鈍い呪われ重い想われ
私の名前は神峰銀花。私には、どうしても踏みにじってやりたい相手が一人いた。
浜名凪。中学の時に出会ったそいつは、とても弱そうで、幸が薄そうで、かわいそうな人間だった。
体はとても細く、髪はぼさぼさで顔色はいつも青白い。特に酷いのは目元で、何が気に食わないのか、常にあたりを睨むように見ていて、その目の下にはくっきりと、遠目でもわかるほどのクマがあった。
私が知っている限り、クマがない日は一日だってなかった。あいつは毎日、満足に眠ることさえできていなかったのだろう。授業中によく居眠りをして、怒られていた。
さらにあいつには、友達が一人もいなかった。あたりを常に睨むように見ているから、みんなあいつを怖がって、近づこうとしない。たまに授業中に喋る機会があっても、あいつは相手のことを考えずに、一方的にまくし立てる喋り方をするものだから、誰も会話が続けられない。
数か月経つと、あいつは完全にクラスから孤立していた。休み時間になると、すぐに居眠りを始めるあいつの姿を見たときに、私はかわいそうな奴だと思った。あれじゃあこれから先もずっと幸せにはなれないだろうな、と心の中で馬鹿にしていた。
その頃の私は一言で言うと、優等生という奴だった。中学に入る前の成績は常に学年トップで、非行にも一切走らなかったし、入っていた吹奏楽部ではトランペットを使って、誰よりも活躍した。
私の両親は共に、人生を成功させた人間、というやつだった。何不自由のない毎日を送ることができ、欲しいものを全て手に入れた成功者。
そんな二人は、大切な一人娘の私にも最高の人生を生きてほしいと思っていたようで、幸せを手に入れるにはどうすればいいのか、毎日のように語っていた。幼い私は、そんな両親の言葉を心の底から信じて、両親が言うとおりに動いていた。
私が優等生をやっていた理由は、それだ。親の言う通りに生きようと思っていた。若いうちは遊ばずに、教師から良い評価を貰って良い学校に進学する。大学に入ったらコネを作って、良い男と結婚するか、良い会社に入って働く。私はそんな理想の未来のことばかり考えて、中学まで生きてきた。
そんな理想が壊れたのは、ほんの些細なことだった。一回目の期末テストの時にとった私の学年での順位が、トップの一位ではなく、三位だったのだ。
先生や仲良くしていた友達は、三位でも十分凄いと褒めてくれた。けど、私の両親はその結果を聞いて、大きなため息をついた。
『中学レベルの問題でしょう。あなたなら楽に解けると思っていたのに、どうしてこんなところを間違えたの』
『気が緩んでいるんじゃないのか。勉強の時間が足りないんだろ。今は遊んでいる暇はないぞ』
二人から呆れ顔で言われ、私はとても焦った。
親に失望されるのがなによりも嫌だった。苦しかった。こんなに期待されていたのに、それに応えられなかった自分が殺したいくらい憎かった。
それからの私は、今までよりもさらに遊ばなくなった。勉強の時間を倍に増やし、放課後、遊びに誘われても断るようになった。家に帰ってもずっと勉強をして、一点でも取り逃さないと言う気持ちで、次の期末テストにのぞんだ。
人一倍に努力をしても、何かが変わるわけじゃないと私は知った。順位は前と変わらず、三位のままだった。
私が落とした問題は、全教科をあわせてたったの二問だった。それなのに三位だ。それが意味することは、一位と二位の二人は、たったの一点しか落としていないか、満点だということだ。
私はきっと、一位をとった人間は私よりもまじめに頑張ったから、一位になれたんだと思って、隣のクラスにいるそいつに会いに行った。
そいつは机に足を乗せて、スマホを弄っているような不真面目な奴だった。それなのにそいつはみんなに囲まれて、褒めちぎられて、楽しそうに笑っていた。
その時初めて、他人が妬ましいと思った。
私よりも遊んでいるのに、なんで私よりもあいつが上なの?
