優しい調べは届かない23
森猫族に連れられ、皐月と進也は大森林を行く。
進也は集団の前方、皐月は中央辺りで歩いていた。
二人には、隔意と敵意のこもった視線が向けられている。
刺すような重圧の中では自然と口数も少なく、ひたすら足を動かしていくだけとなる。
外縁部と違い、辺りは丘陵のように突き出た地形が多い。進む労力は否応なしに増していた。
「あっ」
苔むした地面に足を取られ、皐月は転びかける。だが、横合いからモアが脇下をつかんで支えた。
「すみません、ありがとうございます」
『礼などいい。お前には一応借りがある』
モアは不愛想に、だが実直に告げてきた。
一見近寄りがたい雰囲気の女性だが、どことなく円花と共通する生真面目さを感じ取る。
何とはなしに皐月は、彼女と会話をしようと試みる。
「えっと、弟さん、でしたっけ?」
『ああ。エンネという。いなくなった子供を探しにアルディシアまで行ったんだ』
モアが静かに振り返った先には、少し離れて、大人の森猫族に抱えられついてくるエンネの姿があった。
皐月と目が合うと、エンネはぎこちなく手を掲げた。
こちらも軽く振り返すと、少年は微かに笑顔を浮かべるものの、すぐに咳き込んでしまう。
戸惑っていると、モアが訥々と事情を語っていく。
『……弟は病弱でな。長い間、あの有り様だ。それでもどうしても友を見つけると言うので、町まで連れて行った。私自身、行方を調べるつもりであったしな』
モアの唇が引き締められる。その先は、もちろん皐月も知っている。
「そこでアルディシアが攻め込んでくると分かったのですね」
『ああ。子供たちも、連中が拐かしたのだと考えた。急いで知らせに戻ろうとした。だがエンネと合流する前に運悪く追手にかかった。それからは、お前たちに会った後の通りだ。……忌々しい連中め!』
モアが憎々しげに吐き捨てた。
一応、アルディシア側から来た身である皐月には何とも言えない。
とはいえ、エンネは結果的に運がいい方だったとも思える。
(……弟さんを追いかけていたのが夏美さんたちでなかったら、もっとひどいことになっていたかもしれない)
エンネも神剣器官とされていた、その可能性は大いにあった。
手放しで喜べるわけではないが、結果的にすれすれの状況で少年を救ったのだと思うと、少しほっとする。
「そういえば、背中の怪我は大丈夫ですか?」
『これくらいならば問題はない。お前よりは動ける』
「そうですか。よかったです」
皐月が微笑むと、モアはやや困惑した様子で呟く。
『……お前はキカズの連中にしては少々変わっているな』
「え?」
『奴らは大抵、こちらを忌避する。我々の無事を見て安心するなど、まずあり得ない』
言い方こそ物静かだが、声音には隔意が満ちている。
どこかでモア自身が受けた仕打ちなのかもしれない。
「そうでしょうか? 確かに違いは色々あるかもしれませんけど、お互い言葉は通じますし……何より、誰かが痛んだり悲しんだりするのを、自分も同じ傷として感じるのは、おかしなことではないと思います」
皐月は、他者がどう接するかより、自らがどう考え接するかを答えた。
モアはひどく驚いた様子で見返してきたが、すぐに厳しい目つきに戻った。
『……同じ傷、か。ずいぶん甘い言葉だな』
「はい。そうかもしれません。あの人にも散々言われています」
集団の前方を行く進也の背を見る。
こうした会話も、ひょっとしたら鼻で笑われるのかもしれない。
『あの男はお前の番なのか?』
「つがい……? えっと……」
一瞬、意味をつかみ損ね、とぼけた返事をしてしまうが、恋人なのかと聞かれていると悟り、思わず叫んだ。
「違います!」
自分でも驚くほどの声が出た。
周囲が騒然とし、進也も何事かとこちらを振り返った。
『そ、そうか。悪かった』
モアが申し訳なさそうに謝り、一部殺気立つ森猫族を、問題ないと取りなした。
恐らく意味のない会話だと察したのか、進也の方もすぐに前へ向き直る。
皐月は顔から火が出そうな思いだった。
『……違うのならそれはいいが。ならば何故あの男と共に行動している?』
「えっと……それはその、彼に助けられたからで」
『恩を返すためというわけか』
「……そんなところです」
実際の所、義理を果たすというだけでここまでついてくることはないのだが、大きなきっかけとしては、救われたからだ、というのは正しい。
『忠告しておく。お前が恩に報い切ったと思ったのなら、あの男からはさっさと離れるべきだ』
「……どうしてですか?」
『根本が違う。お前は他人を自分と同じだと思っているかもしれん。だがあの男は真逆だ。自分と周りは別だと認識しているし、それゆえ助けを必要とは――お前を必要だとは、思っていないだろう』
「それ、は」
核心を突く言葉だった。
皐月は、今まで進也の為そうとすることを手助けしてきたつもりだった。
檎台にすり潰されそうになった自分の心を救ってくれたように、出来る限り彼の意志を守り、力になろうとした。
だが――進也はその助力を望んで受けようとは、一度もしなかった。
進也が皐月を顧みることはないし、これから先もそうなのかもしれない。
単なる善意や優しさの光が彼に届くことは、ないからだ。
『……お前の考えをけなすつもりはない。私の弟も甘いことばかり口にするが、それは私や周りの者を常に心配しているからでもある』
モアは背中の傷を示すように、自らの肩に手を置く。
『しかし現実はそう上手くいかない。こちらが牙を剥かねば、為すがままに蹂躙されることもある。今回のように。お前にそれを越えるほどの動機がないのならば、奴についていくのは不幸にしかならんぞ』
「……ええ、そうですね。少し、考えてみようと思います。気にかけていただいて、ありがとうございます」
『分かっているのならいい。借りのある相手の破滅など見たくないからな』
無骨に告げるモアへ、皐月は少し困ったようにはにかんだ。
(彼が私を必要としていないのは分かっている。……なら、私は? 私自身は天杉くんを必要としているんだろうか?)
皐月に対し、本当の意味で救いを届けてくれたのは進也だけだった。
報いるために彼を助けようとするのは、正しい、はずだ。
しかし――ひとりで立てるようになった今、進也のそばに居続けるのが必要かと問われれば、それは。
(……でも、まだ分からないから)
自分の感情に答えは出ていない。
だからもう少しの間、彼の後に続くのは許されるはずだ。
根拠もなくそう思い込み、皐月はひたすら歩んでいく。