想い想われ
「え、桜さん?ああ、うん。聞きにきたわよ。日野さんと神峰さんの住所。うん。え、理由?落とし物を拾ったから、届けてあげたいって。明日でいいじゃないって言ったんだけど、きっとなくして困っているだろうからって言われたから、教えたわ。最初は不愛想だと思ったけど、良い子なのよねーあの子。でもちょっと暗いから、クラスで浮いちゃわないか心配だわ。浜名さんでよかったら、仲よくしてあげてね。……え、あなたも知りたいの。なんで?ん、それともう一つ?」
○○○○○
「プライバシー保護法って知んないのかよあいつ……いや、私もよく知らないけど」
インターホンを軽く押し、ぼんやりと待つ。
私は放課後、神峰の家に来ていた。駅から近いうえに、かなり大きい土地に建てられた純白の家を見た時は、本当にここがあの神峰の家か疑った。失礼だが、あんなに荒れた性格をしているんだから酷い環境で育ったんだろうと思っていたから、ボロいアパートとかに住んでいるんだろうなと予想していた。
駐車場には、フロントにアンテナのようなものがついた、見るからに高そうな車が置いてある。玄関前には複数花壇が置いてあり、綺麗な青やピンクの花がたくさん咲いていた。
金持ちなうえに、花の手入れを怠らないまじめな両親がいて、なんであんな風に育つのやら。
あいつの親は、私の親と同レベルだと思っていたのに……。娘がいじめを受けていても自分でなんとかしろの一点張り、高校生になったのにお小遣いは月に五百円しか渡してくれない、私の父親と母親はそんな人間だ。他の家庭と比較すると、悲しくて泣きたくなってくる。
「というか遅い。あいつもしかして、サボって遊んでるんじゃないの」
窓を見ると、内側のカーテンが全て閉められていた。全員が留守じゃないとああはしないだろう。あ、でも自転車はあるな。どこかに行っているとしたら、近くのコンビニとかだろうか。
帰ってくるまで待つの面倒だな、と思っていると、ガチャリと鍵が開く音が聞こえた。そして中から、意外な人物が出てきた。
「あ……は、浜名さん。どうしたの」
「あれ、日野さんこそ、なんでここに」
出てきたのは神峰ではなく、彼女の友達の日野だった。体調が悪いと言うのは本当だったようで、顔が少し青く、息をハァハァと荒く繰り返している。それと学校に来ていなかったのに、なぜか制服を着ていた。
「わ、私はギンちゃんが心配で、か、看病しにきたの」
「看病?いや、看病されるのは日野さんの方じゃ……大丈夫?顔色だいぶ悪いよ。あんな奴看病していないで、家で寝てた方がいいんじゃない?」
「わ、私はへ、平気。そ、それより浜名さんは何の用で、ギンちゃんの家に?」
「あー……いや、ちょっと確認をしたかったというか」
「か、確認?」
「うん」
生きてるかどうかの安否確認、とまではもちろん言わなかった。さすがに彼女の友達に、『あいつ死んでる?』とか聞けない。
「神峰いる?正直話したくもないんだけど、一応花音について、聞いておきたいことがあるからさ。いるなら呼んできてほしいんだけど」
「っ!い、いや!ギンちゃんは今ちょっと、ヒステリックになってて!外に出られないの!だ、だからダメ!」
ヒステリックになっているのも日野さんでは、と思うほどの剣幕で断られた。叫ぶような声で言わなくてもいいと思う。息を荒げながら話す日野さんを見ると、昨日の花音を思い出して、ちょっと怖かった。
やっぱり体調が悪い状態で無理をすると、ストレスがたまるのだろう。あんまり長話はしないで、立ち去った方が良さそうだ。
しかし、ヒステリックか。家から出られなくなるほど、花音が怖かったのだろうか。神峰の性格だから、すぐに仕返ししてやるとか言って、復活すると思っていた。どうやら意外と臆病な性格だったらしい。
