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第九番歌:子に負かされて(序・一)

     序

 空満大学構内を、子連れの少女が息乱してばたついていた。少女は足に自信があったのだが、尊い重りがついているため、走っていても歩くのといっしょであった。

 少女がおぶっている子は、赤ちゃんだった。心地良い揺れなのか、幸せそうにねんねしている。赤ちゃんの見る夢は、いったいどんな情景だろう。ある小説では、恐竜が生きていた頃の地球だそうだ。もっともらしいが、赤ちゃんの気持ちに寄りそってみて考えるなら、おいしいミルク、ふかふかの布団、やさしいお母さん、ではないだろうか。にへらにへらして寝ているのは、きっとそういう夢を見ているからなのかもしれない。

 どうして、赤ちゃんを背負いながら走っているのか。熱を出したから病院へ、ミルクもしくはおむつが切れたからスーパーへ、ご機嫌ななめだから気晴らしに公園へ、すべてはずれである。

「あたしのせいだ、あたしが、悪かったんだっ」

 夏祭(なつまつり)(はな)()、十八歳。幼すぎる子を抱える「子ども」だ。大人に近づきつつあるけれど、まだ親の助けが要る。でも、一切合切、口出し手出しされると、未熟者に思われているみたいで、癪に障る。かやうな取り扱い注意のお年頃なのにもかかわらず、子を持っているとは。


 世間の人々は、未成年が子の面倒をみていることについて「若いのに、子育てを。とても頑張っているのね。応援するわ」とは言ってくれない。たいてい「子どもが子どもの世話をするだなんて、できるわけない」「最近の子は、はしたない」「学業をおろそかにして、信じられない」「かわいそうに、親がちゃんとしていないのだ」など、蔑み、怒り、憐れみの目を向けられる。この国、本朝は、良くも悪くも「道徳」に思想を統制されており、「道徳」に反するものに対しては、排除しようとする。

 子を産み育てるのは、成人してから、なおかつ結婚していること

 学生が親になるのは、おかしい、責任をとって退学せよ、働け

 十代が子を持つのは、だらしなく生きた証拠だ

 いつの時代の、誰が、決めつけたのか。そのような考えを植えつけられて、長いこと根づいている。本朝の役人が、世界に追いつくために、先進国でい続けようとするために、あらゆる方法で「多様性を認めよう」だの「いろいろな人のいろいろな生き方を尊重しよう」だの謳っているが、九割九分九厘の本朝の民は、聞くだけで実行しない。保守的なお国柄だ、たった十年そこらで考えを改められるわけがなかろう。

 社会の異物という烙印を押された者は、自分を強く責めてしまう。望んで選んだ人がいれば、無理やりにその道を進まざるをえなかった人もいる。子と共に生きようとしているのに、「道徳」を盲信する多数派に追い詰められて、ついには、悪くなくても、自らを悪人だったと悔やんでしまうのだ。


 夏祭華火は、自身を責めていた。してしまった行いを後悔していた。

「まゆみに謝らねえとならねえ。あたしが、あたしがあんなこと……っ」

 赤ちゃんは、純真無垢な笑みを浮かべて眠っている。しょってくれている少女―華火が、悪業に胸を焦がしながら走っていることを知らずに。






     一

 日本文学課外研究部隊がついに、キャンパスを飛び出した。空満市立図書館で、文学PR活動を行うことになったのだ。霜月二十一日、土曜日の午後、お子達に「浦島太郎」の読み聞かせをする。隊員は、空満大学研究棟の二〇三教室にて、打ち合わせと資料作りに取り組んでいた。

 作業の区切りが良いところで、

「お手洗い、行く……です」

 仁科(にしな)唯音(いおん)が、無音でパイプ椅子から立ち、すたすたと扉まで歩いた。

 唯音の左隣に座っていた本居(もとおり)夕陽(ゆうひ)が、彼女のズボン後ろポケットにふくらみができていることに気がついた。

「うちも、ちょっと席外させてもらおかなぁ」

 背もたれにかけていたクリーム色のリュックサックから、お月様模様の化粧ポーチを取り、とことこ唯音の元へ行った。唯音は律儀にも、待っていてくれた。

「ふみちゃんは、いける?」

「う、うーん」

 上座にあたる窓際を「いつもの場所」にされていた大和ふみかは、夕陽に声をかけられて、口ごもっていた。胃より下のあたりを片手でさすり、待っていて、とロッカーにしまっていた肩掛けかばんを開けた。

「ご、ごめんね。行こうか」

「ふみかさん、腹痛……ですか」

「たまにひどい時があって。動いたらなんとか」

 ふみかの赤いパーカーに詰めた中身を察した与謝野(よさの)・コスフィオレ・萌子(もえこ)が、怪しそうに笑って椅子を引いた。

「萌子モ、便乗シテ換装タイムっス☆」

 紫・白・黒の三色で構成された女学生風の服が、腰まである黒髪に合っている。本日の萌子は、愛する友のためなら悪魔にもなれる魔法少女のコスプレ(萌子の用語では、コスフィオレ)だ。

「魂ノ宝石ガ穢れテハ、堕チテしマいマスよー」

 魔法少女が登場するアニメの世界観を忘れずに、萌子はお手洗い組に寄りついた。

「女子ウィーク五コンボなルカ!? はなっち!」

 歌劇の男役みたいに誘う萌子。さあ、君も一緒に!

