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第七番歌:翻刻の翁ありけり(四・結)

   四

 借りができちゃってすっきりしていないけれど、真淵先生の情報で翻刻がさくさく進んでいるのは事実であって。えーと、「心佐加之幾毛乃祢无志天以无」は「心さかしきものねんじていん」だね。あ、注意点に、濁点・半濁点は不要、だったから「ねんして」だ。

 あと三行! 「登寸礼」この直後が分からない、飛ばそう。「本加左末阝以幾个礼八」ね……「とすれ□ほかさまへいきけれは」うーむ。弓を射ようとしたが、よその方へいったので、と訳せる。逆接の表現が入りそう。「すれども」なら自然なんだけれど、「ども」にあたる漢字が一文字……。持ち込み可のかな字典を引くか。だ、だめだ、字母(じぼ)(ひらがなの元になっている漢字のこと。「か」の字母は加・可・閑など。数種類の場合もあるから複雑なんだ)を調べる用だった。ども、濁点とって、とも。「友」か「共」だろうな。おっと時間は? 左腕の通信機は時計機能付きだが、操作音を消す方法をうっかり忘れてしまったので、教室の掛け時計を確かめよう。

「ん?」

 秒針、止まってますけど。え、こんな時に限って壊れたなんて冗談やめてほしい。

「隊長、隊長!」

「ピンク?」

 試験中だよ、会話は禁止だってば。

「皆サンの様子ガ、マネキン状態っス!」

 ど、どういうことよ。しまった、起立しちゃった。答えを書いている音が、全然しない。試験を受けている人たちが、器用にだるまさんが転んだ、やっているではありませんか。あ、土御門先生、扇に出席簿乗せてバランス運動していらっしゃったんだ。

「キャンパス全域、フリーズしてマスよ」

 窓に身を乗り出して、ピンクが教えてくれた。十四時になったら空満市はお祈りで、やっていることを中断するけれど、信者ぐらいだ。それに、今は十六時を過ぎている。

「こういうとんでもないことする人は」

 空の白さで、確信した。まゆみ先生の「特別な力」が発動したんだ。

「おそラク戦闘始マッてマス、赤隊長、レッツゴーっスよ!」

 待たれい。もえこピンクの華奢な腕をつかまえて、席に着かせた。

「問題を終わらせて、行くの」

「ほにょ? ピンク、デキてマスよ?」

「え、えー。私、まだなんですが」

「デハ、至急解イテくだサイ!!」

 ラジャー。倍速で片付けよう。あ、れ、も、た、た、か、は、て、心、ち、た、ゝ、し、れ、に、し、れ、て、うわまたつまった。「守りあへり」だったよね、本文丸覚えの勉強していた甲斐があった。では、この漢字は「守」で……。いけない、あの「ども」をほったらかしにしていた。ええい、こっちに決めた!

「できた!」

 振って芯を出す型の鉛筆を適当に置いて、ピンクと教卓へ試験用紙を提出した。解けたら終了まで待たなくても帰ってよかったものね。

追試(たたかい)ノ後ハ、戦闘(たたかい)っスよー☆」

「それ、夜に天誅を下す勤め人だよ」

 イエローたちは、あおぞらホールで待っていたよね。場所は、A・B号棟の近辺のはずだ。土御門先生、ごめん。対決の結果は、まゆみ先生をなんとかして、改めて伺います!


「―正義の味方、出動かや」

 二人のヒロインが教室を去って間もなく、教壇で翁のものらしきつぶやきが滴った。学生の出欠を記録する冊子に敷かれた、(あて)なる字が目を引く扇が、ゆっくり傾けられていた。






「不気味な光景だよね……」

 駆け足で校舎を出たものの、人々が置き物になっている広場は、なんだか寒気がする。命が石と化したような……。小学生に読んだ星座の物語で、王妃が娘の美貌を褒めすぎて神の怒りにふれ、海獣に襲わせたんだ。海獣をおとなしくさせるには、娘をいけにえにしなくてはならなくて、泣く泣く捧げたのだけど、勇者がやってきて恐ろしい魔女の首を海獣にかかげて、石に変えたんだっけ。

「アタかもメデューサの呪イっスな。センセの所業トハ信ジラれまセン」

 先月は、私たち以外の人を切り離していたのに。「引く」力が、さらに影響を及ぼしているの……?