「じゃあ日野さんでもいいや。昨日、花音が家に来たりしなかった?先生に二人の住所を聞いてたみたいだから、もしかしてどっちかの家に来たんじゃないかと思って」
「……あ。うん。絶対じゃ、ないけど。たぶん私の家に来たと思うよ。桜さん」
「ほんと!?」
日野さんには、心当たりがあるようだった。こちらをチラチラと横目で見ながら、ぼそぼそと喋り始める。
「ぜ、絶対じゃないけどね?ただ昨日の真夜中に、外から足音がしてね。私の家って狭い路地にあるから、いつもは人が通らないんだ。だから気になって窓の外を見てみたら、私の家の前に誰かが立っているのが見えたの。何か、ノートみたいなものを持ってた」
「ノート?」
「うん。暗くてよく見えなかったから、何のノートかはわからなかった。あとその人の目的も、よくわからなかった。結局数十分私の家の前をウロウロして、何もしないで去っていたから……その時は空き巣に狙われていたのかな、って思った。けど、思い出してみたら背格好が桜さんにそっくりだったから……」
「そっか……花音は、何もしなかったんだね。神峰からは、何か聞いてる?」
「い、いや。ギンちゃんは昨日からずっと寝たきりだったみたいだから、桜さんが家に来てたとしても見てないと思う」
「……ポストに何か入ってたりとかは?花音が持ってたノートとか」
「そういう話はしなかったよ」
「そうなんだ」
良かった。花音が何を狙って、日野さんの家に来たのかはわからない。もしかしたら昨日の件で、日野さんを脅しに来ていたのかもしれない。
だけど花音は結局、何もしなかった。家の前まで来て、思いとどまってくれたのだ。
「よかった……。私が聞きたかったのはそれだけ。ありがとね」
「う、うん」
私は家の前から離れて、駅へと向かうことにした。花音が何もしていないのなら、怯える必要はなくなった。
「は、浜名さん。一つだけ、聞いていい?」
玄関から離れると、日野さんが不安げに声をかけてきた。私が何だろうと思って待っていると、しばらく逡巡した後に、日野さんは私の目をまっすぐに見つめてきた。
「桜さんは、昔からああじゃなかったんだよね。誰のせいで、ああなったの」
「……い、いきなり何?」
予想もしていなかった言葉に、思わず胸がどきりとする。心臓を槍に貫かれたみたいな気分だった。
「昨日浜名さんは、桜さんに謝っていたよね。浜名さんのせいで、桜さんはああなったの?だとしたら、浜名さんは相当酷いよね。あんな風に人の心を病ませるなんて」
「…………う、ん。それは、そうだけど。日野さん、急にどうしたの」
「浜名さんが何もしなければ、桜さんは幸せに生きられたとしたら、浜名さんはどう思う?私がいなければ良かったって、死んでおけば良かったのにって、思う?」
目をそらして今すぐにここから離れたいのに、日野さんのまっすぐな瞳から目が離せない。嘘はバレるし、正直に答えるまで逃げられないと、なぜか感じた。
強張ったのどを懸命に動かしながら、私は答えた。
「思わないよ。日野さんが何を聞きたいのかわからないけど、私はただ後悔しているだけ。花音が変わっちゃったのが私のせいなら、今からでも償いたい。そして許されるなら、昔みたいに一緒に遊べるようになりたいよ。死にたい、とか思わない」
「…………そっか」
日野さんはしばらく黙って、私を見つめていた。その目はなんだか、とても悲しそうで、泣き出す寸前の子供のようだった。
「日野さん?」
「ううん、なんでもない。なんでもないよ……。ごめんね、引き留めて。桜さんとまた、仲良くなれるといいね。私は浜名さんのこと、応援してる」
ばたん、と扉が閉められる。
「……なんだったの」
よくわからないが、彼女の気は済んだみたいだ。ちょっと様子が気になるが、別に彼女とは友達ではない。私を殴ったりはしなかったから、恨んでもないけどそれだけだ。私が心配するのは筋違いだろう。
