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第七番歌:翻刻の翁ありけり(序・一)


     序

 昔も今も変わらず、翻刻(ほんこく)(おきな)ありけり。(そら)(みつ)大学にまじりて学生(おしえご)を嘆かせつつ、よろづのことにこき使いけり。名をば「土御門(つちみかど)(たか)(あき)」となむいいける。その学生(おしえご)の中に、すぐれて(ふみ)読みたる人ありけり。あやしがりて寄りてみるに、才気光りたり。それを見れば、黒き服着たる娘、いとあはれに(ふみ)読み歌(うた)いたり。

 ―とまあ、竹と月を思い出しそうな言い伝えが、空満大学文学部日本文学国語学科にあるんですって。誰が広めたのか、今となっては藪の中ですけどね、竹だけに。それは芥川龍之介でしょ、って? たまには冗談を言わせてよ。先日の放課後に「本日の名文大喜利」で一位をとったんだから、ちょっとは勝ちの余韻にひたらせてくださいよ、ね?

 ちなみに、翁が出会った学生は、その後、場を同じくして、日本文学を教えているらしい。どなたなんだろう。意外と、私のよく知っている人なのかもしれないなあ。



「ふーみーセーンーパーイ!!」

 霜月三日、火曜日の四限「中古文学研究B」をいつもの席―教壇に一番近い机二台のうち右の方で、返された小テストを見ていただけの私に泣きつくとはこはいかに。

「SOSデス、エマージェンシーっス、コンディションレッド発令デス!」

 ここが、宇宙を行く戦艦だったならば急展開なところなんだけれど。学びの場に軍服ってね、目立ちすぎだってば、んもう。彼女のコスプレ登校に、もう目がなじんてきたとはいっても。

「グスン、このタビ、萌子(もえこ)……萌子ハ…………零点ヲ取っテしマイまシタ!!」

「え、ほんと?」

 サークルの仲間だ、他人のふりしてやりすごすなんて、鬼でもやらないよ。烏の濡れ羽色した長い髪の後ろに赤い紐を蝶々結びにして、濃紺の長いスカートで大和撫子風な軍人さん(放課後、ノット軍人、六番目ノ銀河天使デス☆ のご指摘をいただくのは、また別の話)が、号泣しているんだもの。

「ルックアット、答案☆ 全否定バッテンいたダキまシター」

 大丈夫なの? ということわりをさせずに、テストの紙を目に入れさせられた。うわあ、0点、一面に大きな×印……ええー、漫画じゃあるまいし。運に頼りきっても、五点はかたいはず。私は三十八点、五十点満点だよ。

「萌子、古典ハ向イてナイんスよ。時間割ノ都合デ登録シタんデス。大ダメージっスよ、追試モ無理ゲーっス……」

「ほれ、与謝野や。はよ席に戻らんかい」

 先生の悠々とした喝で、スキップして萌子ちゃんは帰る。大学生にもなれば、テスト返しくらいでお友達のところへわざわざ比べ合うことなんかやらない。どこをどう誤ったのか赤で訂正して、解説を書き留める。なので、萌子ちゃんの行動はとても「変わっている」のだ。でも、受講生は平気だ。萌子ちゃんの「奇行」は、普通だから。そんな子なんだな、で済ませられている。

「浮き足だっておりますぞ、ひなびておりますぞ」

 教鞭代わりの扇を豪快に開けてあおいでみせる。毛筆書きの「(みやび)」が、黄門様の印籠よろしく生徒を黙らせた。こちらのおじいちゃん先生は、土御門(つちみかど)隆彬(たかあき)先生。中古文学を専門に教えられている。『枕草子』、『源氏物語』や『古今和歌集』が著された時代を日本文学の時代区分では「中古」と名付けられているよ。

「いいですかな。日文に入ったからには、変体仮名をすらすら読めんといかんのですぞ。古典文学に興味があろうと無かろうと、避けて通られへん道や。そちらには、真の『読み』を身に着けて巣立ってもらわんとな」

 あごひげはふさふさ、頭は照明が当たって輝く丸坊主の翁が、だしの利いた言葉をくださった。

「三十点未満の者は、追試ですぞ。金曜の五限、A23教室にて。ここやない、一フロア下や、真下いうこっちゃ。三十分のテストや。問題は違うもんを出す。この追試で三十五点以上取れんかったら…………」

