転移直後5
――『聞こえますか? 異世界の勇者たち』――
――『この世界イールドに危機が訪れています』――
――『どうかこの世界を救ってください』――
――『あなたたちに授けた神剣は、このイールドを守り、紡ぐための刃であり盾』――
――『どうかこの世界に危機をもたらす魔王を打ち果たしてください』――
――『私は女神ダフニ』――
――『私の名のもとに、あなたたちに力を与えましょう』――
――『どうかお願いします』――
夢見心地の瞼の裏で、光が遠ざかっていく気がした。
二、三度瞬きをし、進也は自分が柔らかな何かに寝かされていることに気付く。
「……ベッド?」
ぎしりと音を立てて上半身を起こす。どこかの室内――保健室だ。本来なら病床の生徒のために使われる場所のはずだが、今は自分が寝かされていたらしい。
「そうだ、どうなって……梨子は!?」
慌てて見回すと、梨子も隣のベッドで寝ていた。
驚きながら、じっと様子を確かめる。思い切り剣を突きつけたはずだが、どこにも火傷の跡はない。肌も喉も、髪も無事、健康体そのものだ。梨子の剣が治したということだろうか。
「……は」
気が抜ける。進也はベッドに座り直す。と同時に、自分の所業に呆れ返った。梨子があそこで少しでも怯めば自分は剣を振っていたであろう。その確信があった。
「マジで何なんだよ、こいつは」
ベッドの横に置かれていた自分の剣を取る。あの時の殺意はごく自然に生まれたものではあるが、どうもこの剣に増幅させられていた気がする。
一方でこれが無ければ死んでいたのも事実だ。正直言って忌々しいが、今は必要な物でもある。割り切って剣への考察を打ち切り、梨子へ近づく。
「おい梨子。起きろ」
「……んー……?」
ぺちぺちと頬を叩く。あんな真似をさせた後に起こすのも無体な話だが、他の誰かが来る前に、自分が起きたことを知らせてやりたかった。
「……進也?」
「おう。起きたか。これで今日は何度目のお目覚めだ?」
梨子はぱちぱちと瞬きを繰り返し、進也をじっと見つめた後、得心したようにいつもの笑顔を見せた。
「ああ。進也だね」
「なんだその返事は。寝ぼけてんのか」
梨子の言いたいことは分かっている。だが進也はあえていつものように乱暴な口調で返す。
「起きてるよ。うん、やっぱり進也だ。――おかえり」
「出かけた覚えはねえぞ。――ああ、ただいま」
斜に構えて笑いながら進也が答えると、梨子はにこにこと笑みを返した。気絶する前の出来事など忘れてしまいそうなほど穏やかなやり取りだった。
「……で、天杉進也くん?」
「……んん?」
梨子が唐突にフルネームで呼んでくる。戸惑いながら梨子の方を見返す。
「何か、言うこと、あるよね?」
梨子は笑顔のままだ。が、ついさっきまで見せていた暖かな笑みとは違い、絶対零度の笑みである。何にそこまで機嫌を損ねているのか、その問いの答えは明白であった。
「あー……悪かった。助かった。ありがとよ」
普段頭など滅多に下げない進也だが、今回ばかりは反省した。後頭部まで見えるほど頭を下げて礼を言う。
「んー……許してほしい?」
いたずらっぽく微笑みながら梨子が言う。
「おい、なんだよ。ちゃんと謝っただろ」
「うん。でもさ、さすがに借りが大きいと思わない?」
梨子はからかうような口調で尋ねてくる。どうやら何か企んでいるらしい。
「……まあ。分からんでもないが。何か言うこと聞けってのか?」
「そうだねえ。前みたいに何かひとつ要求させてもらおうかな」
「要求ったってな……今の状態じゃ、出せるもんなんてねえぞ? また好みの恋人を探してこいとか言うのか?」
「あれは面白かったねえ。進也の審美眼はなかなかだったよ」
「だったら付き合い続けりゃよかったじゃねえか。もったいねえな。お前と付き合ってくれる物好きなんぞ、そうはいないぞ?」
「なかなかひどいこと言うね、その通りだけどさ。会社員のお姉さんだったから、時間が合わなくて自然消滅しちゃった」
「連絡くらい取り合えんだろ」
「いいんだよ。面白い人だったけど、付き合い続けるのは難しそうだったから。どっちにしろ今は無理だし」
「ま、確かにな」
「……ボクたちどこに来たんだろうねえ」
悲愴感の入り混じった声で梨子が呟く。二人の間に沈黙が下りた。
保健室のドアが開く。現れたのは、紅峰楓だった。
「あら、早いお目覚めね」
凛冽とした声音で言いながら、紅峰は進也たちへ近づく。だがその歩みは、ちょうど進也と紅峰、両者がお互いぎりぎり剣を振るえる間合いで止まった。
「…………」
「…………」
進也と紅峰はにらみ合う。気絶する前に命をやり取りした相手だ。隔意があっても無理はない。
緊張を察した梨子が口を開こうとするが、それより先に進也は、紅峰へ不敵に笑みを返した。
「二年の天杉進也だ」
名乗りを上げると、紅峰も女豹の雰囲気を一転、柔和な笑みを浮かべる。
「三年の紅峰楓よ」
人好きのする、しかし見る者が見れば裏があると分かる笑みだった。それをはっきりとこちらに示している。なるほど面白い、と進也は素直な関心を紅峰へ抱いた。
「えっと、二年の姫口梨子です……?」
雰囲気について行けていない梨子は、微妙な表情で自己紹介する。
「はいよろしく、天杉くん、姫口さん。起き抜けで悪いんだけど、動けるかしら?」
進也と梨子は一瞬視線を交わし、答える。
「問題ねえ」
「ボクも大丈夫です」
「あら、ありがたい。やっぱり神剣使いは頑丈なのね」
「神剣?」
聞き慣れない単語に梨子が聞き返す。
「その辺も含めて移動しながら話しましょうか。よろしくね、二人とも」
ぱっちりと、型にはまるウインクをしながら紅峰は言った。