8話 需要と供給の偽善論
「へぇ……ガーネットウールの毛……重さ的に1頭分かな? ふむ、スカーティングも丁寧にされているね」
辿り着いた洋服屋でオレは椅子に座らせて貰い、じっくりと足を休ませる。
いやほんと、足きっつい……
疲れでダウンしているオレを置いて、リレルはガーネットウールの毛を店の店長と名乗った女性に手渡していた。
洋服屋の店長は虫眼鏡っぽいもので毛を細かく確認して、色合いなどを確認した後……
「保存状態も良好、刈り取りも綺麗だ。それで? ご希望は買い取りか、これを素材に服の仕立てか」
「服の仕立てです」
「仕立ての方だね。この量なら、上下セットで……2着は難しいかな。セットの1着と残り生地を買取でいいかい?」
「いいえ、長袖2、半袖3でお願いいたします。量的には問題ないかと」
そこで一気に部屋の温度が下がった。
いやまじで、よく『急に部屋の温度が下がった』って表現あるだろ、空気が固まったっつーか、凍ったみたいなあれ。
今まさにオレはそれを体感している。
いきなり寒くなったせいで、思わず両手を己の腕にやって摩擦熱で暖を取ろうとしてしまう。
というか、どこ!? 寒さの原因どこだよ!?
「同じ素材で5着はちょっと味気なくないかい? その割り振りだと、そこの少年の服だよね」
「はい。ですが、長袖2と半袖3で全く問題ありません」
あれ、もしかして寒さの原因って、リレルと店長さん?
え、何で!?
「それならば、長袖1、半袖2。これがいいと思うよ。買取額を使えば、ズボンとかも調達も出来るだろうし」
「ズボンなどの資金は別途ありますので、問題ありません。長袖2、半袖3でお願い致します」
にこにこにこにこ、とリレルは三度繰り返す。
一方で店長さんは一瞬だけ頬が引きつったかと思うと、同じように笑顔で返してきた。
沈黙が続き、ホラーもびっくりな雰囲気に、オレは思わず椅子をずりずりと後退させてしまう。
「あ、アルムさん……アルムさん……!? なに、何なんだよ、この攻防戦!? 仕立ての話だったのに何でこんな殺伐としてるんですかあああ!?」
「気にすることはない。価値を知ってる者同士の壮絶なかけ引き交渉真っ最中だ。下手に口挟むなよ、こっちが不利になる」
「どういう意味ですかそれえええ!?」
まじで怖い。
あれだよ、笑ってない顔ってやつ。
腹黒い人たちがするようなあの笑顔。
見えない火花散ってるよ絶対、こえええええ!
一方でアルムは、出されたお茶をのんきに飲みながらも、うーむと考え込むような表情を浮かべ
「僕は説明系苦手なんだけどなぁ……ヒロト君にわかりやすい例えを使いながら」
カップを机の上に置いて、しばし両腕を組んで考え込むアルム。
その間にもリレルと店長さんの服の作成数の交渉が続いている。
オレ的には長袖1、半袖2でも問題なさそうな気がするんだけど……って、それ言ったら確定で店長さん側の援護射撃になって、味方の背中を撃つようなものだからさすがに言わない、言えない。
「これなら分かりやすいかな。ヒロト君、君の故郷にいらないものを引き取ってくれるお店とかあるかい?」
故郷?……あー! 元の世界とかそういう言葉を言わないための!
上手いな、故郷なら確かに違和感がない……それでオレも話合わせよう。
んで、いらないものを引き取るって言ったら……
「あります。中古ショップ……じゃなかった、中古品引取所みたいな所」
「じゃあそこに、ヒロト君はガーネットウールの毛を持ちこんだ、と仮定しよう。そのお店で、どれぐらいの金額で買い取って貰えるか、想像してみてくれ」
「買取金額を?……えーっと」
マンガとかだったら、10円とか20円……人気作とかアニメやってる真っ最中の時はもうちょい高く買い取ってもらえるけど、ほとんどがはした金だ。
こっちも不用品を持ち込んでるから安いのは文句言えないけど。
「アルムさん、参考までにココの羊毛の取引価格は?」
「酪農国家で仕入れるなら、1キロあたり150~180クレジット。卸売り業者からの場合、270~290クレジット程度かな」
あ、重さの単位はこっちも一緒なのか、分かりやすくて助かる。
前提として、ガーネットウールは強い。
この世界の魔物の特性上、個人行動していても襲われない程度に強い。
集団行動している雰囲気もないから乱獲も出来ないことを考えると……
「500~600ぐらい、かな」
「正解は後で言うな。話を続けると、ヒロト君が500~600で売れたらいいなー、とお店に持っていきました。そしたら店長がこう言いました『これなら800で買い取ろう』と」
「うぉ!? まじで、ラッキー!」
「って、思うよな。正式な相場や価値を知らなかったら」
んんん?