スマホを見て時間を確認すると、時刻は五時十分だった。今から行ってもまあ、大丈夫だろう。私は遅れを取り戻すように、駅に向かって走り始めた。
○○○○○
「……え、ほんとにここ?」
私の前には、錆があちこちについたボロいアパートがあった。真昼間なのにアパートの一室から、ギターの音がうるさく鳴り響いている。
昔はもっと綺麗な一軒家に、花音は住んでいた。確か両親が共働きで、母親の方が銀行員だったからお金もたくさん持っていたはずだ。それなのに今はこんな場所に住んでいるなんて、本当に何があったんだろう。
階段を昇り、教えてもらった部屋のインターホンを押す。
それからドアを開いたときに隙間ができる方に回り込んで、チャンスがきたらいつでも動かせるように手と足を構えた。
「……あれ、誰もいない?」
ひとりごとのあとにガチャリと音が聞こえ、小さくドアが開かれる。私はできた隙間に手と足を差し込み、閉められる前に体を玄関へと滑り込ませた。
「きゃ、ってむぐ!?」
「ごめん花音、ちょっと静かに」
叫ばれると困れるので、手で口を強引におさえる。むがむがと制服姿で暴れる女子高生を抑え、玄関で押し倒している女がいる。この光景を誰かに見られたら、私は間違いなく捕まるなという確信があった。やめないけど。
「な、凪ちゃん!?な、なんでここに!?」
「事情は後で説明するよ。とりあえず、ゲームセンターいこっか、花音」
「なんで!??」
○○○○○
「ほんとになんで!?私お金なんて持ってないよ!」
「大丈夫大丈夫。親から一万円パクってきたから、今日一日だけなら遊び放題だよ」
「な、ななななにしてるの!?」
慌てる花音を宥めながら、私たちは街のゲームセンターに来ていた。花音に言った通り、今日の朝に親の財布から諭吉さんを一枚くすねてきたので、今日の私はやりたい放題できる。
帰ったら地獄の説教が始まるだろうけど、知ったことではない。今まで取り上げられたお年玉の額を思えば、一万円なんて安いものなのだ。私は親に奪われたお金を取り返しただけ、私は悪くない。
神峰と花音の家、あとこのゲームセンターに行くのに全てタクシーを使ったので、残りは六千円くらいだ。帰りのタクシー代のことを考えるともっと少ないけど、まあ大丈夫だろう。
「ほら花音、入り口の前で立ちっぱなしだと邪魔になっちゃうよ。早く入ろ」
「ま、待って。私を置いていかないで凪ちゃん。私、凪ちゃんのペースについていけないよ……」
「じゃあ手を握って。私が引っ張っていくから、離れないようにね」
「止まってって言ってるのに……」
未だに混乱しているらしい花音の手を取って、中に踏み込む。中には私たちと同じような高校生がクレーンゲームをしていたり、猫背でスロットに座っている大勢の大人がいた。
「平日なのに、みんな暇そうだね。ここに来る以外、やることないのかな」
「凪ちゃんねえどうしたの?怒ってるの?ねえ、怒ってるの?」
「いや、楽しんでる。自分でもヤバいこと言ってるなって自覚はあるんだけど、抑えが効かないの。こんな場所に友達と遊びにきたのって初めてだから、ちょっと理性が外れてるのかも」
「と、友達?わ、私と凪ちゃんが?」
「うん。今日から友達。だめ?」
「…………ま、待って。今混乱してて、なんて言えばいいのかわからないの。ちょっと時間を、」
「あ、あそこ空いてる!行くよ花音!」
「ひぃ!?ひ、引っ張らないで痛い、痛いから凪ちゃん!」
抗議をする花音と一緒にずんずんと、人波をかきわけ進んでいく。たどり着いた場所には、大きな太鼓と叩くためのバチが置いてあった。
「はぁはぁ、な、凪ちゃん」
「あ、ごめん花音。ちょっと急ぎすぎたね」
