外伝5-2 後の魔王とその妃【中編】
「お兄様、いいですか?」
「あぁ、大丈夫だ。父様とカインが出掛けている今がチャンスだ」
あれから数日が経過した、ある日の午後。
お父様はカイン様を連れ立って、とある集まりへと向かわれました。
帰宅予定は夕方。千載一遇のチャンスに、私とお兄様は、カイン様が寝泊まりしているゲスト部屋を訪れたのです。
「そう言えば、今日の集まりとは何だったのでしょうか」
「確か、高祖父様と同じ冒険者パーティの子孫たちの集まりだったはずだ。オレも20歳になったら、その集まりに参加するように言われているからな」
「まぁ、そうだったのですね」
カチャリと部屋の鍵が開く。
室内は、妙に殺風景なもので、私とお兄様は一瞬たじろぎました。
「おかしいな……カインはずっとこの部屋を使っているはずなのに、ここまで私物が無いなんて。3年も住んでいれば、普通はもうちょっと荷物があるはずなんだが」
「けれど、目的のモノは探しやすいかと」
「そうだな。前向きに考えよう」
私たちは、室内の本棚や机の棚などをくまなく探しました。
けれども、目的のモノは見当たらず、ソファに座り込んで途方に暮れてしまったのです。
「ここまで探しやすいのに見つからないとなりますと、カイン様は高祖父様の手記を持ってお出掛けになったのでしょうか」
「無くす可能性があるものを、わざわざ持ち出すタイプじゃないぞ、あの人」
「となりますと、やはりこの部屋に?」
「かもしれないな。見つからないとなると……やっぱ魔術か」
お兄様が難しい顔をしながら、魔術と言う単語を呟いたのです。
当時、まだ魔術は一般的なモノではありませんでした。
それはそうです、魔術が本格的に普及し始めたのは、カイン様が魔王になった後の話ですから。
魔術を正しく扱えていたのはごく一部の人のみ、その1人がカイン様でした。
「魔術で高祖父様の手記を見えなくしている、と言う事でしょうか」
「恐らくは。だけど、見えないだけだ。視覚は誤魔化せたとしても、触覚までは誤魔化せないはず」
「でしたら、案外近くにあるのでは?」
「あぁ。しかも、棚とか机の引き出しとかじゃない、本当に単純な場所に置いてある」
お兄様はベッドの脇に置かれていたタオルを手に取りました。
タオルで机の上、ベッドの上、その脇机、ソファと順番にかぶせていき、不自然な膨らみが無いかを確認していったのです。
地道な作業を繰り返し、ソファの前にあるテーブルにタオルを置いた時でした、
「……! あった!」
「やりましたね、お兄様!」
本の形をした膨らみに、私とお兄様は喜びの声を上げました。
タオル越しに本を持ちあげて開こうとすると、小さな光を発して今まで見えなかったソレが見えるようになったのです。
突然の事に驚きつつも、私たちは高祖父様の手記を読み進めようとした時……
「そこまでですよ、グランツ様、ミルフェリア様」
ふわっ、とお兄様の手から手記が離れて、部屋の入口へと飛んでいったかと思うと、いつの間に立っていたカイン様の手に収まりました。
カイン様の後ろには、苦笑いをしたお父様の姿も。
「お、お帰りなさい……父様、カイン」
「お早いお帰りだったのですね……」
「お2人とも。俺の部屋に何で入ったのか、色々言うべきなのでしょうが……ちゃんと、怒られて来てください」
よろしくお願いします、と言う雰囲気でカイン様は1歩下がり、代わりにお父様が1歩前に出でて……
「グランツ」
「は、はい」
「ミルフェリア」
「はい……お父様……」
「2人共、今すぐ私の部屋へ来なさい」
笑顔ではありましたが、怒りを含んだ声色に、私たちは恐怖して逃げ出したくなりました。
それをカイン様は許してくれず、半強制的に私たちをお父様の部屋へと放り込んだのです。
「他人の部屋に、しかもマスターキーを使ってまで勝手に入るのは、流石にどうかと思うぞ」
「おっしゃる通りです」
「申し訳ありませんでした」
謝罪を聞きため息を吐きつつも、お父様は私たちに視線を向けました。
「それで。わざわざ曽祖父の……お前たちにとっては高祖父の手記を見ようとしたんだ?」
「確証を得たかったからです」
その問いかけに、お兄様はすぐさま答えました。
お兄様の返答を聞き、お父様は試すような視線を私たちに向けてきます。
「ほぅ、心当たりがあるのだな」
「お兄様と、かつてあの手記を読んだ時の記憶を照らし合わせたのです。もちろん、完全とはいきませんでしたので……それで、あやふやだった部分を照合したく」
それに、カイン様からあんなことを言われては、知らずにいるわけにはいかない。そう思ったのです。
思えばこの頃から、私はカイン様のことを気にかけていたのでしょうね。
けど、当時はどちらかと言うと意地に近かったのです。
「手掛かりは十分にありました。途方もない年月を要し、今の段階でも十分想像出来る未来。そこから、高祖父様の手記に記されていた、カインが元居た世界」
「多くの技術が発達した世界。聞こえはとても良かったです……むしろ聞こえが良すぎるぐらいに。便利で充実し、魔物も居ない平和な世界……けれど、そこまで素晴らしい世界であるならば、何故、カイン様や高祖父様は、そのような危惧をされるのか」
そう、そこまで便利な世界ならば、何故恐れるのか。
答えは簡単でした。