「赤隊長、月デス! 張りボテの月デスよ!」

「あそこに浮かんでいる影は、たぶん、まゆみ先生だよ。あ、屋根にも誰かが」

「黄色センパイ、青センパイ、みどりんデハ!?」

 いったい、どうやって登ったのよ。そもそも、立ち入って構わないの? つい常識面にツッコミするけれども、どうやら叶えられるそうだ。

「ぎにゃー!! 引力激ヤバじゃナイっスか!? うきゃ、パンティもろ見エ危険!」

「ちゃんと重ね履きしようよ」

 未確認飛行物体に連れ去られる気分が、味わえるなんてね。呼び出しているのは、偽の月なんですけど。遊園地に、高くまで持ち上げられて突然落下する遊具の、落ちない版かしら。ごめん、灯籠だったのか。日文作かな。

「でも、手間が省けた!」

 月光に案内され、時代劇のお屋敷みたいな瓦葺きの屋根に着いた。まゆみ先生由来というのもあってか、降ろす際は安全に注意してくれた。

「試験、済んだんやね。レッド」

「うん、どうしたの? なんで、揃って目隠しを」

 西瓜(すいか)のように丸いといえども、月は割れない。

「やつを狙おうとすりゃ、攻撃をミスっちまうんだっ。んで、見ねえようにしたんだけど」

「距離が、遠い、技が、届かない……です」

 グリーンは表だって、ブルーは裏に潜めて、疲れていた。

「月ノ斜メ上ヲ当テルつもリデ、アタック☆ ハどーっスか?」

「だーかーらーっ、月に届かねえんだってのっ!」

 いらだって、グリーンが片足でその場を踏み鳴らした。

「遠くへ飛ばせる技があれば、いけるんだよね。合体技で新しく作って……」

「あるわぁ!」

 巻いていたリボンを勢いよく外して、イエローが叫んだ。

「まほろばコンクルージオンや。白鳥さんの翼で月を越えるんやよ!」

「あ、ああ、白猪を倒した五人の一撃」

 山の化身を破った、渾身の技だ。対抗するのに申し分ないね!

「じゃあ、やりますか」

『ラジャー!』

 一生懸命に作った人には悪いけれど、終わったら元通りになるから、ご堪忍を。直接壊すんじゃないの、ちょっとかすらせてもらうだけ!



―いざ、反撃開始。



「やまと歌は天地を」「世の中を」「秘めた花を」「疑いを」「アツき血潮ヲ」

『何だって動かせる!』

「ふみか!」「いおん……!」「はなびっ!」「ゆうひ!」「もえこ☆」

『まほろばコンクルージオン!!』

 閃撃(せんげき)・ふみかシュート、砲撃・いおんキャノン、爆撃・はなびボンバー、絞撃(こうげき)・ゆうひジャッジメント、装撃(そうげき)・もえこチェンジが、穢れなき白の光となって、果てしなく空を旅する雄大な鳥が生まれ―、

「てない!」「不発……ですか」「マジかよっ!?」「なんでぇ」「ノーウ!!」

 勝利を期待していたヒロインズに、大学祭のために製作された月が、ぼうっと光る。神々しい輝きは、慈悲ではなく、ヒロインズの周囲に槍状の竹を大量に恵んだ!

「奇怪千万っ! おいっ、竹が伸びてくるたあ、構造しっちゃかめっちゃかだろっ!」

 跳躍、側転、宙返り、そして跳躍っ。所有の山で鍛えられた身体で、グリーンは生えてきた竹槍を軽く()ける。

「失敗の、原因は……?」

「反省は大切ですが、振り返る場合ではぁ、ひやああ!」

 熱量の消費を抑えて、効率・要領よくかわすブルー。体育の実践が苦手なイエローは傷つかぬよう、頑張りに頑張って安全な所へ逃げていた。

「根ッこハ、細イんスかね!」

「は、萩原朔太郎のこと? わわ」

 踊るように、ピンクは太い竹の求愛を断り、レッドは彼女の見よう見まねを、体力が許す限りにやってみる。月と竹は、翻刻でこりごりだ。

「羽衣デ、天人フライトしてみタイっスよね」

「うわ、と、と。あのね、小説じゃあるまいし」

「ピンク、本気っスよ」

 こしのある、平安の姫君がうらやむだろう黒髪が、月になびく。

「隊長、コラボしまセン? 翻刻デ育んダ絆、解キ放ツ(とき)デス☆」

 パステル調の桃色で染められた手袋を抜き取って、握手を求められた。

「小説ハ楽シ、デモ、事実ニしタラなお楽シ☆」

「…………面白いね」

 私も、なんの色も飾りもついていない手袋を、上着のポケットに入れて、素手どうしで結びあった。

『アツくふれる、やまと歌! もえこ・ふみかコラボレーション!!』


 もしも翼が授けられるのなら、私は、迷わず空へ目指すだろう。高校の英語で習った、仮定法みたいな表現だなあ。海を渡りたいとも、外国人とお友達になりたい(本朝のお友達すらまともにできないので、まず無理)とも思わなかったので、成績は五段階の二寄りの三だった。学校で歌う曲にも、あるでしょ。翼をもらうのが願い、って。音楽は、楽器はまあまあ、歌はあんまり。大学には必修の英語はあるけれど、一回生に単位取れば、もういらない。音楽は自由選択だからやめた。でも、まだ頭に残っている。そして、

