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イベント

悪い子だーれだ?

作者: 日次立樹

2019年ハロウィン小説です。

 


 マシューが学校を出たとき、すでに日は暮れようとしていた。空はピンクからオレンジ、紫、藍へと複雑に変化するグラデーションを描いている。

 冷たい風の吹き始めた道をマシューは早足に歩く。両腕の正面で固く抱えた鞄が風よけになっているが、指先は冷え切っていた。

 マシューの目にはこの季節ならではの光景がうつっていた。朝からそれはすでにあったのだがーーいつもの住宅街の家々は玄関や門にカボチャをくりぬいて顔を彫ったものを並べている。ジャック・オー・ランタンだ。

 夜になると家の者はカボチャの中に立てられたろうそくに火をつける。黄やオレンジに揺れる明かりはお菓子をもらいに歩く子供たちの道しるべになる。つまり、今日はハロウィンなのだ。

 とはいえ、ここらではハロウィンは就学前の子供たちだけがお菓子をもらいに行くことになっている。一人っ子でもう三年生になったマシューにはほとんど関係のない行事と言ってよかった。

 気の早い家はすでに火をつけているようだ。ゆっくりと深い青に沈んでいく帰り道に、人魂のようにオレンジの光がゆらゆらと揺れる。ぽつりぽつりと不規則に浮かぶオレンジ色の間では、まだ火のつかないカボチャが息を潜めている。庭や道端の暗がりに落ちた影にはカボチャの顔が歪んで映っていて、マシューはそれがなんだか不気味に思えた。


 完全に日が落ちてしまう前に帰らなければならない、とマシューは足を速める。そもそも、本当ならもうとっくに家についている時間なのだ。母は帰りの遅いマシューを心配していることだろう。

 マシューの帰りが遅くなったのは意地悪ミカエルのせいだ。毎日くだらないいたずらや嫌がらせばかりしている。クラスで一番体が小さいマシューはよくミカの標的にされていた。

 今日だって、ミカがあんなくだらないいたずらなんかしなければ、こんなに遅くなることはなかったのに。まったく、思い出すだけでマシューは腹が立ってきた。その勢いのままずんずんと歩いていると、前方の薄闇に妙なものが浮かんでいるのに気付いた。

 道の先、何もないはずの空中に白いものが二つ、浮かんでいるのだ。

 鳥だろうか、とマシューは思った。けれど、すぐに違うと気づく。その白いものは小鳥が羽を広げたより少し大きいくらいの大きさだったが、二つあるうえに、同じ場所で宙にとどまっていた。


 少し近づいてみると、それが白い手袋らしいことが分かった。何かに引っかかっているのか、手のひらを下にして、指をだらんと下げた形で止まっていた。こんなところに、引っかかるようなものがあっただろうか、と思いながらマシューはさらに手袋に近づく。手袋は一本道の真ん中に浮かんでいて、その脇を通らなければマシューは家に帰ることができないのだった。

 あまり広い道ではない。ちょうどマシューの頭ぐらいの位置に浮かぶ手袋を大げさによけて、その脇を通り過ぎた。きっと夜に通る子供たちを驚かせようと思って、誰かが仕掛けたいたずらなのだろう。ちらりとみてみたが、薄暗くなってきたせいかどこから吊っているのかよくわからなかった。


 そのままマシューが進んでいくと、また白い手袋がある。さっきの手袋のいたずらを見て誰かがまねをしたのだろうか。今年のハロウィンの流行なのかもしれない。そんなことを思い浮かべながら、マシューは手袋の横を素通りする。ハロウィンの些細ないたずらよりも、早く家に帰りつくことがマシューの使命だった。

 ボーン、と鐘がなった。これはこの町の広場にある時計塔の鐘の音で、一時間ごとに二回、その間の時間に一回鳴らされる。次の鐘までに帰り着かなければ叱られるが、ここからマシューの家までは十分も歩けば着くのだ。時間に余裕があることを知って、マシューは速度を緩めた。


 角を曲がったところで、マシューは立ち止まる。また、あの手袋があった。日の光は弱くなって、あちこちの家のランタンに明かりがついている。そんな中でぼんやりと浮かぶ白手袋は正体がわかっていても恐ろしく見える。マシューは落ち着かない心臓をなだめ、なるべく平静を装って手袋の下を通り過ぎた。今度の手袋はマシューの頭よりカボチャ二つ分は上にあったから。


 ぽす、と帽子越しに何かが落ちてきたのを感じて、マシューは頭上に手をやる。そこにはただ母の編んだ帽子の、少しけばだった毛糸の感触があるだけだった。帽子をとって確認しても、何もない。足元に何か落ちていないかと目を凝らし、くるりと振り返ったマシューは凍り付く。


 白い手袋はマシューの顔の正面に浮かび、ゆっくりと上下に振れた。まるでマシューを手招きするように。


 ぞわり、と全身の毛が一斉に逆立った。

 マシューは走り出した。走りながら、思い出していた。家でも、学校でも、毎年耳にたこができるのじゃないかというくらい聞かされてきた約束ごと。ハロウィンの夜に出歩いていいのは七歳までの子供だけ。なぜなら、子供好きの霊たちは小さな子供には何もしないが、それ以外の人には怖いいたずらをしようとするのだ。そのいたずらで、中には命を落とす者もいるのだ、と。両親も先生も口をそろえて言うそれは、大人が子供に言うことを聞かせるための作り話だと思っていたのに。