「高祖父様や父様たちが心配されているのは、カイン様の世界と同様に発生しうる、"急激な技術の進歩" いいえ、"技術革新" ……そうですね?」
「そして、カイン様に頼むこと……それは、技術の進歩を何かしらの方法で遅らせる事」
「………」
私とお兄様は、お父様の返答を静かに待ちました。
重い沈黙が続き……やがて、お父様は小さく頷いたのです。
「流石、我が子たちだ。ちゃんと正解に辿り着いたようだね」
私とお兄様の考えは、正しかったのです。
「技術の進歩を否定する気はない、むしろ必然と言っていい。しかしだ……それを急激に進めてしまうのは劇薬となる。彼の世界で豊かな生活を実現している多くの技術も、繋がりを辿ると全て軍事や戦争による急激な発展に繋がっている」
「……人と人との争いが、ですか」
魔物がいないカイン様の世界で、その進歩した技術の矛先がどこに向けられるのか。
考えるまでもありません、それは同じ人に対してです。
争いが無ければ、人は技術を開発・進歩出来ない。
何とも悲しい歴史の証明。
「インターネット、パソコン、IC、携帯電話、デジタルカメラ、ティッシュペーパー、缶詰、トレンチコート、テレビゲーム……俺の世界では、身近で当たり前のモノも、元を辿れば戦争で生まれた技術を使ったものです」
その時、ガチャリとドアが開き、カイン様が入室してきました。
彼はお父様に断りを入れてから、私たちに説明してくれたのです。
「医療技術についてもそう。俺の世界の医療が大きく進歩しているは、戦争技術が元になっています」
「大きな代償を払った結果の技術、と言う事なんだね、カイン。それらの技術がいつ、再び人間自身に牙を向くかがわからない」
「その通りです。俺も、この世界に来るまでは真剣に考えていなかったんだけど、リーダーたちに俺の世界のことを話すうちに、な。そうでなくても、環境汚染や資源枯渇問題と、解決できない問題も山積みなわけで」
この世界が、カイン様の世界に至っていない理由は簡単でした。
それは、魔物の存在の有無。
この世界は、魔物に対抗する為に長い年月を費やしており、人と人が争う余裕がありませんでした。
「今になってそれを危惧するのは……そうか! ここ数年、魔物の脅威が弱まって来た。大半の魔物は、小さな村の自警団でも何とでも出来るようになった。そのせいか、近隣諸国に不穏な動きがあるのは!」
「そうだ。私たちがカイン君に依頼したのは、新たな抑止力……人類共通の敵になってもらう為だ」
人類にとっての、新たな敵。
不老不死であるカイン様であれば、半永久的に人類の敵として君臨することが出来る。
けれど、それは……!
私は思わずカイン様を見る。
すると彼は苦笑いしながら答えました。
「俺の世界ではそう言う存在は、だいたいこう呼ばれている。『魔王』と」
「まおう……」
カイン様があれほど私たちに "気付くな" と言い続けた理由。
気の遠くなるほどの長い年月を、人々からの恨みを買い続ける役割を、私たちに背負わせたくないから。
それが、真相だったのです。
「はぁ……グランツ様も、ミルフェリア様も、気づくのが早過ぎます」
「私の自慢の子供たちだからな、むしろ、1年ぐらい遅かったと思っている」
鬼ですね、とカイン様がお父様を睨みながら言いました。
「さて、グランツ、ミルフェリア」
「はい」
「……はい」
「今の話を踏まえた上で、お前たちのどちらかにカイン君の "理解者" としての同行を依頼したい」
それはとても難しい問いかけでした。
いいえ、答えだけならばすぐに出ていました。
お父様が心配した通りに。
3年も彼と交流し続けて来たのです。
それを選ぶのは、ある意味必然でした。
「だったら、オレが……!」
「私が同行を……!」
「だから嫌だったんですよ、気づかれるのが」
私たちの返答を聞き、カイン様は悲しそうに眉を下げました。
そして、私とお兄様を見てはっきりと言ったのです。
「俺は、グランツ様も、ミルフェリア様も道ずれにする気はありません。今日の事は忘れてください」
カイン様は私たちに右手を向けました。
彼の右手から、眩しい光が放たれたと思った直後、私の意識は遠のいてしまったのです。
次に目を覚ました時、私は自室のベッドの上でした。
「……私、何をしていたのでしょう」
ぼんやりと窓の外を見る。
私はお父様とカイン様から聞いた内容を忘れてしまったのです。
正確には、カイン様によって記憶を消去された……が、正しいですね。
起き上がった私は、部屋を出て屋敷の中を歩きました。
ふと、何かがおかしいと首を傾げ、彼の……カイン様がいらっしゃるはずの部屋の前で立ち止まりました。
「カイン様、ミルフェリアです。少しお時間、よろしいでしょうか」
なんとなく、彼と話さないといけない。
そんな気持ちが沸き上がり、彼の部屋をノックするも、返事がなかった。
嫌な予感が全身を駆け巡りました。
「カイン様、失礼します」
時間的に部屋にいるはず。
もしかしたら寝ているだけかもしれない……そう、自分自身に言い聞かせるように、私はゆっくりとドアを開けました。
「……カイン……さま……?」
私の目に飛び込んできたのは、誰も使っていないような部屋だった。
確かにカイン様がいらっしゃったはずなのに、今はただゲスト部屋状態になっている。
真っ暗で、誰もおらず……彼の僅かな荷物すら、どこにもありませんでした。




