~インスタント黒魔女は、いりませんか?~
今日、スーパーで買い物していると、特売の札と共に、黒魔女が売られていた。
値段は498円(税別)。
ワンコインを切っているのは珍しい。
やっぱり買い物は特売の日に限るな。
テレビやSNSでも話題になっていたし、せっかく安売りしているのだから、ものは試しで買ってみることにしよう。ほとんど迷うこともなく、僕はその黒魔女を買い物かごの中に放り込んだ。
家に帰り、食料品を冷蔵庫にしまったり、替えのシャンプーを棚に入れたりしたあと、僕は黒魔女に取り掛かることにした。
黒魔女はカップ麺の容器のような円柱状の入れ物に入っていた。
外側にでかでかと「インスタント黒魔女」と書いてあり、中身は見えない。
上蓋を半分ほどはがして中を見ると、黒い球体の塊と小さな袋が二つ入っていた。
袋にはそれぞれ「魔法の素〔さきいれ〕」と「魔法の素〔あといれ〕(できあがりの直前に入れてください)」と書かれていた。
上蓋に書かれた説明を読むと、まず「魔法の素〔さきいれ〕」を容器の中に開け、中の黒塊と一緒にお湯を点線のところまで注ぎ、上蓋をして三分間待つ。三分経ったら蓋を開けて「魔法の素〔あといれ〕(できあがりの直前に入れてください)」の方を入れて箸か何かでぐるぐる混ぜれば黒魔女が完成するらしい。
容器の見た目と言い、作り方まで完全にカップ麺と同じなんだな。
僕は電気ケトルでお湯を沸かし、説明書きのとおりの手順で黒魔女を作った。
それにしても、黒魔女が単なる黒い球体でよかった。ミイラみたいに干からびた状態で入っていたら、見ていて気分のいいものじゃないもの。
三分後。
上蓋を開け、「魔法の素〔あといれ〕」を入れて箸で中身をぐるぐる回す。
カップの中から立ち上る湯気が黒々としてきて、次第に宙に留まり、人の形をなしていく。
ぼわんっ、と間抜けな音を立てたかと思うと、煙の中から黒魔女が立ち現れた。
年のころは十五、六くらいだろうか。
黒魔女らしいローブで頭まですっぽり被っているがローブから伸びる細い手足やローブの下の顔は病的なまでに白かった。ぼさぼさの黒髪は肩より下まで伸びた長髪で、ローブの下から滝のように流れ出ていた。目は三白眼気味の黒目。こちらをじろっと見つめる視線には妙な迫力がある。細くとがった顎と、薄い唇。細い眉は感情を表さないように平らになっていた。
どこから見ても、誰もがイメージする黒魔女だ。が、身長だけはイメージとは違う。大きさはどう見ても出てきたカップと同じくらいしかない。手のりサイズの黒魔女だった。黒魔女姿の妖精のようだった。
その黒魔女はカップの置かれたテーブルの上で、宙に浮いていた。
「私を呼んだのはお前か」見た目に反して高く綺麗な声で黒魔女は言った。
まるでランプの魔人みたいだな。
「して、私に望むことはなんだ?」
……望むこと?
