第七番歌:翻刻の翁ありけり(三)
三
空満大学のみならず、ほとんどの大学は、自由な服装で登校・受講・下校して構わない。萌子ちゃんが例を見せてくれているでしょ、絶対天使、猫耳のメイドさん、孤高の魔道士他多種。私は通って二年目になるけれど、体操服は体育学部があるし運動部は放課後の着替えがおっくうだから最初から着ている人は多い。ちょんまげを結って袴で歩く歴史文化学科の人、色水が流れて発光する管を巻きつけたようなワンピースで生きた作品を発表する芸術学科の人もいるし、鳥の巣みたいな頭、もはや下着、宇宙人、図鑑を作れそうなくらいだよ。
テスト、追試も好きな格好で受けられる。さすがに英語のテストで英字の物、地理で地図が染めつけられている物は控えるが。だからといえども、ですよ。
「どうして、ヒロイン服で受けなきゃならないのかなあ」
課外活動用の衣装で追試に臨む団体が、あります? 無いでしょ。
「萌子、アリだト思いマスよ☆ テンション上ガルじゃナイっスか」
「いや、萌子ちゃんは普段よく着ているから言えるのであって」
元が美しいあなたはいいよ、受付嬢みたいな小さな帽子、ちょうちん袖、フリルの膝上丈スカート、ニーハイソックスっていうんですか、長い靴下、で、ピンク色。かわいいお召し物を難なく着こなせる萌子ちゃんと違って、私は。
「ふみちゃんもミニスカート似合うけどなぁ。蝶ネクタイも粋やし。赤て、難しい色なんやでぇ?」
「金魚、みたい、素敵……です」
「よっ、羞花閉月っ!」
あのねえ、赤は好きですよ。私が言いたいのは、容姿のことなの。夕陽ちゃんは、育ちが良くて清い交際を申し込まれそうじゃない。実際、日文の男子は鼻の下伸ばしているもの。唯音先輩は、背が高くて、手足が長くて写真うつりばっちりじゃありませんか。男装もいけそう。華火ちゃんは、運動しているからか無駄なお肉で困っていないよね。いわゆる美脚でもある。十人並みの私が、ヒロイン服で教室にいたら場違いでしょうって思うの。
「大和さんの持ち味を最大限に引き出した、私特製ヒロイン服に不満があって?」
「あ、いえ、ございません、はいまゆみ先生」
よろしい、と笑顔に含まれていた鬼気を胡簶に収めてくださいました。
「いい? この日は、日本文学課外研究部隊対土御門隆彬という名の合戦なの。戦いにはヒロインに変身して立ち向かうのが筋でしょ」
そんな力入れて説かれましても。顧問の司令あって、皆衣装に更衣じゃないな変身したのですがね。
「日本文学課外研究部隊の異名・スーパーヒロインズ! 初の戦闘よ! 点呼!!」
戦闘は既に経験済みですけれども、まゆみ先生には知らない話だ。では、点呼をば。
「やまとは国のまほろば! ふみかレッド!」
「原子見ざる歌詠みは、いおんブルー……です」
「花は盛りだっ! はなびグリーン!」
「言草の すずろにたまる 玉勝間、 ゆうひイエロー!」
「こよい会う人みな美シキ☆ もえこピンク!」
『いざ子ども 心に宿せ 文学を! 五人合わせて……スーパーヒロインズ!』
ううう、周りの視線が、きつい。善意と興味が込められているからこそ、なかなかに胸に刺さるんですよ。私だけなのか? 他四名様は、満足していらっしゃるらしいですけどね?
「ふぉっふぉっふぉっ、崖っぷちやいうとるのに、ほんまお気楽な正義の味方ですな」
玉のようにつやつやてかてかの剃髪おじいさんが、「邪」に読めなくもない「雅」な扇を自慢たっぷりにあおいでいた。
「あらー、土御門先生の方こそ、眉に火が迫っているのではありませんこと? それともおひげかしら?」
「特別に会場まであがってもええんやで。日本文学課外研究部隊の歴史が終わる瞬間を、見届けられるのですからな。お嬢には酷かや? ふぉっふぉっ」
「おあいにく様ですわ。王朝文学講読会の無様な散り際など、見るに堪えませんもの。ヒロインを侮られるのも、今のうちですわよ! おほほほほ!」
大人の喧嘩って、子どものと大して変わらないものなんだなあ。殴る蹴るが口競り合いに進歩するくらいか。
「三十分そこらしたら、安達太良嬢の恨み節が聞こえてくるよ夕方なんとやらや。ほれ、大和や、与謝野や、行きますぞ」
扇をたたんで、眼前のA・B号棟へ示す。
「聞コエてクルのハ、夕方ノ六重奏っスよ! 本家ハ五デス」
「負けないよ。じゃあ、またね」
夕陽ちゃんと華火ちゃんが手を振り、唯音先輩はうなずき、まゆみ先生は親指を立てる。先生の「良し!」のポーズだ。火打ち石に匹敵する景気づけだ。
「萌子ちゃん、例のあれ、大丈夫だよね?」
愉快に吟じていらっしゃる土御門先生の背を陰に、作戦の確認をする。
「ハイ☆ オペレーション・マチコ巻キ巻キライダー ~汝ノマナヲ与ヘヨ~ っスね」
「そ、そう、そんな感じね」
ふみかは、こたつで本を読む。女子は身体を温めるべし。待ってなさい、冬季限定ぬくぬく常世の国!
