見習の山んば
七輪に載せた金網の上で、油揚げが香ばしい匂いをたてていました。大雪が降る前に、るりがふもとの街で買っておいたものです。
「できたできた。ようし、食べようか」
るりはお気に入りの醤油さしを、油揚げを入れた皿の上で傾けました。油揚げを焦げないくらいに熾き火であぶって醤油をちょっと垂らすと、それはそれは美味しいのです。
しゅっ、とかすかに音を立てて、醤油が油揚げの上で跳ねました。
「うわあ、いい匂いですね。るり様、私にもお醤油もらえませんか」
「いいけど、ちょっとだけだよ。これはキツネにはお塩が多すぎるからね」
「そんな、殺生なぁ」
情けない声を上げたコンチキでしたが、すぐに二人はクスクスと笑い始めました。黄色くてふわふわパリパリの油揚げが、あっという間に消えていきます。台所の岩壁には、何代も昔の山んばがノミで掘った小さな窓があって、そこから雪を透かしてお日様の光がぼんやりと差し込んできていました。
そうです。この暖かな隠れ家はこの山で暮らす代々の山んばのもので、るりは修業を始めてからまだ十年しかたっていない、見習の若い山んばなのでした。
油揚げをすっかり平らげて、香りのいいほうじ茶で口をすっきりさせると、るりは満足そうに息をついて椅子の背もたれに体をあずけました。そうして、上着のポケットからさっきの赤い手袋を出すと、テーブルの上にそっと置きました。
「さっきの子、この手袋をお布団代わりにしてたんだね」
「ああ、道理で口の中がチクチクして、変な味だと思いましたよ」
「味はどうでもいいからねコンチキ。これ、誰かの落とし物だよね……」
るりは手袋をまたつまみ上げて、鼻先にかざすとじっと眺めました。雪の下で子ネズミの布団になっていた割には、ずいぶんきれいで真新しく見えます。手首の辺りには熱帯魚の体にある光る帯のような、薄い青緑色の光沢のある糸で、持ち主の名前が小さくかがってありました。
――四ねん二くみ せがわたつき――
その文字を見ていると、るりは急に鼻の奥がツンとしてきました。
(――私も、昔こんな手袋を買ってもらった事があったなあ)
それはずっと昔、まだ家族と一緒に人間の街で暮らしていたころの思い出です。
るりは慌てて手袋を置くと、ハンカチでちん、と鼻をかみました。
「あれ。るり様、風邪でもひきました?」
コンチキが心配そうに、下からるりの顔をのぞき込んできます。
「ん、大したことないけど、ちょっと冷えたかもね」
「るり様ったら、山んばなのにこのくらいで」
「ああ、私はほら、白上の大ババ様とかと違って元が人間だからね……まだまだ寒いのは堪えるし、お腹だってすくよ」
「白上の大ババ様って、確か元は雪娘でしたっけ」
「そそ。この辺りの山んばの長老格だし、私にとっても師匠筋のいちばん上のお方だけど、さすがに別格すぎるし、直接会おうって思えないわね」
「変なこと、気にするんですねえ」
「……変かねぇ?」
るりはその後もしばらく、手袋をためつすがめつしていましたが、とうとう椅子から立ちあがると、こういいました。
「コンチキ、街へ行ってみたくない?」
「街ですか? 人間の、街?」
「そう」
「私が行ったら、つかまって毛皮にされちゃいませんかね?」
「いや、それは大丈夫。キツネは最近じゃ人間に可愛がられてるらしいし……とはいっても、連れて行くなら私の術で人間の姿に変わってもらうけどね」
「ああ! いいですね。じゃあ、街で油揚げたくさん買いましょうよ」
「うん、まあ他にも、美味しいものはたくさんあるよ」
すっかり乗り気のコンチキに内心で苦笑いしながら、るりは出かける用意を始めました。本当は、あの手袋の持ち主を探して、届けに行こうと思っているのです。
ただ、片方だけが深い雪の中に残っていた、というのが、どうにも少しばかり気がかりでもありました。