他人に胸をかきむしりたくなるほどの負の感情を持ったのは、これが初めてだった。
苛立ちをおさえて、私が教室に戻ると、一人の女の子が期待をこめた眼差しで順位を聞いてきた。名前は日野廻。名前が読みづらいから、私はあだ名でひまわりと呼んでいた。
幼稚園からの友達で、私とは親友と呼べる間柄だった。日野はまじめだけど気弱な性格で、失敗を過度に恐れていた。普段は上手くいっていても、いざ本番になると酷く緊張してしまい、満足のいく結果がだせない。日野はそんな自分が嫌いだと言っていた。
そんな日野からは、親の理想に応えようと完璧を振る舞う私が、かっこよく見えていたらしい。
私が何をしていても、彼女は必死になって後ろをついてきた。遊んでる時も、難しい勉強をしている時も、帰り道もどんな時でも一緒だった。
私をそれを嫌がったりはしなかった。親からの期待という圧や、勉強のしすぎで疲れている時に、きらきらと憧れのこもった目で私を見て、明るく笑う日野が一緒にいると、私はいつも元気になれたからだ。日野は私の心を支えてくれる、大切な存在だった。
けど、あの時はあの目が、私を馬鹿にしているように感じた。だから思わず、私は目を背けてしまった。そして苛立ちをこめて、何も話したくないと、突き放すように言ってしまったのだ。
初めて日野と一緒に帰らなかったその日、私は両親に、三位になった理由を涙ながらに話した。
私はただ一言、慰めが欲しかった。がんばったけどそれは仕方がないねと、許してほしかったのだ。
結局何を言っても、お前が満点をとれば何も問題はなかったと、そう言われるのはわかっていた。けど、両親が私をまだ信じてくれているのなら、一回だけなら許してくれるかもしれない。私はそんな期待にすがって、延々と一位をとれなかった言い訳をし続けた。
両親は、そんな私を憐れみがこもった目で見つめていた。言葉の通じない動物に向けるような、冷たい目で見つめていた。
何を言っても無駄なのだと、そう思った瞬間、急に何もかもがどうでもよくなった。親からは失望された。親友を突き放した。他の友達との縁もほとんど切れている。もう元の優等生の私には、何をしても戻れない。なら、もう理想通りに生きようとしても、何の意味もない。
次の日からずぶずぶと、そしてゆっくりと、私は腐っていった。
親の顔をだんだんと見なくなった。授業をまったく聞かなくなった。部活をやめて、今まで軽蔑していたガラが悪い人たちと付き合うようになった。
喧嘩が起きたらはやし立てた。気に食わない人間がいたら悪口を言った。いじめが起きたら喜んで加担した。
行動に比例するように、成績もがぐんと下がった。先生から何度も、今ならやりなおせると言われたけど、私はそれを無視した。将来のことなんて、何も考えたくなかったからだ。
二年生になる前に髪も染めて、私は完全に不良というやつになった。
悪いことをしている時は、無理に優等生をしていた分の反動か、やってはいけないことをしている気分になって、気分が高揚した。特に抵抗ができない、弱くてかわいそうな他人をいたぶっている時が一番スカッとした。自分が上だと常に思えるのが、とても愉快だった。
だから私は、二年生になってからのいじめのターゲットに、浜名を選んだ。二年生になるまで、誰とも関われずに生きてきたあいつのことだ。心の中は荒んで、乾いているはずだ。そんな時にいじめなんて受けたら、完全に心が折れて、精神がズタボロになるだろうなと、思ってだ。
私は浜名の泣いた姿が見たかった。いっつもつまらなそうな顔をしているあいつを、涙でぐしょぐしょの顔にしてやりたいと思っていた。