待機組は、あおぞらホールへ移っていた。A・B号棟一階の広間である。学生のつながりを増やすための場所だ。今週末に開かれる大学祭「國見祭」の展示で、少々狭くなってはいるが、いつもは多くの若者で活気にあふれている。
「あたしコレ知ってるっ。『注文の多い料理店』だろっ、山猫軒だっ」
「日本文学国語学科の今年のテーマやってん。和紙と、割り箸やろか、よう複雑な形が作れたなぁ。ほのかな灯りが、童話の世界によう合うてるわぁ」
國見祭といえば、巨大灯籠だ。ホール一帯を使って、各学科・コースが製作した灯籠が並べられる。完成度、美しさ、意外性、材料が環境に配慮できているか、思い入れ、の五項目で実行委員会が採点をし、賞を決めるので、どれも気合いが入っており、一番を決めかねる仕上がりだ。
「姉ちゃんとこ、メンデレーエフで、音楽学科は、メンデルスゾーンだってよ! おっちゃんかぶりしてっぞ」
「あはは、おじさんはおじさんやけど、メンデレーエフは、元素周期表を考えた化学者やよ。メンデルスゾーンは、結婚行進曲やヴァイオリン協奏曲などを作曲した音楽家やでぇ」
「ゆうひは詳しいよなーっ」
円形のテーブルで頬杖をつき、唯音は華火と夕陽のやりとりを聞いていた。自分以外には関わろうとせず、あんなにはしゃいでいる姿をみせなかった華火が、ヒロインになって皆になじんでいる。実の妹のようにかわいがってきた親戚の成長に、こみあげるものがあった。
「……………………」
唯音も、文学PR活動に加わって、変化があったと思っている。休日に本屋・図書館に寄り、短歌集と小説を読むようになった。ふみかにおすすめの本も借りて、感想を一単語でも言えるようにもなった。好きなものを好きだと貫ける萌子に刺激を受け、家族、特に母親に露骨に嫌悪されていても、自室にこもらずに居間で頁を広げることもできた。語彙の貧しさが、改善されてきた実感があり、誤用は夕陽に直されて同じ間違いはしなくなった。
「大和さんと与謝野さんは、勝つわ」
対角線上に腰かけているまゆみ先生にも、感謝しなければならない。先生が日本文学課外研究部隊を始めたから、現在に至っているのだ。
「まゆみさん……」
唯音は、顧問を「先生」ではなく「さん」で呼んでいる。担任でもなく、講義を教わったこともない職員に「先生」は違う、は出会ってすぐの考えだった。活動の日々を重ねていくにつれ、顧問に「姉に対する思慕」を抱きはじめたのだった。唯音には、年のずいぶん離れた兄が一人だけいるが、家業を継ぐことに没頭していて関心を持たれなかったので、続柄は「兄」であっても実質は「同居人」であった。顧問が姉であったら、この目に映る世界が、早くにくすみが取れていたのではないか。血縁関係は、機械とは違って部品の交換が不可能のため、できるわけないことは分かっている。
「いおんブルー、外国語学科日本語コースの灯籠をご覧なさいな」
手のひらが向いている方角へ、目を合わせる。紙を貼り合わせた、直径およそ一メートルの球体が、淡く光っていた。
「月……ですか」
「『竹取物語』ですって。日本語コースはね、留学生対象の学級なのよ。学祭は、本朝の文化をテーマにしているそうね。日文の専攻科目を受けている人もいるわ」
人工の月を眺め、顧問は思いを口にする。
「絶対に、王朝文学講読会に行かせるものですか…………!」
ホールの電灯が、急に明るさの程度を上げたのか。唯音の推測は、はずれていた。激しく光っていたものは、灯籠の月そして、顧問だった。
「華火さん、夕陽さん…………!」
二人はおかしな事態を察したそうで、声をかける数秒前に駆け出していた。
「どわっ、カンテラまゆみになっちまってる!?」
ランタンかハロゲンにしても光度の具合からみてもおかしくなかったのだが、唯音は言わないでおいた。
「月が浮いてるぅ!? どないしよ、ひとまず逃げ」
暗転、訂正、光転あるいは白転か。ここにあった物、声、人が白の光に照らされ逆に見えなくしてしまった。唯音達の記憶は、一時、断ち切られるのだった。
安達太良まゆみには、己には覚えておらぬ「殊なる力」がある。
「……ってえ、人事不省っ」
殊なる力とは、良きも悪しきも「引く」力。
「どこ…………………………ですか」
安達太良まゆみは、人を引き、物を引き、事を引く。
「ふえ……こ、ここて、校舎の屋根やんかぁ!」
