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日記  作者: 畑々 端子
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生きる意味 2022年2月8日(火)

晴れ


 今日は昨日よりも暖かった、雪になり損ねたような粒が一時だけ降った。昨日だったら雪になってたと思う。


 一昨日は寒くて眠れず、昨日は暑くて眠れなかった。


 うまく眠れない。


 明日は通院日だ。


 いつもに増して今日は早く寝ないと。



 小説の続きを書いている。設定が残ってないかとPCの中を探してみると、過去の作品があって読んでみたけど、今の方が下手くそになってるなと思った。


 ブランクがあるとはいえ、ちょっと落ち込む。。。なんとか書き続けるけどね。


 新聞を読んでいて、広告欄に「生きる意味とは」みたいな、生きる意味を論じた本の広告が載ってあった。


 この手の本はいつだってどこにでもあるし、中身も大体同じことが書いてある。


 私も生きる意味とか、生を受けた意味とか考えてみたことがある。割と本気で。


 個人的に至った結論が、自分の遺伝子を残す為と生きているそれだけで十分。と言うものだった。


 意味とか使命とかそういう理由を求めるのは人間だけ。


 他の動物よりも賢いから余計に物事を複雑に考えると言うのは頭脳が発達した弊害なのかもしれない。


 どうしてそう思ったのかと言うと、人が書いた哲学書や生と死にまつわる文章にはとても人間らしいばかりが書いてあって、曖昧ながらも全然結論を出すことができなかった。論と論で打ち消し合う感じ。


 もちろん、誰しも答えを求めて迷い悩む事柄なのだから、容易に結論が出るわけもないんだけどね。


 ふっと野生の鳥を見ていて思った、鳥はそんなことを考えない。自分の遺伝子を残す為に新しい命に命のバトンを渡して、ただただ生きてやがて死ぬ。


 人間社会以外では当たり前のことなんだと思う。


 生きる理由なんて必要ない。


 ただただ生きて生きて死ぬだけ。


 けれど、人は弱くて脆い。だから理由が必要。それもわかる。


 現に私は今それを猛烈に欲している。



 頭ではわかっていても、心がうまくなれない。



 だから、生きる意味の指南書はいつの時代も存在するんだろうな。

 

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