学校の裏に連れ込み、私と同じような不良たちと浜名を蹴りあった。浜名は思った以上に抵抗しなかったから、つい勢いがついて、加減をせずに蹴りこんでしまった。そんな私を、みんなはやりすぎーと笑いながら言って、同じように浜名を蹴っていた。
十分ぐらいして、みんなが疲れてきたころに、私はあいつの泣き顔を想像しながら、顔を覗き込んだ。
どぐんと、胸が鳴った。覗き込んで見たあいつの顔は、まるで変わっていなかった。何もなかったように、いつも通りに、私をただ睨んでいるだけだった。
私は一歩後ろに下がろうとしたが、足がひっかかってしまい、無様に尻もちをついた。他の奴らから笑われて、慌てて立ち上がったけど、足が震えて一歩も動けなくなっていた。私はその時、怯えていて、放心状態になっていたのだと思う。
浜名の温度のこもっていない、氷のような視線は、あの日の両親にとてもよく似ていた。
浜名はそんな私を気にせずに立ち上がったかと思うと、当たり前のように外へと歩きだした。その様があまりにも堂々としていたから、他の奴らもあっけにとられて、立ち去っていく浜名を見つめていることしかできなかった。
その日からずっと、高校生になるまでの間ずっとだ。私は浜名に執着するようになった。見たくない、忘れたいと思っていたあの視線を消し去りたくて、私は何度も浜名をいじめた。あの冷たい目を涙で塗りつぶしてやりたかった。
けど、ダメだった。浜名は私を、あの目でしか見なかった。怒って仕返しをすることはあった。痛がったりすることもあった。けど、まるで変わらない。何も変わらない。あいつは何をしても、私をあの目でしか見ないのだ。
あの目は私に、期待を背負っていたころを嫌でも思い出させる。あの頃は何も考えずに、正しく生きていれば良かった。みんなそんな私を好きでいてくれたし、私も私が好きだった。それでよかった。それが一番の幸せだった。
なんで私はこんな風になった。なんであんな目で見られないといけない。なんで、なんであんなかわいそうな奴が、私をその目で見るの。なんで私はこんなにも、惨めなの。
変わらないあいつは、私と真逆だと思った。誰よりも幸せになれたはずなのに、諦めて何もかもを取りこぼした私。不幸ばかりの毎日なのに、どこまでも自分らしく生きるあいつ。
憎くて憎くて、悔しくて悔しくて、死んでしまえばいいなんてもう、何万回思ったかもわからなかった。
ああ。だからか。
今日、私が死ぬのはきっと、罰なのだ。
「ドラマとかだと、崖から飛び降りたりするよね。自殺って。私はあんな死に方、絶対嫌だなって思うんだ……だって、絶対痛いから」
満月の夜だった。雲一つない空の下、砂浜を踏みしめる音が二つ響く。それ以外の音はない、とても静かな夜だった。
「死ぬ時まで、苦しむ必要はないよね。生きている間、もう十分に苦しんだのに、なんで最後の最後で一番苦しそうなやり方で、死のうとするんだろう。子供のころから、ずっと不思議だったんだ」
声は私の真後ろから聞こえてくる。不自然なほどに明るく喋る声の主は、とんとんと、私の背中を押してくる。押されるたびに、私の心臓がバクバクと鳴る。
とても静かで、涼しい夜なのに、私の体からは冷たい汗と、決して少なくない血が、だらだらと流れていた。
「でも、最近になって理由が分かった。あれは長く苦しみたくないから、そうしているんだよね。高いところから飛び降りる人、電車の前に飛び出す人。一瞬だけ大きく苦しむ代わりに、あっという間に楽になれる……必要なのは、ほんのちょっとの勇気だけ」
「……ひ、まわり」
親友だった女の子の名前を呼ぶ私の声は、酷く震えていた。