 雅な扇でお顔を隠し、ばあっ、とひと声、扇をのけると、

「単位あげなーい」

 ひょうきんに口を広げて、おどかした。出た、妖怪単位あげないじいさん。

「ひえー!」「勘弁してくれよ」「先生、マジですかー」「ちきしょう、謀ったな!?」「きたねえぞ」「詭弁だ、屁理屈だ!」

 飛んでくる教え子の文句に、土御門先生がふぉっふぉっと愉悦する。扇の「雅」が「(よこしま)」になーる、「邪」に変わーる。

「ふぉふぉ、ええ眺めよ。というこっちゃ。単位が欲しけりゃ明日に備えて、猛勉強せい。さらばじゃ、ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっ!!」

 亭主も好むであろう赤ネクタイを締めたまん丸な背広が、「雅」をふりふりさせて教壇を降りてゆかれた。あ、え、終わり!? まだ一時間以上余っているんですけどー! テスト返却のみかい。

「先生の気分で講義の時間短くなる大学は、本朝全国探しても空満しかないよ」

 





     一

 研究棟の二階、日本文学国語学科の領域にある空き教室「二〇三教室」は、本日も「日本文学課外研究部隊」が使用していた。先月立ち上げた、学科公認の文学サークルである。

「なあ、なよたけまゆみっ。()(ねずみ)(かわ)(ごろも)、コレでいーかっ?」

 月に跳ねるうさぎも顔負けのポニーテールをぴょこぴょこ揺らし、(はな)()が訊ねた。

「母ちゃんが和裁教室通っててよ、半端に残っちまったんだっ」

「あらー、あてなりじゃないの。上等な物だわ。お母様にお礼状をしたためなきゃ」

 光沢のある布を渡され、顧問が形になっていない言葉をもらした。

「『かぐや姫の欲しき物を想像してみた!』幸先よろし、ね。そうだ、夏祭(なつまつり)さん」

 白いスーツに身を包み、銀に光る弓矢のペンダントをつけた顧問は、携えていた指示棒を軽く振って、

「なよたけでも、雪に埋もれている竹は用心するのよ。大人さえ弾いてしまうから。老婆心で言っちゃう私の名前は、安達(あだ)太良(たら)まゆみ!」

 口上を決めた。

「竹林に惑わされるケースもありますからねぇ」

 拍手を送るのは、夕陽(ゆうひ)。右耳の上に結ばれた、福を招きそうな黄色いリボンが似合う。

「幼い頃、須磨で(ひろ)てきた子安貝です。つばめさんが握ったんやないですがぁ……」

「今時、子安貝は珍しいのよー。須磨かあ、ゆるりと旅してみたいものね」

 長机に広げておいた風呂敷に、まゆみ先生は隊員が持参した品を大事に置いていく。そこにワイシャツからのぞかせた青白い手が、伸べられた。

「……です」

 中性的な最上級生・唯音(いおん)が、助動詞の雫をぽたんと落とした。

「仁科さんは、竜の首に付いた玉だったわね。なあに? 内側に銀河系?」

「宇宙ガラス……」

 底が平らになっていて滑りにくい球は、星の渦潮を秘めていた。夕陽がメガネのつるを支えて、ためつすがめつする。

「ペーパーウェイトですかねぇ、素敵やわぁ」

 指を組んで、うっとりする。夕陽は、しょっちゅう鍵付きの妄想ワールドにおでかけしているのだ。好きな物にぎょうさん囲まれてお話を書いて過ごしているうち、宇宙ガラスや月モチーフの文房具で、ロマンティックな文学を作ってハーブティーをいただく…………あははははぁ。

 しかし乙女の楽園は、満月に群雲がかかるように、浜辺で築いた城が波で真砂に還るように、壊されてゆくのが世の常。メガネ女子も、感情を露骨に伝えた入室の荒々しい音で楽園を追放されたのであった。

「佳境やったのにぃ……おつかれぇ、ふみちゃん、萌ちゃん」

 やや口惜しいけれども、日本文学国語学科流の挨拶は忘れない。

「おつかれドコロじゃナイっスよー」

 大げさに肩をがっくり落として、萌子は扉側からみて右手前の椅子にしおれたように座る。登校時は、銀河へ飛び立つ可憐な皇国軍だったのが、放課後は文学PR活動用の制服に着替え、改め「変身」していた。

