はなびグリーン!」
「言草の すずろにたまる 玉勝間、 ゆうひイエロー!」
「こよい会う人みな美シキ☆ もえこピンク!」
『いざ子ども 心に宿せ 文学を! 五人合わせて……スーパーヒロインズ!』
白き猿との戦に勝ち、空の乱れを和らげよ。
―いざ、戦闘……………………
五枚のかはらけが宙を舞い、各ヒロインの手に受けさせた。
験なき 物を思はずは 一坏の
「…………?」
いおんブルーは、器に記された文章の意味がくみ取れなかった。水がなみなみと入っているが、飲めと言いたいのだろうか。
賢みと 物言ふよりは
「まゆみ先生の講義で詠んでいたような」
『萬葉集』の和歌、なのは確実だ。中の水は、様子を見た方が無難だと思う。嫌な予感がするふみかレッドであった。
人をよく見ば 猿にかも似たる
「おちょくってんのかっ!?」
生物の授業で、猿と人は同類だと習ったけれども。先攻で罵詈讒謗するたあ、たいしたもんだ。はなびグリーンは、がくがくしてきた足をひっぱたいた。
世の中の遊びの道に
「一回生の皐月二十八日『上代文学研究A』やわ」
『萬葉集』巻第三の、第三三八番歌から第三五〇番歌、ゆうひイエローの記憶が、きらめきを保ったまま浮かんでくる。かはらけに注がれているのは、歌の一節からして、お酒ではないだろうか。
この世なるまは 楽しくをあらな
「明ルいクらしハ、大事っス☆」
猿は、楽しい戦いを望んでいるみたいだ。橋を渡りきるまでに器の水をこぼしたらアウトのバランスゲームを想像してみる。もえこピンクは、抜こうとしていた杖「麗しのカムパネルラ」をそっと戻しておいた。
「レッド、お酒飲める?」
「この間の誕生日にちょっと。どうして?」
ごめんイエロー。あまりにも唐突だったので、つい。
「器に書かれてるんは『太宰帥大伴卿酒を讃むる歌』やったんやよ」
「あ、あれかあ」
大伴旅人が詠んだ十三首か。まゆみ先生が仰っていたなあ、お酒があって、論文の山を築けたの! 私の燃料よー! ってね。
「お猿さんは、飲みくらべで勝負したいんとちがうやろか」
「私は自信ないよ。イエローは?」
「甘酒やったらなぁ。お外では飲んだらあかん決まりやねん」
両手をあわせて、堪忍なぁと謝られた。しかたないよ、よその教育方針を曲げさせてまで勝っても、後味悪いもの。
「あたしは宴会で慣れてっぞーっ! じいちゃんが練習だっつって」
「ピンク、学科団ノお花見デぐいグイいキまシタ。アルコール耐性アリっスよ☆」
未成年二人組が、やりまっせアピールをされているのですが、常識あるおとなとして、イエローと私が一喝させていただきます。
『お酒は二十歳になってから!』
まゆみ先生に聞かれたら、チョーク千本ノックの刑もしくは、愛の鉄拳ですよ。
「四捨五入したら二十だっての、なあ桃色っ」
「イエス、みどりん☆ オ説教ハ、勧メタ学科団のセンパイにシテくだサーイ」
あー、はいはい。かしこまりました。強風で耳にぎりぎり届いていなかった、にしておくから、次はやめてよね。
「ごちそうさま……です」
うなる水音の間を縫って、あっさりした声がレッド、イエロー、グリーン、ピンクを打った。長身の成人女性が、かはらけを空にしたのであった。
「ブルー、飲んじゃったの!?」「それは、お酒ですぅ!」「センパイ、いケるクチっスな」
相手は、ようやく勝負を受けてくれて、喜んでいる。器用に欄干へ置いたかはらけで二杯飲み、ブルーの器に再び澄んだ酒を与えた。前足で柱を踏めば、器に酒が湧くらしい。「引く」力は、いつもありえないことを容易にやってのける。
「あーっ!!」
「グリーン、どないしたん!?」
「肝腎肝文なこと、忘れちまってたっ!」
汗なのかしずくなのかもうごちゃごちゃになったものが、グリーンの頬や首に垂れていた。
「伯母さん、青姉にお酒は飲ますな危険だっつってた。あの冷酷無情の伯母さんが、銷鑠縮栗してたんだっ……」
かはらけが一枚、高い音をたてて割れた。ブルーの足元に、破片が散らばる。「験なき 物を思」が、粗い波紋で濁ってみえた。
「中毒ナんスか? ダっタラ、ガチでヤバいっ」
ヒュン
「ス…………よ!?」
高速の蹴りが、ピンクの合羽ずきん部分をめくりあげた。長い黒髪が、暴風雨のえじきにされる。
「CH3CH2OH」
回し蹴りが、白い猿へ迫る。だが、猿は反対側の柱に飛び移ってかわした。青い衣装をまとった、高身長で薄い身体がとぼとぼ歩く。
「CH3CH2OH CH3CH2OH」
取り憑かれたような、化学式の怒濤。ブルーの理性は、お酒に奪われてしまったのだろうか。
「CH3CH2OH CH3CH2OH CH3CH2OH!」
両目を見開き、創造したとっくりに吸いつく猿を狙い……ブルーは、雨天に跳んだ。
―いざ、戦闘開宴。