 ところが、はなっち……夏祭華火は、机を叩いてこう返した。

「なんねえよっ!」

 背丈の半分はあるだろうポニーテールが、華火の感情に呼応してか、びゅんと跳ねた。

「ソコは違っテモ、ノるトコっスよ。日本文学課外研究部隊ナンバーワンノリよし子サン」

「勝手なあだ名つけんなっ。あたしは、華火、は・な・びっ! 用がねえのに便所についてくとか、ませガキかっての」

「イライラしてマスな。女子ウィーク・ビフォーの典型例デス。換装デハなくテモ、平気なんスか? 膀胱炎デ泣きベソかいテモ知ラヌ存ゼヌっスよ」

「へ、孟浩然(もうこうねん)? いーから、てめえらやること済ませてこいよ」

「お子サマに言ワレなくテモ行きマス。んべー」

 舌を思いっきり出して、萌子は唯音らの背を押して教室を離れたのだった。

「……なんだよ、一コ年上だからってえらっそーに」

 唇をとがらして、萌子の温もりが残る左隣の椅子を蹴った。子ども扱いされることが、華火は大嫌いだった。

「ふふっ、レディは調子のよろしくない期間が毎月あるから大変よねー」

 華火の斜め前、上座のご婦人が頬杖をついて明るく言った。切りそろえられた短い髪、白いスーツと弓のペンダントが特徴の日本文学国語学科准教授である。

「余裕綽々だなっ、()()()()まゆみ」

「バイクと自動車マニュアルの免許を持っています。だけど、服はキッズサイズで事足りる、見た目と実年齢がちぐはぐな私は安達(あだ)太良(たら)まゆみ!」

 置いているはずのないカメラを意識して、気品ある大人のポーズをされた。日本文学課外研究部隊の顧問・安達太良まゆみは、いつでも童心に返ることができるのだ。

「まゆみ、あたしってよ」

 と切り出してから、早足で廊下の右左を確かめる。よっしゃ、あいつら当分は帰ってこねえな。

 全速力でいた所に戻り、話を再開した。

「あたしって、子どもなのか」

 つらづゑをやめて、まゆみ先生は膝に手を揃えた。

「どうして、そう思ったのかしら」

「図書館の文学PRのやつ作っててよ、悔しくなっちまったんだ」

 羽織っていた冬用体操着に袖を通して、華火はうつむいた。

「ふみかは、ついでにこれも紹介したらどーだ、って『萬葉集』出してきた。高橋虫麻呂だったよな、まゆみが研究してる歌人。あと『宇治拾遺(うじしゅうい)物語(ものがたり)』も。似たような話、いっぱいコピって持ってきたんだ。姉ちゃんは、手先が器用だから、仕掛けを作ってみようって張り切っててよ」

 まゆみ先生は、懸命な隊員を厚く見ていた。

「ゆうひは、歌があるからつって、聞かせてくれた。絵にできない美しい竜宮城、こわいかに? 童謡なんだってな。音楽できてうらやましかった。んで、あたしをバカにしてきたあいつ。あいつはあんな感じだけどよ、絵うまいんだよなっ。当意即妙に描いて、ほぼ紙芝居完成してた。あたしは…………あいつらの手伝いしてただけ」

 顔を上げた華火だったが、あのはつらつさが抜けていた。

「悔しかった。受け身なあたしが、ひとりで何かできることがねえあたしが、『おとな』じゃなくって……っ」

「夏祭さんは、早く『おとな』になりたいのね」

「う、お……はい」

 うん、や、おうよ、だとますます子どもっぽくなるから、正しい返事をした。

「ひとりで何かできること、を持てるのは、すぐの人と、ゆっくりの人がいるものよ。夏祭さんは、これから、できるんじゃないかしら」

 華火の目が、まんまるになる。

「どんなことができるんだろう、と楽しみに、一日、一日、生きてゆけば良し! それにね、『おとな』というのは」

 扉がコンコンコン、一定の調子で打たれた。唯音姉ちゃんらがわざわざするか? 華火はこっそり舌打ちをした。

「失礼致します!」

 定規かはかりかで細かく計測されたような声が二〇三教室に入った。肩にかかっている真っ黒な髪、縁がついていない丸眼鏡、でかい体、真っ黒なスーツ。まゆみの対極になっているよな、華火はそういう印象を受けた。