「すみません。考えてませんでした」
「はぁっ!?」
今度は素っ頓狂な声で黒魔女が言う。
「あなたね、呼び出しておいてそれはないでしょ! ちゃんと用法容量を守って正しく黒魔女は使いなさいよ!」
やけに律儀な黒魔女である。
「うーん、お試しで買っただけだからなー。具体的な使い道は何も考えてなかった」
僕は腕組みをして思案する。
「そういう勢いだけの買い物しないの! そういうことばっかりしてると無駄なものばっかり部屋に溜まって、一向にお金はたまりはしないんだから!」
世話焼きおかんのような説教モードで黒魔女は言う。
「とにかく、何かしら指示を出してもらわないと、こっちも消えるに消えられないんだから」
「そっか。それじゃあ世界平和とか」
「そういうスケールの大きいもの以外で」
「えっと。じゃあうちのクラスの佐藤さんが、隣のクラスの高橋君に恋してるみたいだから、成就させてあげて」
「あんたはお節介大魔神か!? それにそういうのは白魔女に頼むものでしょう?」
「白魔女は高かったから」何せ998円(税別)だ。黒魔女のほぼ二倍もする。
「どうせあたしは安い魔女ですよ」黒魔女が変なところで拗ねてしまった。
「とにかくあたしにできるのは、むしろ他人の恋路を邪魔することとか、嫌な先輩に小さな不幸をお見舞いするとか。イベントの日に天気を悪くするとかそういうことよ」
「小さな不幸ってたとえば?」
「そうね……」黒魔女が顎に指をあてて考え込む。
「向こう一週間は信号がタイミング悪く赤になるとか。駅で改札を通る時に必ず前の人が引っかかるとか。スマホのバッテリーが異様に早く切れるとか。テストの時にやたらシャーペンの芯が折れやすくなるとか。自販機で買ったジュースが常温で出てくるとか……」
本当に小さな不幸だ。
「インスタント黒魔女にそんなに多くを求めないでよ。本格的な黒魔法はちゃんと専門のお店に依頼しないと」
「そうは言っても、別に不幸にしたい人なんていないしなあ。あ、今、U国に戦争をしかけてるR国の大統領を始末してっていうのはどう?」
「だから、そういうのはインスタント黒魔女には無理だって言ってるでしょうが」
「そっかー。……あっ! じゃあ、こういうのはどう?」
僕が黒魔女にして欲しいことを話すと、黒魔女はこくこくと納得したように頷く。
「……っていう呪いなんだけど」
「それならできるわ。やってみましょう」
黒魔女はそう言うと魔法の呪文をつらつらと唱え始めた。黒魔女の体の周りに黒い煙がとぐろのように巻きつき始めたと思った直後、黒魔女の最後の呪文と共に一瞬で霧散した。
「これでオーケー。この市街全体に呪いが掛かったはずよ。ま、効果は一か月ほどだけどね」
いたずらっ子のような表情で黒魔女は言った。
「それじゃあ、あたしの仕事はここまで。またのお買い求めをお待ちしてるわ!」
黒魔女とは思えないような明るい挨拶を残し、黒魔女は煙のように消えていった。
翌日から、市内の様子はほんの少しだけ変わっていた。
数日後、地方紙の社会面にそのことが小さく取り上げられていた。
『街の美化 市民の意識改革か』と題されたその記事では次のように書かれていた。
〈ここ数日で、O市でのごみのポイ捨てが異様なほど減少した。
以前までは空き缶やペットボトルのほか、たばこの吸い殻が路上に投げ捨てられ、それらの回収・廃棄のための方法及び予算が市議会での論点となっていたが、ここ数日それらのごみが全くと言っていいほど見られなくなり、SNSなどでも話題を呼んでいる。
市のボランティアでごみ拾い活動をしている加藤さん(仮名)によれば「ある日から突然ぱっとなくなった。以前ならごみを拾っても翌日には同じ場所にまた落ちてるなんてことがあったが、ここ数日はまったくない」と首を傾げる。
この現象に市長は「市の美化活動に市民の皆さんの理解が得られた結果ではないか」と手ごたえを感じている。
一方で街中で捨てたはずのごみが荷物の中に紛れ込んでいるなどという怪奇現象も報告されており、同時に話題を呼んでいる。この現象に専門家は……〉
黒魔女の魔法はうまくいっているようだ。
僕は黒魔女に一つの呪いを依頼した。
「この街でポイ捨てをしたら、そのごみが捨てた人に戻っていく呪い」
それが僕が黒魔女に頼んだ呪いだ。
新聞で取り上げられていたように、ポイ捨ては市での問題になっていた。僕もボランティアで何度も拾いに行かされたが、捨てた人がちゃんと処分すべきだと常々思っていたのだ。
だから、空き缶でも、お菓子の袋でも、ペットボトルでも、吸い殻でも、ポイ捨てをしたら、それが当人の手元に戻ってきてしまう、いつの間にか荷物がごみだらけになってしまうような呪いを掛けたのだ。
思いのほか呪いはきちんと作用しているようだ。
効果はあと二週間以上残っている。
あの黒魔女、なかなかいい買い物だったな。
次は少し高くても、白魔女も買ってみることにしよう。
<了>