「う、ううん。私は大丈夫……だよ。それより、凪ちゃんはこれで遊びたいの」
「うん。一度もやったことがなかったから、気になって」
「え!?」
今日一番の大声で、花音が驚く。信じられないとばかりに目を見開き、口を半開きにしながら私を凝視していた。
あ、なんか懐かしい。前にもこんなことがあった気がする。
あれは確か、私がコオロギを素手で掴んで、花音の前に持っていた時だ。花音は虫が苦手だったみたいで、私がコオロギを見せると今と同じように驚いて、悲鳴をあげながら逃げ出したのだ。逃げられる理由がわからない私が、コオロギを持ったまま追いかけて、花音はそんな私からずっと逃げ続けていた。あの時は鬼ごっこをしているみたいで、ちょっと楽しかったな。
「……そんなに変?」
「これをやったことがない人を、私は初めて見たよ」
「え、うそ。これお金かかるんだよ。普通やらないでしょ」
「百円でできるから、子供の時に一回はやると思うけど……そっか。凪ちゃんの両親、厳しかったもんね」
「厳しいっていうか、あれはもう病気。私のお小遣い、いまだに五百円だよ。信じられる?」
「それは確かに酷いね。でも凪ちゃん、だからって盗むのは絶対ダメだと思う」
「う、いや、このお金はただ取り返しただけだから!色々事情があるの!」
じーっと睨んでくる花音から逃げるように、私は二枚百円を投入した。
「曲はよくわからないから、ここに貼ってあるやつにするね。あの流行りのアニメのやつ。ほら、花音もバチ持って。始まるよ」
「……ねえ、凪ちゃん。聞くのが遅くなったけど、本当にただ遊ぶために、私を連れだしたの……?本当は私に、何か聞きたいことがあったんじゃないの」
「いや、何も。ただ遊ぶためだよ」
「即答!?」
私の返答が予想外だったみたいで、花音は完全に固まってしまった。私はそんな花音を半ば押すように太鼓の前にたたせ、バチを握らせた。
「私はさ、同じ失敗をしたくないんだ」
「え、どういうこと?」
「昨日言った通り、私は昔、花音に八つ当たりをした。自分の中で抱えていた不満を、全部花音にぶつけた。そしたら、花音は自分が呪われているんだって、思い込むようになった」
「……凪ちゃんは、何も悪くないよ。私が全部悪いの。凪ちゃんを見捨てた私は、不幸な目にあって当然な人間だから……。それに昨日、凪ちゃんに言われて気づいたんだ。私は不幸の全てを、凪ちゃんのせいだって押し付けようとしてた。凪ちゃんは私のことを想ってくれてたのに、そんなこと考えもせず、勝手に呪ってるんだって決めつけてたんだ。そっちの方が楽だったから……凪ちゃんをいじめてた人を脅したのも、自分がいじめられている凪ちゃんを守ろうとする、良い奴だって思いたかったから。私は口では凪ちゃんを守るためって言ってたけど、結局自分のことしか考えていなかったの。あの時から、何も変わってない。良い子ちゃんのまんまなの」
「花音。ちょっと話が長い。もう始まっちゃうよ」
「え!?あ、ごめん!私ばっかり話して!」
「花音って、もしかして転校してからぼっちだった?ずっと一人で喋り続けるなんて、中学の私にそっくりだよ。もっと明るくて、簡単な話をしよ。今のままじゃ、友達できないよ。私が保証する」
「な、凪ちゃん。なんて悲しい顔を……」
おかしいな。自分を責めて落ち込んでいる花音を慰めようとしていたのに、なぜか私が哀れみの目で見られている。私は大丈夫だからいいんだ。もう昔のことなんて全く気にしていない。
それよりも今は、花音の話がしたい。ここはいったん仕切りなおそう。
「花音。今度はちゃんと、本当に伝えたいことを言うよ。私は花音が悲しんだり、苦しんだりしている姿を見るのが嫌なの。今日学校で、ずっと花音のことを見ていたけど、全然笑ってなかったよね。授業中も休み時間も、つまらなそうに窓の外を眺めてた」