「追試っスよ追試、萌子、単位もらエルかナイかの瀬戸際なんスよ」

「おー、欠点ってやつかっ。御愁傷様だなっ、よさのあきこ」

 萌子は、ちょうちん袖をいからせて、宿敵(?)である華火へにらんだ。

「本名呼ぶなまな板キュウリ。センセ、蓬莱山ノ枝っス。お母サンのピンブローチ借リテきまシター☆」

 藤色の風呂敷に、金色の小枝を乗せる。真珠だろうか、枝には乳白色の実がくっついていた。

「あらー、与謝野さんのお母様たら、うるはしいこと!」

 あとは、仏の御石(みいし)の鉢だ。受け持っていたふみかは、連れていた紙袋の中身に、顔をしかめた。

「大和さん?」

「ま、まゆみ先生……あ、あの、鉢なんですけど…………」

 鉢(自宅倉庫にて発掘した父のがらくた)だった物を、おずおず皆の前へ出す。檜皮色にわざわざ塗られた、時代に置いてけぼりにされた電化製品である。

「ラジカセ……ですね」

 唯音は、機械に興味を示したのか、湖のような瞳を対象へと動かした。

「おかしいなあ、図書室にいた時、萌子ちゃんに見せて、しまってそのまま来たんだけれど」

 狸にでも化かされたのかもしれないラジカセを、まゆみ先生はこれから射当てようかとせんばかりに凝視されていた。

「大和さん、バンドを一〇〇八番に合わせてみなさい」

 バンドが何のことやら分からなかったふみかに、真上につまみがあるから、ひねって目盛りを「一〇〇八」に合わせるのよ、と指示棒つきでまゆみ先生が教える。

「えらく半端な数字だなあ」

 言われた通りにすると、スピーカーよりやむごとない曲が流れてきたではないか。時の芸術ながら、時という制約に縛られない、ゆったりした管弦。

「雅楽やねぇ。空満大学のクラブが吹いてはるんかなぁ」

 音楽にも造詣が深い夕陽が、のどに出かかっていたふみかの言の葉をすくってくれた。帝が国を治めていた全盛期に生まれたとされる、本朝の伝統文化のひとつだ。国民が舵を取るようになった現代においても、華族が受け継ぎ、民衆にも楽しまれている。