「ギンちゃん。それがわかっていても、私はね。わかっていても、怖いんだよ。勇気をどれだけ振り絞っても、私はきっと前に進めない。痛いのは、苦しいのは、嫌だから。けど惨めに生き続けるのも嫌だから、私は崖の上でずっと立っているだけ。崖の上で、永遠に苦しみ続ける……けどね。ギンちゃん、私はあなたと一緒なら、痛いのも、苦しいのも我慢できる。一歩前に、踏み出せる」
「やめてよ……。お願い、ひまわり。考え直して。私は死にたくない。あんたにも、死んでほしくない」
「えへへ。ギンちゃん。最後だから言うけど、あなたは嘘をつくとき、語尾のトーンがちょっとだけあがるの。私に死んでほしくないのは、嘘だよね」
ぷすっと音がして、背中に鋭い痛みが走った。
「あっ!?」
「最後なんだよ。嘘なんてつかないでよ。ほら、誰かが来る前に、海につかないといけないんだから、早く、立って、前に、進む」
ぷすぷすと、うずくまる私を小さく何度も、日野は刺してきた。日野が持っていたのは、あの花音という少女が持っていた、カッターナイフのような可愛い物じゃなくて、もっと図太い肉厚の、サバイバルナイフと呼ばれるものだった。
「あ、ああっ、痛いぃ!や、やめて!も、もう嘘は言わない、絶対言わないから!」
「じゃあ早く立って。次に嘘ついたら腕だけじゃなくて、首も縛るよ。私は最後まで、ギンちゃんと一緒にいたいだけ……死んでも、気にしないからね」
「ひ、ひまわり……なんで」
ガチガチと歯が鳴りだす。後ろにいる日野は、私が知っている明るい日野とはまるで違う、冷たい人間になっていた。
震える足で立ち上がり、逃げるように歩き出す。海に近づけば近づくほど、私が死ぬのは早まる。けど止まったら、きっとあのナイフでめった刺しにされるのだ。日野の言葉は脅しじゃない。だって日野が私に嘘をついたことは、今まで一度だってなかったのだから。
「私はね、ずっと憧れていたんだ。頭が良くて、優しくて、かっこいい。ギンちゃんは私にとって、ヒーローだった。なのに……中学生になってから、ギンちゃんは変わった。私のことを無視するようになったし、私をいじめてた人たちと、仲良くするようになった」
「え……嘘。ひ、ひまわり、いじめられていたの」
「まあ、知らないよね。ギンちゃんはあのころ、自分の成績のことで頭がいっぱいだったから、私のことなんて見もしなかったし、私も邪魔をしたくなかったから、話そうとはしなかった。テストが終わって、ギンちゃんが落ち着いたら、相談しようって思ってたんだ……。結局、そんな日はこなかったけど」
「……ご、ごめんなさい!私あの時は焦っていて、周りがよく見えていなかった!それが理由で私を殺したいのなら、ちゃんと償うから!」
「違うよ。私はギンちゃんと一緒に死にたいだけ。あの頃の、輝いていたギンちゃんとね……」
「あの頃……?どういうこと、ねえ、ひまわり……?私、あんたがわからない。どうしてこんなことするの……なんで、死のうとするの?ちゃんと教えてよ……」
ぱしゃりと、足に水がかかる。私たちは波打ち際にまでやってきていた。夜の海にはやはり、私たちしかいない。睡眠薬で眠らせた私を盾に脅され、ここまで車を走らせてきたお父さんも、どこかに行ってしまった。助けを呼びに行ったのだろうけど、私が日野に殺されるまでに、助けが間に合うだろうか。
「……そっか。じゃあ、今から教えてあげるね」
いつだって、変化が起きるのは突然だ。あの時も、今日も、私の意志に関係なく状況は動いていく。
音はなかった、と思う。痛みが痛烈過ぎて、よくわからなかった。
左の腹が、焼けるように痛い。下を向くと、血が付いたナイフの刃が、私の腹から飛び出していた。
「あ、ああ……ひどい……」
叫びたいほどに痛いのに、喉がかすれて、声が出なかった。ナイフが引き抜かれ、血がさっきまでの比じゃない速度であふれ出していく。腕が縛られているから、血が溢れるのを、止めることもできない。私はもう数分もしないうちに、出血多量で死ぬだろう。