 前方にまた白いものが浮かんでいる。マシューは目をつぶって身をかがめ、その下を走り抜けた。回り道をしても、きっとあの白手袋はマシューの前に現れるだろう。それならば、と一刻も早く家にたどり着くことを考えた。


 息が上がる。どれくらい走っただろうか。重い鞄を抱えている腕もだるくなってきていた。すぐに家に着くはずだと思ったのに、走っていると息が上がって苦しくなってしまう。あたりに白い手袋が浮いていないのを確かめて、マシューは立ち止まる。ゼイゼイと荒く呼吸をすると喉の奥が痛かった。


 鐘が鳴った。ボーン、ボーン。その鐘の音に応えるように、ランタンの火が一斉に揺れた。風もないのに。歩いて十分の距離を、あれだけ走ったのに三十分でたどり着けないはずはなかった。

 周囲を見回すが、ランタンをともすどの家も、マシューには見覚えがなかった。マシューは自分が道を間違えたことを知った。どこから道をそれてしまったのか、思い返してもわからなかった。マシューはあの白手袋がマシューの行きたい道に浮かんでいるのだと思い込んで、途中からは周りも見ずに走ってきてしまったのだ。

 マシューの立ち止まった場所にはちょうど横道があって、そこに白い手袋が浮かんでいる。ゆっくりと手招いている手袋をマシューは泣きそうな目で見つめた。すると手袋はふっと掻き消えてしまった。


 助かったのか、とマシューは知らず詰めていた息を吐いた。確かにこれは怖いいたずらだ。おかげでマシューはすっかり道に迷ってしまった。これから知らない人の家の玄関をたたいて道を聞き、夜の中を家まで歩いて帰らなければならないのだ。それでも先ほどまでの追い詰められていた恐怖はなくなって、深く息をすることができた。

 座り込んでしまいそうになる足を叱咤して、息を整えたマシューは歩き出そうとする。そのマシューの背を誰かが押した。

 片足を上げていたマシューはあっけなく転び、先ほど白手袋の浮かんでいた細い空間に入り込んでしまう。幸い抱えていた鞄が下敷きになったので怪我はしなかった。

 道の先はすぐに行き止まりになっていた。マシューはその行き止まりの壁にあるものを見て悲鳴を上げようとしたが、走り続け乾いた喉がひきつるだけに終わった。

 そこには白塗りの顔が浮かび上がっていた。青黒いシャドーで縁取られた青い目、涙のようなタトゥー、真ん丸の赤い鼻。それはいつか見た大道芸のピエロのようだった。


 マシューの後ろからひゅんと飛んできた手袋が、顔だけのピエロの、本来肩のあるだろう位置に浮かんだ。先ほどマシューを突き飛ばしたのもこの白手袋ーーいや、ピエロの両手だったのだろう。その両手はやれやれ、と肩をすくめるように動き、ピエロはおどけた顔をしたが、マシューには固い笑みを浮かべる余裕もなかった。その様子を見て期待外れだ、と拗ねるようにピエロの口が尖る。軽妙で滑稽な仕草は本来ならば笑いを呼び起こすものだが、マシューはこれから何をされるのかと恐ろしくてたまらなかった。


「ねえ君! ハイそこの君! ねえねえ、君、ハロウィンの夜に出歩いちゃいけないよって、大人たちに言われなかったかい? 悪い子だね! 悪い子はピエロが食べちゃうよ!」

 キイキイと甲高い声でピエロはしゃべった。その内容にマシューは震え上がる。何とか見逃がしてもらおうと、マシューは必死で言葉を紡いだ。

「僕は悪い子なんかじゃないよ!」

 マシューの言葉に、ピエロはふうん? といいながら大げさに首をかしげる。

「じゃあなんだってこんな時間に、お外に出ていたんだい? なんでだろう?」

 長いこと油をさし忘れた裏庭の扉のように耳障りな声がマシューを責め立てる。マシューはピエロに弁明する。

「フカコウリョクってやつだよ。僕が遅くなったのは僕が悪いんじゃない、ミカエルが悪いんだ。ミカが僕の鞄を隠したりするから、放課後学校に残って探していたんだよ。だって教科書もノートもその中に全部入っていて、取り返さなくっちゃ勉強ができないんだもの」

 フカコウリョクというのは自分の力ではどうにもできないことをいうのだと、今日学校で習ったばかりの難し気な言葉を使ってみる。そしてミカがどんなに悪い奴で、いつも自分がどんな迷惑を被っているのかを早口で並べ立てた。ピエロはそのすべてを、うんうんと大きく頷きながら聞いている。