「翼が、付いている」

 まほろばコンクルージオンの鳥と同じ、白くて大きな翼が、皆の背中にできていた。

「すげえ、あたし、空を飛べてるぞっ!」

「理屈が、分からない……」

「ブルー先輩、素直に受け入れましょう。飛ぶんは羽におまかせできますよぉ」

 まっすぐ伸びる竹でも、空に進めたヒロインズのところへは、追いつけないようだ。

「赤隊長&ピンクが機長ヲ務めマス、レッツ、イマジネーション月旅行へ☆」

 羽衣が、ピンクの願望に応えて鳥の翼になった。まあ、いずれも天の使いなので『竹取物語』に沿っているでしょ。

「安達太良先生は、うちが!」

 イエローが、リボンをうんと長くさせて先生へ投げた。細い腰に何重にも巻きつき、こちらへ引き寄せた。

「月は、じゃねえなっ、ちょいずらしたとこを、あたしと青姉でどっかんっ!」

「そいツハ、できナイ相談デスな」

 私の両肩をつかんで、グリーンの前に出した。と、とどめの役を任されたんかい。

「コラボの続キっスよ☆ 隊長、アルティメットやったコトありマシたよネ?」

「去年の必修体育の、導入部分でね」

 羽をひとひら抜いて、ピンクがそれに息を吹きかけると、緋色と撫子色で模様が施されたお盆に形が変わった。

「フライングディスクっス☆ 今宵ハ投ゲテ、けりツケちゃッテくだサーイ☆」

 放られた円盤を、抱くようにして受ける。弾くのは、やや自信ありなんですけど、アルティメットは…………援護ばかりさせられていて、実は物足りなく感じていたんだよね。

「けり、つけさせていただきます」

 くぼみや隈が、どこを探したって無い、自ら明かりとなっている月は、大学祭で鑑賞される方が、本望に決まっている。円盤が、語りかけているように思う。ならば私は、あなたに代わって言の葉を茂らそう。

「寒し冷たき望月よ、我らが心を以て、かたぶかせん!」

 かぐや姫のふるさとに翼を振るわせ、恥じらいを捨てて円盤を投げた。(ブー)去来器(メラン)になってと願って、倒したい衛星にふれそうな辺りへ飛んでゆく。白い雲を暗くさせてしまうほど、くっきりした色の円盤は、赤いヒロインが恋しくて、灯籠を突き破ってまで帰ろうとする。

「おかえり」

 円盤は、ふみかレッドの手につつがなく戻ってきた。風穴があいた球体は、群雲に溶けこむようにして、退いたのであった。

「逆転勝利っ! 赤、でかしたぞっ!!」

 あたしはやってくれると信じていた、と褒めてくださるグリーンに、ピンクはにやにやさせて、ひじで小突く。

「センター奪わレテ、ぷんすかダッたクセに☆」

「あんだとーっ!」

 二人の仲睦まじい喧嘩に、イエローとブルーは温かく見守っていた。

「先生の力、止められましたねぇ」

「…………です」

 人類初(?)羽を生やして飛行したヒロインズ、本日も快勝なり!

「あ、あの」

 いまいちノりきれていない隊長が、申し訳なさそうに言った。

「つ、翼、消えかかっているんですが」

『!?』

 合体技で賜った白鳥の翼が、あえなく夢が覚めたごとく失われていった。ヒロインズと眠りこけている白スーツの張本人は、空にたゆたっていたのでありまして。

「重力に、従う……」

「十中八九っ、落ちるっつーわけだよなっ!?」

「ソーリー、サービス終了デス。めンゴめンゴ☆」

「あかんて、真っ逆さまやで、生涯閉じてもろてえぇんか!?」

「は、はは、はあ、えぇわけある!?」

 三、二、一、数えるのがあほらしくなるくらいに、落下が始まった。危機対策の本を、読んでおけば……いやいやいや、飛行機の事故に巻き込まれたら、なら載っているけれど、空を自由に飛べなくなったら、はありえないでしょ。何かつかめるところを探して……瓦は、雨樋は!? ああー、通過したあ!