十二年前、先祖の神に頼ってまで犯した「人を外れた行い」の償いに、力を宿され、人ならぬものと同格ではあらず、人とは異なる、間に置かれた存在となった。
「おいっ、下のやつらがっ!」
「止まって、いる……?」
「時間を操る魔法をかけられたかのようやなぁ、違う、こんなんできるんは」
力は暴れだし、現実を覆す出来事を「引き」起こす。空を白い雲で埋められ、A・B号棟屋根の真上に、灯籠であった月が、本物さながらにさやかな光を漏らす。
「安達太良先生」「まゆみさん……」「まゆみっ!」
月を後光に、うなだれる白いスーツの婦人。因縁あって人の住む世界に降ろされた、月の姫ではない。空満の地に生きて勤めている教員だ。
「あたしら三人で、まゆみの力、抑えてやっぞ! いーなっ、青姉、黄色!」
「レッドとピンクには、追試に専念してもらわへんとなぁ」
「……です」
瓦で足元が地面と勝手が違うけれども、不思議な現象を解決できる者は「スーパーヒロインズ!」しかいない。月にさらわれた安達太良まゆみを返してもらい、固まった学内の人々の時を刻ませよ。
―いざ、戦闘開始。
「一球入魂っ! 作ったやつらにゃごめんだけど、本体破壊して速攻で決着だっ!」
初手は、はなびグリーンのお役目。武器の花火玉で、月を爆破してみせる!
「火すれば、花だっ! はなびボンバー!!」
持てるだけ複数の花火で、大輪の爆発を打ち上げる! という運びだったのだが、
「だっ、な、なんだよっ!?」
武器をはさんでいた指が、グリーンに背いてふぬけてしまった。屋根の坂に、ころ、ころころ常磐色の球が落ちてゆく。
「あたしの必殺技がーっ!!」
「次、撃つ……です」
グリーンの後衛にあたっていたいおんブルーが、ドライヤーに似た銃型の武器を構えていた。青色で一部塗装された銀色の空気弾ピストルである。
「遠くへ、飛ばす……!」
まゆみ先生がけがをしない箇所を、狙う。発射! のはずが、引き金にかかっていた自分の物が、ひとりでにカクカク震えて弾を出してくれない。
「邪魔…………ですか」
攻撃が妨げられている原因を、ゆうひイエローは戦場を見渡して思案する。
「天人は降りてへんけど、戦意が失われてて、満月が昇ってる。『竹取物語』の終盤に近いなぁ……」
「でかい灯籠に狂わされてるんじゃねえかっ? 満月の日は事故りやすいってやつ」
「かもしれへんなぁ……て、ブルー先輩?」
傍らで妙なことをされているのだから、疑問に思うだろう。彼女は衣装の飾りとして締めていたネクタイをほどき、それを頭の後ろへ回して結ぼうとしていた。
「月を、見えなくすれば、戦える……」
目を長細い青の布で覆った。
「業平さまが、歌っていた……です」
月はあらぬ 春も昔は 春あらぬ 我が身ひとつは もとの身にして
「ちょっとずつ、助詞が違うてますがぁ……」
「昔は、月も、春も、無かった……です」
「先輩、聞いてはらへんわぁ」
がっくりしていると、グリーンが胸の前で結んでいた大型のリボンを引っぱっていた。細かい作業が不得手なのか、蝶結びが左右非対称になりがちなのを、イエローは直してあげたくてしかたがなかった。
「あたしも、青姉みてえに月を消してやるっ!」
「えええ」
「さっさとしろいっ! 危急存亡なんだぞっ!」
ブルー先輩の発想は、画期的なんやけど、
「ほんまに効くんやろうかぁ…………」
まったく信じへんのは、思いついた先輩に失礼やけど、用心のため、半分は別の作戦を練るのに空けておこ。
髪の黄色いリボンで、ブルーとグリーンの真似をして巻きつけた。ますます歩みが安定しなくなったが、触覚や聴覚、記憶で補おう。もしも滑ったら、リボンを綱にして立て直そう。たまには大胆な戦い方に出ないと。
「世の中よ 未知こそなけれ 質量いる! いおんキャノン!!」
銃より薄い青で色づいた空気の塊が放たれる。技を繰り出すことに成功!
「火すれば、花だっ! はなびボンバー!!」
妨害されなければ、怖いものなし。グリーンは通常に比べて余計に花火をあげて、大盤振る舞いをした。
「疑うたらあかん! ゆうひジャッジメント!!」
天体を倒そうなど、愚かな行いなのかもしれない。でも、追試で土御門先生と戦っている親友と後輩のため、力を御せず眠っている恩師のため! リボンが幾多にも枝分かれし、月を裁定にかける!
「両方とも、勝利をつかむんやからぁ!」