「ーーと、こんなわけだからミカはとってもひどい奴なんだ」

「ひどい奴ってことは、ミカは悪い子ってことかな?」

「そうだよ!」

 ピエロの疑問に、マシューは叫ぶように返した。


「じゃあ、ミカはピエロが食べちゃっていいよね」

 にんまりと笑ったピエロの言葉に、マシューははっとした。ミカは意地悪な奴だ。だけど、このピエロに食べられてしまうほど悪い奴だとは思わない。食べられてしまえば、きっと二度とミカには会えなくなる。

 マシューは自分のしたことを振り返って、なんてひどいことをしたのだろうと思った。ピエロはマシューに、悪い子はピエロが食べてしまうのだといった。ミカはいなくなってほしいと思うほど悪い奴じゃないのに、マシューは自分の身がかわいいばかりに、ミカがどんなに悪い奴かということを大げさに言ってしまったのだ。


「ねぇ、ミカはピエロが食べちゃってもいいよね? ねぇねぇねぇ!」

「ダメだよ!」

 マシューはもう一度叫ぶ。

「ええー、でもピエロはおなかすいちゃったなぁ。ねぇねぇ、ミカがだめなら誰をたべていいの? 悪い子だあれだ?」


 壁に浮かんだ顔はにやにやと嫌な笑みを浮かべている。悪い子って、そんな、いなくなってしまってもいいような悪い奴なんてマシューには全く心当たりがなかった。

「悪い子なんて、誰もいないよ」

「でもピエロはおなかがすいてるんだ。すっごいペコペコなんだ。ほらほら、お腹と背中がくっついちゃいそう」

 白手袋がピエロのお腹のあたり、何もない壁を指さしくるくると動く。


「誰もいないなら、君を食べちゃおうかなぁ?」


 白い手袋がマシューを逃がさないように取り囲む。マシューはもうどうしようもないと思って、頭を抱えてしゃがみこんだ。どうか痛くありませんように、と目を閉じて祈る。


「そんなに腹がへっているならこいつをやろう」

 頭上から降ってきた声に、マシューはそろそろと顔を上げた。

 マシューの後ろに誰か立っているらしい。夜に溶け込むような真っ黒な手袋をした手が、オレンジ色に染められたバスケットを白手袋に差し出していた。その中から零れてマシューの目の前に転がった菓子の包みを、白手袋がさっと拾い上げる。


「ええっ、うれしいなあ。ピエロにお菓子くれるの? こんなに? これだけでお腹いっぱいになっちゃうなぁ。ピエロ、うれしくて泣いちゃう」

 ピエロはバスケットを大事そうに抱え込みながら、器用に泣きまねをした。

「じゃあこの子は俺が貰っていくぞ」

「もちろん! ピエロはおなかいっぱいお菓子を食べるよ! みんな幸せ! ハッピーハッピー!」

 ピエロはそんなふうに言ってから、上機嫌で鼻歌まで歌いだした。

 黒手袋の人物はマシューをひょいと肩に担ぎ上げると、すたすたと歩きだす。いったいこの人は誰だろうとマシューはぱちぱちと瞬いた。マシューの顔は背中側に向いているから、相手の顔は見えなかった。マシューを軽々と運んでしまうほど力持ちなことや背の高さ、さっき聞いた声から考えると若い男性のようだ。よく見ないと本当にそこにいるのかもわからなくなるような、真っ黒な丈の長いマントを身に着けていた。

 どこに連れていかれるのだろう。この男も、あのピエロみたいにマシューを食べようとするのだろうか。男に話しかけるかどうか、マシューが迷っているうちに目的地に到着したようだった。

 すとん、と地面にマシューをおろすと、男はマシューの鞄を差し出す。痩せて、やけに顔色の悪い男だった。服は全身黒一色で、おまけに目と髪も真っ黒。マシューの知らない人だ。もしも一度でも会ったなら、こんなに印象深い人を忘れるはずがないので。

 マシューが鞄を受け取ると男は前方を指さした。

「ここからならちゃんと帰れるだろう。両親が心配している。早く行きなさい」

 男が示した先にあるのは、見慣れた自宅前の道だった。マシューを導くようにずらりと並んだジャック・オー・ランタンが笑っている。


 マシューは駆け出した。しかし、数歩行って振り返り、男に向かって手を振った。

「ありがとう!」

 男はかすかに笑って手を振り返し、夜の闇に溶けるように消えていった。


 子供が家に入ったのを見届けて、アルデラールは振り返った。そのアルデラールの横に、暗闇からぬっと白塗りの顔が現れる。

「アルデラール、君、相変わらずのお人よしだねぇ」

 ピエロはあの耳障りなキイキイとした声ではなく、落ち着いた男の声で話しかける。

「お前は相変わらずのいじめっ子だな」

「ええ、そんなことないよぉ。ちょっと遊んだだけじゃないか」


 まったく悪びれた様子のないピエロの頭をアルデラールは無言で叩こうとしたが、空振った。白塗りの顔はすっと消えて離れた場所に現れる。にやにやと笑うピエロに、アルデラールは深々とため息をついた。宙に浮かぶ白手袋を一つ捕まえ、その手にキャンディを握らせる。

「え、まだくれるの? もうピエロはおなかいっぱ、い…っでぇぇぇ!!!」

 そしてその手の甲を思いきり抓ってやった。



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