「ひ、ひまわりは……これで満足……?私を刺して、海に捨てて、満足なの……?」
「ううん……私もいくよ、ギンちゃん」
後ろから、くぐもった声が聞こえてきた。それは何かをおさえているかのような声で、驚いた私が振り向くとそこには、私が刺された個所と同じ左の腹を、ナイフで刺した日野が、苦悶の表情で立っていた。
「なに、してんの……?」
「言った、でしょ。一緒に死にたいの……これでもう、二人とも助からないね」
日野は腹からナイフを引き抜いて、私を縛っていた縄を切った。腕が自由になった、と思った瞬間、手首に何かがあたり、ガチャリと音が鳴った。
それは手錠だった。私の左手首にがっちりとはまっていて、引っ張ってもびくともしない。手錠の反対部分は、日野の右手首にはまっていた。
「これで、逃げられない。鍵はもちろん用意してないから、抵抗しようだなんて、考えないでね。ギンちゃん、もう少し進もう。できるだけ深い場所で、話がしたいから」
拒否権はなかった。念を押して、言われるまでもない。私にはもう、抵抗するための力も意思もなかった。
海の中へと、私たちは少しづつ入っていく。一歩進むごとに、私の体から温度が消えていく。
だんだんと冷たくなっていく左手に、ふと温かいものが触れた。視線を動かすと、日野の手が私の手をぎゅっと、包むように握りしめているのが見えた。
「……ギンちゃんが、不良になる前に、期末テストがあったでしょ。私が結果を聞こうとしたら、何も話したくないって、ギンちゃんが言ったあの日。あの時から、私たちはあんまり喋らなくなったよね。一緒に帰ることも、遊ぶこともなくなった」
真横にいる日野は、もうすぐ死ぬとは思えないほどに、穏やかな顔をしていた。
「私はあの日、初めてギンちゃんが嫌になった。そっちがそういう態度をとるのなら、こっちだって無視してやるって、その日は思った。そして、私がギンちゃんを無視するようになってから、ギンちゃんはだんだん壊れていった。部活もやめて、勉強もやめて、暴力も平気でふるうようになったよね」
「……」
「私はそれが凄く、怖かった。私の知っているギンちゃんが、だんだん知らない誰かに変わっていくのが、怖くて怖くて仕方がなかった。だからますます距離をとるようになった……親友のギンちゃんが壊れていくのを、助けようともせずに見捨てたんだ」
「違う……ひまわりは、何も悪くない」
落ちこぼれたのは、全部私のせいだ。私が諦めないで、もっと頑張り続けていれば、あんな風にはならなかった。それにもし、ひまわりがあの時の私を止めようとしても、私は絶対に話を聞こうとはしなかっただろう。
「ううん。ギンちゃんの心の痛みをわかっていて、見捨てた私が悪いんだよ。ギンちゃんが無理をしていたことも、慰めが欲しかったことも、私は気づいていた。そのうえで、何もしなかったんだよ。元のかっこいいギンちゃんが残っているって、信じきれなかったから……もし気に食わないことを言ったら、私をいじめるつもりなんじゃないかって、怖かったから……!親友だったのに!」
「……ひま、わり」
「……ギンちゃんが、浜名さんに執着するようになってから、誰もギンちゃんに近づかなくなった。私は一人で泣いているギンちゃんを見て、そこでようやく、助けてあげないと、って思ったの」
日野は喋りながら、自嘲するように笑っていた。
「クズ、だよね。馬鹿だよね。鈍いよね。完全に壊れたあとに、何が助けるだよ。こうなることがわかってて見捨てたくせに、何友達面してるの。何回も何回も思って、そのたびに自分が嫌いになった。このナイフはね。その頃に自殺用で買ったんだ。中学の時からもう、私はずっと死にたくてしかたがなかった」