「どうして私が、こんなことにいー!!」


寄物(きぶつ)(ちん)(じゅ)(とう)(せん)(きょう)(まきの)十一・花散里(はなちるさと)


 みかんの香り……? でも、丸っこい実じゃなくて、五弁の花が…………たくさん。祖母宅の居間、冬の、毛布まみれのこたつを思い出させる、懐かしい香りだ。祖母はこの世を去って会えないけれど、みかんと、この白い花が、心の世で蘇らせてくれる。風に運ばれて来たる花の舟々に祝われて、私は安き眠りについた。遠くで、おじいさんが呪文を唱えていたのかな。中古文学の先生にそっくりな声だった…………よ。



「ふみちゃん!」

 友人にはたかれて、我に返った。私は、空満大学の国原(くにはら)キャンパスA・B号棟の広場に、しっかり地面にいる。

「無事だったんだ……」

「やばいって、目をつむろうとしたらよ、花びらがすげえ出てきて、受け止めてくれたんだっ」

 華火ちゃんが、身振り手振りをまじえて九死に一生を得た瞬間を語った。

「柑橘の、香り……」

「シトラスアロマで癒ヤサれ、ぐっスリっスよ。花ビラは落チテまセンが、萌子タチ健在デス☆」

 うん、健在で何より、だよね。唯音先輩、萌子ちゃんも同じ体験をしていたんだ。

「夕陽ちゃん、覚えている? 花散里がどうとか」

 おじいさんの呪文、私はうろ覚えだけれど、夕陽ちゃんは完璧に答えられるでしょ。ところが、首をかしげて、

「ごめんなぁ。うち、知らへんわぁ」

「そ、そっか」

 幻だったのだろうか。翻刻で頭を使いすぎてしんどくなっていたのかもしれないね。ん、翻刻―。

「土御門先生との勝負!」

 広場を歩いていた人が、びっくりしていた。すみませんでした。まゆみ先生の現象を終わらせて、時間の止まりも解かれたみたいだ。

「センパイと萌子の分ハ、即採点デシたよネ? 結果、ドキドキっス……!」

「ほいじゃあ、結果の発表といきますかな」

 日文のお約束、先生の噂をすれば、ご本人がおそばに登場。笛を吹くよりも効果てきめん。「雅そのもの」を豪語される、翻刻の翁・土御門(つちみかど)隆彬(たかあき)先生です。



    結

 丸つけほやほやの答案が、配られる。さて、日本文学課外研究部隊の点数は……?

「ふ、ふ、ふ、ふひゃあー!!」

 歓声か、悲鳴か。試験用紙ごと萌子ちゃんは激しく震えた。

「あきこ、てめえ(けつ)ったんじゃねえだろなっ?」

 欠る、久々に耳にしましたわ。平凡な公立高校に通っていた私は、「俺、二欠」「へっへー、こちとら四欠」と男子が話していたのを、自転車複数人乗りで競っているのかな? って本気で勘違いしていた。内嶺(ないれい)県の教育委員会は知るよしもない、虚しい比べっこである。

「大和は、五十引く二点やったな。ふぉっふぉっ、隊長の貫禄っちゅうもんかや?」

 さらりと公開せんといてくださいよ。濁点をいらないのに付けていたので一点、「心さかしきものねんじていん」の「いん」は「いむ(射む)」だったため一点減らされた。字母「无」は「む」でも読める。土御門先生は文脈をたどって考えさせるものなあ。