え、つまり?
「もしかして、もっと高く売れたの?」
「ではここで買取の相場発表をしよう。ガーネットウールの毛の買取相場は、最低でも4000~5000ぐらいだな」
「はぁ!? ちょ、桁が1つ違う!?」
めっちゃ高いんですけど!?
しかもオレ、5分の1の金額で買い叩かれたって流れになるよな。
「ほら、あいつは命の危険が迫ったら、自分の毛を燃やして反撃するって話をしただろ」
「あ、もしかして……下手に攻撃してたら、狩れる頃には毛が全部燃えちゃってる、とか」
「そういうこと。発火させる前に決着つけるのは大変だし、決着の付け方を知らなかったら入手すら難しいんだ」
つまり、めっちゃ貴重品ってことじゃんあれ。
というか、これって……
「詐欺では?」
「いや、商売人としては正しい。より良いものを安く仕入れて、それを加工して売って利益を得るんだ。この場合、モノの相場を下調べしなかったこっちの落ち度になる」
うわぁい……
「というか、それだけ貴重品が持ち込まれたならもっと驚くよな、普通」
「仮にそんなことする商売人がいるなら、三流か商売に向かない超絶アホだな。何で安く仕入れるチャンスを『これは、超貴重な品物! 滅多にお目にかかれない!』って自分から買取額上げるんだよ。はした金で売る気満々の相手にさ」
安く仕入れるために、舌先三寸で丸め込んでくるさ、とアルムは付け加える。
オレが知っている漫画とか小説だと大げさに驚いてたあれとかそれ、つまり、商人側がアホってことだったのか。
「貴重品と知られずに、いい品だと誉めつつ、安く買い取るのがあちらさんの目的なのさ。だから、さっきも店長さんはこう言ってたはずだぞ。『スカーティングも丁寧にされている』『保存状態も良好、刈り取りも綺麗』」
「商品価値じゃなくて、商品の状態を誉めてる……」
うわっ、本当だ。
確かにガーネットウールの毛そのものの価値には、一切触れてない!?
あくまでも誉めているのは品物の『状態』だけだ。
つまり、今目の前で行われているリレルと店長さんの攻防戦は……そういうことなわけか。
「自分が商品を売り込むならば、価値を表明すればいいが、逆はそうじゃない。いかに価値を悟らせずに最も安く仕入れることが出来るか。それが商売の世界であり、利益に直結するからな。冒険者側はちゃんと狩ったもの、持ち込んだものの価値と相場を把握してないとぼったくられる。自業自得だがな」
「勉強になりまーす」
世の中甘くない。
あっちも生きるための必死だから、一概に悪い、とも言えないのがなかなかに歯がゆいよね。
「あれ? じゃあリレルさんの交渉対決って、どういうことですか?」
「言ってることを思い出せば、だいたいわかるぞ」
言ってること?
えーと、リレルは『長袖2、半袖3でいい、これで毛は使い切れる』と言っているだろ。
んでもって店長さんは……
『上下セットで……2着は難しいかな。セットの1着と残り生地を買取で』
『同じ素材で5着はちょっと味気なくないかい? 長袖1、半袖2。これがいいと思うよ』
「……あっ、毛を残そうとしてる?」
「正解。仮に僕らから相場通りに買い取ったとしても、完全な損には至ってないからな。あとは店の商品として『ガーネットウールの毛を使った』という謳い文句で、少量だけ混ぜ込んだ服を数着作って、箔つけた値段で売れば利益になる」
「やっぱり詐欺じゃ!?」
「正しく商売人魂だ。馬鹿正直に全部ガーネットウールの毛使って1着作って売れる利益と、少し混ぜた服数着の利益の差こそが、サービスがいい店ほどすぐに廃業する、最たる理由さ」
あー……なるほど。
良さを追求して、素材にこだわって、さらに安価に提供しようもんなら利益なんて無いに等しくて続けられない。
一方でそのあたりルーズな店の方が長続きするのって、そういうこと……
「なんか、複雑」
「そんなもんだよ、割り切りな。大人になるほどそんなもんだ」
―――それから1時間ほど経って、ようやくリレルvs店長さんの攻防戦に決着がついた。
結論だけいうと、リレルの意見がだいたい通って「長袖2、半袖3」に。
けれどもデザインに関しては、オレの希望を聞きつつ店長に一任すると形となった。
「それでは、お願い致します。毛が多少余るとは思いますので、余った分と、お店にあるズボン1本を交換出来ますか?」
「2本でいいよ。その代わり、どんなデザインでも文句は言わないように」