「み、見てたんだ……」
「あくびしたり、教科書忘れて慌ててるところまでしっかりね。あ、ゲーム始まるよ」
「そこは言わないで黙っててよ!?」
流れてくる音符をたたきながら、私は話を続けた。
「今日ゲームセンターに来たのは、二つ。花音ともう一度、普通の友達になりたかった。小学生の時に仲良くなれなかった分、いっぱい仲良くしたいって思ったの」
「……凪ちゃん」
「そして花音と一緒に遊んで、花音が笑っているところを見たかった。私は選り好みをするタイプで、嫌いな人は地獄に落ちろって毎日のように思うけど、好きな人には、毎日幸せでいてほしいって思うの。花音が私に罪悪感を感じているのなら、不幸になって当然だなんて言わずに、幸せに生きてほしい。私にとってはそっちの方が、何倍も嬉しいから」
「…………凪ちゃんは、どうしてそんなに優しいの」
隣を見ると、花音はポロポロと涙を流していた。首をふるふると振りながら、懸命に嗚咽をこらえている。私はバチを戻して、震える花音を抱きしめた。
「私は酷い人間なのに、なんで」
「私は一度も、そんな風に思ったことないよ。昨日だって、私を守ろうとしてくれたでしょ。花音は全部自分のためだったって言うけど、私は凄く嬉しかったよ」
「呪われてるって、毎日思ってた。あの子のせいで、こんなに辛いんだって。何の関係もない凪ちゃんを恨んで、憎んで、心の中で死んじゃえって何回も思った。それでも、いいの?そんな私が、笑っていいの?」
「良いに決まってるでしょ。私が恨まれるようなことを言ったのが悪いんだからさ。私だって、同じことを言われたらむかっとくるよ。私は荒っぽいから、間違いなくグーで殴ってる」
「……あはは。うん、昨日の蹴りができる凪ちゃんなら、本当にそうしそう。あれ手首のところ、痣できてるんだからね」
「え、嘘でしょ!?あ、私謝りもしてなかった……ご、ごめん花音!」
完全に今更なのにペコペコと情けなく、何度も謝り始める私を見て、花音がくすっと笑った。
結局二人とも、最後までまともに譜面を叩くことはなかった。私の耳には太鼓の音ではなく、画面から流れる綺麗な歌声と、花音の嬉しそうな笑い声だけが響いていた。
○○○○○
「ところで花音、日野さんから聞いたんだけど、昨日二人の家に行ったんでしょ。何しに行ってたの?」
「え、あー。バレてたんだ、私……窓からのぞかれてたのかな。大したことじゃないの。ちょっと、デスノートを届けにいってただけだよ。結局バレて捕まるのが怖くって、ポストに入れられなかったんだけどね」
「え、なに?なんて言ったの??それは本当に大したことじゃない?」
帰りのタクシーの中で、私は花音に思いきって、昨日のことを聞いてみた。花音はもうすっかり泣き止んでいて、だいぶ落ちついている。表情も朗らかになって、憑き物が落ちたかのようだった。
そんな花音の口から、デスノートなんて物騒な単語が飛び出すとはさすがに思っていなかったので、私は面食らってしまった。
「中学の時、私のお母さんの兄と妹さんが、別々の場所で一緒の日に死んでね。そんな呪われているとしか思えないことが起きたから、お母さん病んじゃったんだ」
「話始めが既に重い……」
「仕事にもいかなくなったし、まともに家事をしなくなった。部屋からも出なくなった。最初はお父さんと一緒にお母さんを励ましてたんだけど、効果が全然なくてね。そんな大変な時に、お父さんの仕事場で一人、自殺者が出たの。お父さんがリーダーで動いている部署の人だったから、みんなお父さんに原因があるんじゃないかって、コソコソ言ってたみたい。だからお父さん、キレちゃった」
「キレちゃったんだ……」