「萌子さんの、点数は……?」

「むふ、むほ、むふふ、むほほほほ!」

 怪しい笑いの後、萌子ちゃんは左手で顔をおさえて、右手の答案をメデューサの首みたいにして高々と上げて見せた。

「天変地異っ、満点かよ!」

 下部に、アラビア数字で五十、二重線。どうして急に成績を伸ばしたの? 喜ばしいんだけれども、ねえ。

「萌子、ゆうセンパイに、零点ノ意味ヲ教ワッたんスよー☆」

 背後から抱きつかれて、夕陽ちゃんは少し苦しそうにせきこんだ。

「真淵先生のアドバイスで、ぱっと分かったんやわぁ」

 そういえば、図書室で萌子ちゃんの零点を観察して「勝てる」「ひとつ我慢してもらう」って言っていたような。

「翻刻に向いとっても、名前を正しう書かへん者は無条件で〇点や」

 名前……あ、なるほど。萌子ちゃんは、学生生活の名前を記入する場面で、「与謝野・コスフィオレ・萌子」を使ってきたんだ。

「他の先生は甘やかしとるようやが、わたしはごまかされませんぞ。考えてくだされた親の思いを粗末にしてはならん」

「ハイ」

 答えが合っていても、本当の名前を書いていなかったら無効ということだ。

「コレからハ、気ヲつけマス」

 明るい女の子に育ちますように。清き明き心でい続ける子でありますように。萌子ちゃんの親がどういう由来で付けたんだろうね。

「わたしの負けですな。約束の通り、炬燵は譲りますぞ。正義の味方と単位は、そちらのもんや」

 つまらへんな、そう仰いながら扇をゆっくりあおがれていた。言葉とは裏腹に、充足されているご様子だった。

「して、正義の味方らや」

 風おこしをやめ、土御門先生はヒロインズを見すえた。

「安達太良嬢を、よろしうな。そちら、お嬢のために戦っとるんやろ」

 枯れ葉が、ヒロインズと先生の足元を通り抜ける。

「わたしが担任やった頃のお嬢は、黒ずくめの、本の虫やった。教師に就いて、白うなりおって。教え子の変化に気づけても、わたしには救ってやれる(すべ)を持っとらへんのや」

「私たちには、あるっていうことですか」

 言うまでもありませんな。年を経た()が、うったえていた。

「お嬢は、神さんに通じとるんやないかえ……ちと余計やったかいな。潔う帰りまずぞ」

「まゆみ先生………………」

 長椅子で横にさせられている顧問に、枯れ葉が一枚、かかる。まだヒロインズが屋根で月と格闘している夢をご覧になっているのだろう。顧問には、私たちの戦いは単なる夢なのだ。誰のために円盤を投げていたのか、読まれなくてもひどいなんて思わないよ。異能を科せられたまゆみ先生の方が、無自覚でもつらいだろうから。



「……えらいこっちゃな」

 翻刻の翁は、暇になった手を千鳥格子の上着ポケットに入れて、冷えを(やわ)らげていた。

「時の流れを滞らせ、解けたら、範囲外の時との帳尻を合わせよった。寄物(きぶつ)(ちん)(じゅ)正述(せいじゅつ)(ちん)(じゅ)にも属せん、高位の(まじな)いや」

 (まじな)い―(いにしえ)の本朝で盛んに用いられた、(よろず)の望みを叶える(すべ)。または、(よろず)(ことわり)を超えた奇跡。物を介したり、言葉を唱えたりして発揮される。信心が薄くなった現代では、使いこなせる人間は数少なく、有ることもだんだん知られなくなっている。以上が、本学の宗教学部と文学部の教員が共有する情報である。

「空満の地で、行使されとる。新任やった頃より忙しうなりそうですな」

 一昨日の事例が報告され、日本文学国語学科における裏の業務が行われることとなった。第二体育館で人食い林檎が荒れ狂い、練習中の演劇部が被害に遭った。(まじな)いで()ばれた林檎は、弱点を突かれ食われた者は救出できたとのことであった。

 日本文学国語学科の専任教員は、呪いの騒ぎを収め、行使者を捕まえなければならない。裏といえども、仕事は仕事である。たとえ身近な者が行使者であっても、情けは許されんのだ。

「……まだや。安達太良嬢が行使したと決まったわけやない」

 安達太良まゆみは、すぐれた(ふみ)読みにして、呪いの使い手でもあった。『萬葉集』の歌を詠み、望んだ効果を揮っていたものだ。約二十年経ち、詠唱の威力が段違いに増していた。只人を超えた、が適切だろう。教え子の実力ならば、物を浮かせ、一定の範囲に流れる時を停止させ、竹やぶの創造は容易(たやす)い。

「偶然、呪いが及んでいた場におったんや。お嬢がそないな悪戯(いたずら)せえへん」

 学科主任には、学生が呪いを鎮めていたんは伏せとこう。わたしらの仕事に、娘らを混ぜてはならん。そっとしといたるんが、花ちゅうもんや。

「『スーパーヒロインズ!』かや。吉でセンスええ名ですな」

 翁は、雅やかな扇子を開き直し、夕月夜に舞を捧げたのだった。

〈次回予告!〉

 「仁科(にしな)さん、お酒は好き?」

 「あまり、飲んだこと、ない……です」

 「あらー、人生の半分損しているわよ!」

 「そう……ですか」

 「物思いするより、一杯飲む! かの七賢人もお酒が大好き! 文学を知るならお酒の味もよおく分かっていないとダメよー」

 「……………………」

―次回、第八番歌 「しるしなき物思ふ」

 「ところで仁科さん、その大きなビンはなあに?」

 「メタノール……です」

 「お洒落な名前ね。いただいてもいいかしら?」

 「失明覚悟なら、いい……」

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