「承知しております」
話し合いを終えて、店長さんは決まったことをまとめているのか、様々な紙に何かを書き込んでいる。
「無難な落としどころで終わったな。良かった、良かった」
結果を聞いたアルムは、あっけらかんとそう言い切った。
「そういうもんなの?」
そう問いかけると、アルムは苦笑いしつつ答えてくれる。
「互いに利点ない交渉をして、あとで痛い目合うのは僕らの方さ。ここで僕らが100%得して、あっちが大損なら次回以降は門前払いの、同業者に情報が回って心証が悪くなる」
「そんなに……?」
「店長さんの立場で考えればな。自分たちが損する時は決まって後の有利を取るか、客寄せの時だけだよ。常に最善手を取ることだけが結果につながるわけじゃない、ってことさ」
後の有利、か。
あとから得をする算段があるから、その時は損をしとく。
損して得取れってやつかな。
「おーい、そこの少年! ちょっとこっちへ、サイズ図るから」
「え? あ、はい!」
店長さんがメジャーっぽいものを持って、こいこいと手招きする。
近づくと、両手を水平に伸ばしてと言われ、オレはぐいっと、T字のようなポーズを取る。
「少年、年齢は?」
「17です」
「ぎりっぎり成長期かい。となると、身長がまだ伸びる可能性を考慮してになるか……毛がもったいない」
既にアルムからの説明で、ガーネットウールの毛の価値と、店長さんが素材を出来る限り手元に残したいってのがバレてるせいで、かけらも隠す気ゼロだこれ。
採寸した箇所から順番に店長さんはメモを取る。
それが終わると、今度はいくつかのデッサン画を見せてくれた。
「好きなデザインを選んでくれていいよ。お気に召すのがなかったら、こんな感じっていうのを絵にして頂戴」
オレは見せられたデザインを1つづつ確認していく。
服のイメージは、オレらの世界と大差はないんだな。
さてとどれにしようかな……ん?
ふと、1枚のデザインが気になった。
気になったというか、見慣れた感じというか、異世界にしてはわずかに近代寄りで、元の世界を考えたらむしろ一般的な恰好。
これならそこまで変じゃないし、いいかも?
「店長さん、このデザインでお願いします」
「これね。袖の色は赤のままにするかい? それとも黒か白か」
袖の部分は選べるのか。
ちらりとアルムたちに視線を向けると、笑顔でどっちでもオッケーといわんばかりである。
全部真っ赤ってのも、味気ないしな。
「じゃあ、袖は白でお願いします」
「白だね! じゃあ、ここは染め直ししなくていい、普通の羊の毛を使わせて貰うね!」
明らかに店長さんのテンションが高くなったし……
なるほど、袖の分が節約できたからだな。
鼻歌でも歌いそうな上機嫌で、店長さんはデザインにメモを……あれ?
ふと、店長さんが書き込んでいる文字を見て、オレは眉を顰める。
読めない……日本語じゃないのは当然だけど、英語とか、他の国っぽい文字でもない。
ここまでそういえば文字見る機会なかったしな。
……だけど、文字が読めないのに言葉がわかるってどういうことだ?
普通、異世界に行く系だと、異世界側が召喚とかしてるなら言葉が通じない想定で、翻訳用アイテム作っていたりとか。
逆の方だったらだいたい言葉なぜか都合よくわかる以外だと、スキルみたいなので翻訳系があった……り……
「………」
え? もしかして、オレが異世界来た時のスキルないしは才能とかって、まさか『言葉は理解できるが、読めるとは言っていない』系という……?
はっはっは、まさかね? うん、それを証明するすべがないし、もしかしたら世界の言葉がたまたま通じた可能性があるし、うんうん、これはシュレディンガーの猫箱だ。
誰かがそうだって証明してくれないと断言できないんだよそうだよ、はははははは……
「……ん? どうした少年、急に机に倒れこんで」
「キニシナイデクダサイ……」
ぷりーずぎぶみー、自分が持っている能力が分かる便利な何か。
本当に、何でそういう能力を持ってないんだよ、オレ!
「リレルさん、はいこれ。服は1週間後に完成するから、それ以降に取りに来てね。金額もその時に」
オレがへこんでいる間に、店長さんは注文書のような紙をリレルに手渡した。
「はい、ありがとうございます。さて、アルム、ヒロト君、行きましょうか」
「おう。……ヒロト君、大丈夫か?」
「なんとか、かんとか……」