「日本文学国語学科、宇治(うじ)紘子(ひろこ)です! こちらに安達太良先生はいらっしゃいますか!」

「うげ、綱紀粛正っ、学級委員長兼風紀委員タイプかよ……」

 宇治紘子は、ついこぼした華火の言葉を聞き逃さなかった。

「あなた、附属高校の方ですか!?」

「そーだけど」

 不良や成績下位の生徒を蔑むような目が、華火に向けられた。

「安達太良先生にも、そのような口を利いているのですか!」

 自身の左二の腕をつかみ、紘子が嫌悪をあらわにした。そこには、腕章が安全ピンで固定されていた。臙脂色の布に、金の糸で「文学部日本文学国語学科」の刺繍がついている。

「どうか落ち着いてくださいな、宇治先生。私を探されていましたのよね」

「はははは、はい!!」

 過剰にびっくりするも、おカタい教師に直った。

「くちあにの件です! 三分ほど私の研究室にご足労いただけますか!」

 まゆみ先生の表情が、鋭くなった。仕事用のお面に変えたらしい。

「くちあに、ですわね。分かりました。参りますわ」

 華火に留守番を頼み、まゆみ先生は紘子に従った。

「……宇治金時の、欺軟怕(ぎなんは)(こう)っ」

 名前を覚えられないのは、少女の常であった。


「ごめんねー」

 わりと早くに顧問が戻ってきた。本当に三分しゃべっていたのだろうか。時計の前で張りついていたわけじゃないから、実際どのくらいかかったか知らない。

「ひとりなの?」

「おうよ」

 やつがしょーもねえことやらかして、往生してるのかもしんない。コスプレのタイツが伝線した、なんつって。

「そうだ! 昼休みにね、(とき)(すすみ)(せい)(ぞう)先生が夏祭さんを褒めていらっしゃったわよ」

 華火は肩を落とした。「おとな」の続きじゃねえのかよ……。

「あたしんとこの担任が、なんだよ」

「和歌の現代語訳が良くできていたんですって? 『萬葉集』巻第五、第八〇三番歌。山上憶良(やまのうえのおくら)の『子らを思ふ歌』よね。『瓜食()めば』と『(しろかねも)も』」

「あー、アレな」

 担任に当てられ、馬場(ばんば)奔騰(ほんとう)に訳した二首だ。我ながら最高傑作だと思っていたので、絶賛されるだなんて、照れてしまう。

「仰っていたわよ、『子は宝だ!』まさに直球勝負な解釈だった。サークルに加わって、著しい成長を遂げられました。ふふ、ふふっ。私もいと嬉しだわー」

 まゆみ先生は大人だが、柔らかいところがある。華火は、まゆみ先生みたいな「レディ」になりたい。

「んでもって、関雎之化っ。欲深いかな、あたし」

「欲深くたっていいじゃない。夏祭さんと幾久しく添っていてくださるお相手に、めぐり会えるわ」

「ほー」

 鯉には惚れてるけど、男子は全然。ま、数年後にゃビビビってくる縁があるんじゃねえの。お、家族っつったら……。

「まゆみんとこはさ、子どもいるのかっ?」

 まばたきするまゆみ先生。安達(あだ)太良(たら)は、旧姓だ。勤め先では旧姓だが、真弓(まゆみ)家に嫁いでいる。

「結婚したら、家族って増えるもんだろ。そーいやまゆみはっ」

 撤回が遅かった。違う、初めから訊くんじゃなかった。まゆみ先生の笑みに、切なさの色が混じっていたから。

「そうねえ……………………」

 涙ぐんでいたら、または、ものすごい剣幕だったら、完全に非があるのだと悟れた。華火の心拍が、高く、早く、増してゆく。

「まゆみっ!」

 今、伝えたいことを形にする猶予は与えてもらえなかった。安達太良まゆみの身体が光り、活動場所を白銀の世界にさせたのだ。

「まゆ……っ」

 手の甲でまぶしさをしのぎつつ、顧問のいる方へ近づく。人間が発光する自体、現実離れしているのだが、そんなものより、顧問を放っておかずにはいられなかった。

 白銀は、日常になじむことなく、儚く終わった。心細さを耐える華火。仲間はずれにされているようで、待つのがみじめだった。

 まずは、まゆみに「ごめん」だ。窓際の、ふみかの隣にあるパイプ椅子で、足を止めた。

「おい、おいおい、おい……」

 椅子には、安達太良まゆみのおもかげがある赤子が、寝息をたてていた。


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