「酒の量が増えて、私をよく殴るようになった。それでできた痣が原因で、学校でも悪目立ちして、変な人たちにちょっかいをかけられるようになったの。そのころの私は、自分が呪われているんだって思うようになってたから、いじめられるのも当然だと思ってた。抵抗をしない私が不気味だったのかな、担任の先生もクラスのみんなも、最終的に私を無視するようになった……長くなったけど、ここからが本題ね」
「……花音。話を切ってごめんね。でもこれだけは言っておくね。花音は間違いなく呪われていると思う。絶対どこかの神主さんにお願いして、祓ってもらった方がいいよ」
「凪ちゃんは、関係ないんでしょ。なら、いいよ。私が悪いのなら、ずっと呪われ続けるつもりでいたけど、そうじゃないって今日わかった。私が嫌いな人がいて、私を呪っているのなら立ち向かうだけ。こういうのは気が大事って言うから、今日からいっぱい元気に生きて、呪いなんか跳ね返しちゃうよ。それでも不幸が続くなら、凪ちゃんの言うとおりにするね」
花音はにっこりと笑っている。地獄のような目にあってきた女の子が浮かべるものとは思えないほどの、晴れやかな笑顔だ。
ああ、そうだ。この子は昔からこうだった。嫌なことがあったらすぐに泣いていた弱い私とは比べ物にならないほどに、強い子だったのだ。
「で、話を戻すけどね。嫌な目にたくさんあって、お母さんほどじゃないけど、私もちょっと病んだの。その時に無意識に作ったのが、デスノート」
「無意識?」
「うん。朝になったら机の上に置いてあったの。三十ページもあるノートの一ページごとに、死ねって小さく大量に書き込まれた文字で、大きな『呪』って文字を作ってあるの。全部鉛筆で書いたみたいで、机の中を見たら五本も消えてた。鉛筆削りから削りカスがあふれ出して、床一面に散らばっているのを見た時はさすがにびっくりしたよ」
「…………へー」
恐怖を隠そうとした結果、思わず空返事になってしまった。
怖い。無意識にそんな物を作るほどの恨みを抱えて生きられる花音が、普通に怖い。
無意識の花音は、たぶん自分を呪った相手を恨んで、それを書いたんだと思う。要するにそのノートの本来の送り相手は、私だったのだろう。
「花音。本当に、私は呪ってないからね」
「わかってるよ?どうしたの、凪ちゃん。顔が青いよ」
「ただの車酔い。気にしないで」
強い人間ほど、普段は怒らないし優しいものだ。その分、怒ったときが何よりも怖い。
私はタクシーの中で、花音がもう二度と病むことのないように、これからいっぱい仲良くしようと心に決めるのだった。
○○○○○
次の日、花音は笑顔で学校にやってきた。クラスの人たちが全員、『誰?』という顔で、花音を見ている。登校初日と違って、今日の花音はしっかりと髪を整えているし、目の下に隈もない。
朗らかに笑う花音は、とても綺麗だった。
「あ、凪ちゃん!おはよう!今日もいい日だねー」
「……外、大雨だよ?」
「凪ちゃんが笑ってるから、良い日なの!今日学校の中見てまわりたいから、案内お願いね、凪ちゃん!」
言うだけ言って、飛び跳ねるように花音は自分の席へと向かう。口元に手を当てると、確かに花音が言うように、私の口元は笑っていた。
花音が笑うようになって、私は久しぶりに嬉しいと感じた。
長年肩に乗っていた重みが取れて、友達もできて、今の私はとても幸せだ。あとは神峰がちょっかいをかけるのをやめてくれれば文句なしなんだけど、と思いふと教室を見渡すと、神峰と日野さんがいないことに気が付いた。
いくら怯えているとはいえ、二日連続で学校を休むものだろうか。
私が不穏な物を感じていると、ガラガラと扉をあけ担任が入ってきた。
先生の顔は酷く暗く、騒いでいた生徒たちが全員黙り込むほどだった。
「……みなさんに、残念なお知らせがあります。昨日、神峰さんと日野さんが……」