「……私のことを、考えすぎだよ。なんで、そんなにも私を気にするのよ」
「私は子供のころからずっと、ギンちゃんのことしか考えてなかったよ。嫌いな自分より、かっこいいギンちゃんのことを考えていた方が、私は幸せになれたの……」
「私を、殺そうとするのも、それが理由……?」
「……昨日、桜さんがカッターを取り出した時、一瞬だけあの頃のギンちゃんが見えたの。暴力を嫌って、話し合いで場をおさめようとするギンちゃんが確かにいた。でも、今日ギンちゃんのお家に行ったら、ギンちゃんは元に戻ってた。殺してやるなんて言う、壊れたギンちゃんに戻ってた。私は、ギンちゃんにあの頃のままでいてほしかった……もしかしたらこれから先、ギンちゃんはもっと壊れてしまうかもしれない。そしたら、今よりもっとギンちゃんは苦しむし、昨日見たあの頃のギンちゃんも消えてしまうかもしれない。そう思うと、凄く怖くて……だから、殺すことにしたの。あの頃のギンちゃんが完全に消えてしまう前に、私はあなたを殺したかった」
私たちはもう、体の半分が海に浸かっていた。温かい手のぬくもりも、もう感じられない。
空を見ると、暗い夜空に綺麗な満月と、輝く星々が見えた。もう少しで死ぬのだと思うと、あまりにも悲しくて、私の目から涙が流れた。はっきりと映っていた月と星たちが、ぼやけて見えなくなっていく。
「ねえ、ギンちゃん。輪廻って、信じる?私は生まれ変わったら、何もかも忘れて、また最初からギンちゃんと友達になりたいな。そしてもう二度と、ギンちゃんを見捨てたくない」
日野ももう限界のようで、言葉はところどころかすれていた。笑おうとしているみたいだったけど、口がほんの少し動くだけで、形にならない。
ただ目だけは、何も変わっていなかった。昔と同じように、期待をこめた目で、私を見つめている。その瞳がいつも、私に力をくれていた。私を支えてくれた、大切な友達の想いがこめられた瞳。
私は、その瞳から逃げるように、瞼を閉じた。
「私は……来世では、普通には生きたい。普通の家庭で、普通に友達を作って、普通に人生を生きていたい。日野が好きなギンちゃんには、もうなりたくない……ああ……ただ、凪には、謝りたいな……」
どうしてもやりたいことは、思いつかなかった。ただ、やり残したことが一つあった。
死ぬ間際になって、ようやく許されないことをしていたと、自覚した。胸の内から、ひたすら自責の念と、罪悪感がわいてきて、頭の中を埋め尽くしていく。
ああ、やった罪の重さはまるで違うけど、これが日野が抱いていた想いだったんだ。私はこの想いに、殺されるんだ。そう思うと、なんだかやるせない気持ちになった。
「酷いね……最後まで、戻ってくれなかった」
日野に首を掴まれ、海へと沈められる。呼吸をしようともがく私の口を、何かが覆った。
それが唇だと気づいたのは、日野の顔が私のすぐ前にあったからだ。体の後ろに腕を回され、抱きしめられる。日野は意識がなくなるまでの間ずっと、私だけを見つめていた。
だんだんと、視界が暗くなっていく。体から感覚が消えて、意識も遠のく。
寒くて、怖い。こんな時なのに、思い出すのはあの冷たい視線だ。凪も両親も、今の私を見てもやっぱり何も思わないのかな。かわいそうとも、助けようとも思わずに、あの冷たい目で見てくるだけ?
縋りつくように日野を抱きしめる。閉じていく世界の中で、日野の瞳だけが温かい熱を持っていた。
にっこりと、日野が笑った気がする。やっと戻ってくれたねと、声が聞こえた気がした。
これにておしまい。
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