♪ ゴールデン・中古(ちゅうこ)三昧(ざんまい)~ ♪

「なんだ、このムカつく歌はよ」

 華火の感想に、少なくともまゆみ先生とふみかは同感だった。夕陽の「ジングルやないかなぁ」は、悲しくも誰も聞いてなさそうだった。

《おまっとうさんでした、土御門隆彬のラヂヲ『ゴールデン中古三昧』の時間や。今回の客人(まらうと)は》

 ベンベケベン! と琵琶なのか三味線なのかとにかく和楽器であろう合いの手が入る。

《わたし専用機の前で座っとる、安達太良嬢と、お嬢に侍っとる正義の味方らや!》

 双方向のラジオ番組に、日本文学課外研究部隊は耳を疑った。顧問は、おまけに歯を強く噛む。

《正義の味方らの、だれとは言わへんが、Y謝野とやらが、わたしの講義で〇(れい)点を取りよったんや》

「ぎょんぴいー! 萌子デス萌子ガ悪ウごザイまシター!」

 奇声をいくつか発して、噂の美少女が机にひれ伏した。

《日本文学を享受させるいうに、翻刻でつまづいとるとは、面目丸潰れやないかい。せやさかい、わたしは超素晴らしいことをひらめいたのですぞ》

 お次は、銅鑼がスピーカーをしびれさせる。ちなみに、今日のおやつは三笠だ。

「萌子、小豆ハ飽キルぐライ食シまシタよ……」

「ご実家は、空満神道大教会の他に和菓子屋を営まれてるんやったねぇ。芋あんあるから、それでかまへんかなぁ?」

「イエス……ぽて」

 まだ零点の傷が、うずいているらしい。つらさが伝わっているも、秀才の夕陽には、縁遠い話であろう。

《ふん、わたしが住む宮中のお菓子が、超美味ですぞ。して、ひらめきやな。正義の味方や、わたしと追試で勝負せい》

『何だって!?』

 またしても銅鑼が叩かれる。

《金曜の追試、五十点満点のうち四十点以上やったら、そちらの勝ちや。わたしが指南しとる『王朝文学講読会』秘宝中の秘宝・炬燵(こたつ)をやらふ。負けたら…………》

 ぽぽぽぽぽぽぽぽ、鼓があおってくる。

《正義の味方は、王朝文学講読会へ鞍替えや! ついでに、単位あげなーい》

「haaaaaaaaaaaaaaaaaaa?? ☆ !? ツッチーふざけるなしー!!」

 萌子が跳ね起きて、ラジオを肉弾戦でに強制終了させようとするところを、ふみかと華火がなんとか制する。ヘコみよりもデコみが勝ったようだ。

《与謝野や、苦しうない。二人代表で臨んでもらうさかいな。ほれ、大和や、そちがもうひとりの代表や》

「え、どうして私が」

 ふぉーっふぉっふぉっふぉっ。無駄にお公家さんな高笑いの後、

《そちは、隊長やろ。隊員の監督不行き届きちゅうもんを知らんかや? 今をときめく連座制ちゅうこっちゃ。日文やし、講義を取っているもん同士でもあるんやからな。四十点にあと二点足りへんかったやろ》

「な、ちょっ、公開する必要あります?」

《若いうちから、並を目指すもんやないわ。大和には、超本気になってもらいますぞ。マジですぞ》

慷慨(こうがい)憤激(ふんげき)っ! あたしもいるんだぞっ、指名とか自分勝手だろハゲ御門っ!」

「恐れ入りますが、うちも日本文学国語学科です。連帯責任でしたら全員で臨ませていただくのが道理やないでしょうか」

 銅鑼の連打が、意見を粉々にする。

《高校生と他学部を負かしても、おもろうないやろ。日文に属しとっても、満点ばかり出されたら、つまらへん。総出で来られても、採点するんはわたしや、しんどい》

「そんな理由で、萌子ちゃんと私を? すさまじすぎるよ」

《わたしが決めた勝負に、待ったはなしや。司令官殿の安達太良嬢が、逃げるわけあらへん。代理戦争いへどもわたしとの対決やからな。ああ、大和や。石造(いしつくりの)皇子(みこ)の鉢は、共同研究室に預けとる。事務助手に番をさせとる、安心せえ。ほな、お便りの曲いこか。土御門隆彬で『雅なわたしのベストでグッドなソング』!》

 (しょう)篳篥(ひちりき)(りゅう)(てき)が軽快な前奏(夕陽事典によると、スカという音楽だとか)を始めると、乙女らが緊張を解いてしゃべりだした。

「萌子トふみセンパイに、『スーパーヒロインズ!』ノ存亡ガかカッてイルっスか!? 萌子、四十点ゲットは萌子ライフ最大クエストっス……」

「戦う前から弱気でどーすんだよっ。校長美学要約会なんかに入らされるとか、あたし許さんかんなっ!」

 人差し指を突き合わせてしょげる萌子に、華火が喝を入れる。

「ふみかさんは、これで、いい……?」

「追試やらされるのは不本意なんですけど、負けるわけにはいかないんですよね。合格点ぴったりを目標に勉強しますよ」

 表情と口調は凪いでいるが、唯音は心配しているのだとふみかは読めていた。

「やれるだけのことをやって、えぇ結果を残さなあかんよ。ふみちゃん、萌ちゃん、翻刻は慣れや、数をこなしていくんやよ。満点超えのつもりで受けるんやぁ!」

 夕陽がメガネを光らせて、激しく励ます。勉強も彼女には趣味なのだろう。

「打倒、土御門先生! ですよねぇ、安達太良先生?」

「そうねえ」

 いつもの明るさを保とうとしていた顧問だった。が、好敵手の(はかりごと)で限界に至ったもようで、五人に背を向けるようにして、ラジカセのアンテナをつかみに行った。

「今に見てらっしゃい、土御門(つちみかど)隆彬(たかあき)……………………!」



♪ あなたの放課後を、高貴に。王朝文学講読会が、十七時をお知らせします ♪ 




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