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人という名の怪物8

 紅峰は、一度落ち着かせるために姫口と七海を退出させた。

 改めて梅里から王国との交渉について話を聞き、すぐさま結論を出す。


「受けましょう。……ルエン王女から預かった条件は、うまく詰めないとね」


 紅峰は梅里から渡された紙を掲げながら言った。そこには、生徒たちの雇用の条件が記されている。

 平易な言葉に置き換えるならば、出来るだけ実力がある者、かつ規律を守る者が望ましいという、至極当たり前のことが書いてある。


「あっさり呑むね。そんな簡単でいいの?」


 桂木が揶揄する。本気で言っているわけではなく、姫口を叱った直後だから、いつもの調子を取り戻そうとあえて口にしているのだろう。


「受けることはほぼ決めていたしね。ひとまずハクたちには引き続き向こうにいてもらうのがいいかしら」


「……姉さんたちに、任せっきりにするんですか?」


 護が珍しく自分から問うてくる。姉が気がかりなのだろうが、彼自身の心細さも含まれているようだ。


「戻ってきてもらうのも手間だから仕方ないわ。心配しなくとも、もう何人かは派遣するつもりよ。ただ護くんを送るのは無理だけど。ここの生命線だから」


「……はい。それは、仕方ないと思います」


 先の天杉の件とは違って、護は素直に言うことを聞いて引き下がった。姫口に対してやたらと刺々しい態度だったのは、護自身も巻き込まれたことが尾を引いているのかもしれない。


「それなら結局、梅里かあたし? だったら勝手知ってる梅里でいいんじゃないの?」


「いえ……どうも王女は、政治的視野で物を見れる人材が欲しいみたい。個人的に話しやすい人物が欲しい、ってぼかしてはいるけど」


 紙をひらひらと揺らしながら紅峰は告げる。間違っても親しみやすい人物が欲しいという意味ではあるまい。その条件なら既に白亜がいるのだ。


「また厄介だね。紅峰は当然無理として、他に生徒の中にそこまで切れるような奴がいる?」


「視野の話だけなら、桂木さんも十分だと思うけど」


「冗談。あたしは横からつついて欠点をあげつらうのが精々だ。向き不向きじゃどう考えたって後者だよ」


「熊崎くん……は無理よね、ええ」


 冗談めかして紅峰が言うと、熊崎は遅れて目を瞬かせる。


「……あ、はい」


「……ちょっと大丈夫?」


 紅峰は心配になって声を掛ける。熊崎も先の件を引きずっているのか、いまいち反応が鈍い。


「無理しないでね。あなたにまでどうにかなられたら困るわ」


「はい……平気です」


 熊崎はそう取り繕って姿勢を正した。集中を欠いているのは明らかだが、何とか話に意識を戻そうと努めていることはうかがえる。

 紅峰は、それ以上は注意せず話を続けようとする。

 すると梅里が、こちらも珍しく手を挙げて意見を述べてきた。


「提案なんだが。また俺たちが向かう、というのはダメか?」


「え? それはまあ、構わないと言えば構わないけれど。戻って来たばかりなのに、大丈夫なの?」


「ああ」


 気遣って尋ねるが、梅里は疲れた様子もなく頷いた。

 ルエン王女の条件はあくまで要望レベルだ。個人的に繋がりを持てる人物が欲しいという要求に関しては、断っても角は立たない。


「でもどうしてまた急に? 何か理由が?」


「……姫口たちのことだ」


「彼女たち?」


「まさか、向こうに連れてって天杉を探させる、なんていうんじゃないだろうね?」


 桂木が鋭い目で睨むが、梅里は首を横に振る。


「あのまま学校側に置いておくのは、二人にとって少々酷だろう」


「ああ……それは確かにそうね」


 梅里の言い分に、紅峰は同意する。今の自分たちでさえ、姫口と七海のことを公平に見られているかと言えば怪しい。まして他の大多数の生徒からすれば、二人の姿がどのように映っているのか。


「あたしは全面的には頷けないね。少なくとも、姫口は事情を隠してる節がある。それが分かるまで勝手に外に出すわけにはいかないよ」


 桂木の指摘に、梅里は予想していたように答えを返す。


「姫口本人にも、話すタイミングがつかめていないのかもしれん。もしそれを話せるように待つとなると、学校にいるままでは整理がつかないだろう」


「……珍しいじゃないか。やけに味方するね」


 訝しんだ桂木が梅里へ不審の目を向ける。

 だが梅里は動揺せず、ゆったりと口を開く。


「俺の班のメンバーだからな。それに――俺もみんなに隠していることがある」


 その言葉は、梅里以外の全員に驚愕を抱かせた。


「だがこれはひどく個人的なことでもある。話す必要があるかどうか、俺にも判断しかねるささいな事情だ」


「それって一体どんな」


 熊崎が、尋ねてる途中ではっとして、慌てて自身の口を押さえた。


「話した方がいいか?」


「え、いや、その」


「プライベートな事情はそりゃ別だろうさ。けど姫口の方は、天杉の問題と関りがあるんだ。被害のある騒動な以上、ほっとくわけにはいかないだろう」


「分かっている。それでも、待てないか?」


「くどいね! あんた、いい加減に――」


「ちょっと待って」


 叱責しようとする桂木を、紅峰は押し留める。


「プライベートな事情というなら、姫口さんが知っている事情も、もしかして誰かの個人的事情を暴く可能性があるのかしら」


「それは……」


「俺には分からん。だが今は無理なら、話せるようになるまで様子を見たい」


「分からないでもないけど……」


「いや、ダメだね。その間に勝手な真似をしないって、誰が保証するんだい」


「そうならないように出来る限り気を付けておく」


「だから保証にならないだろうが、そんなもの――」


「……俺には病気の母がいる。余命はあまり長くない」


 突如発された言葉に、その場がしんと静まり返る。


「末期の癌だ。発見が遅れてな。気が付いた時にはどうしようもなくなっていた」


 紅峰を始め、皆が驚きと沈痛の入り混じった表情で梅里を見やる。


「こちらとあちらの時間の違いがどうなっているかは分からないが、ずいぶん経過していることは確かだろう。本音を言えば、ここに留まって畑の世話をすることや、王国と関係を築くことに、もどかしさを感じてもいる」


 梅里が淡々と語る。その口ぶりに、どれだけの感情が潜んでいるのかはうかがい知れない。


「俺は、一刻も早く元の世界へ帰りたい。それが本音だ。……だからと言ってそのために、みんなを蔑ろにするような、自分勝手な真似もしたくない。だからこれが最善だと思って、今までやってきた」


 梅里は自分の手をじっと眺めて、顔を上げる。


「姫口は、様子からして天杉の意図を知らされてはいなかった。戻ってきた途端に今の立場に置かれた。……紅峰」


「えっ、な、何かしら?」


「姫口と七海は、天杉と違って、まだ守るべき全員の中に入っているのか?」


 その問いかけの意味を、紅峰はすぐに察する。梅里が聞いているのは、紅峰の最初の誓い、即ち「全員を生きて無事に帰す」ことだ。


「……ああ、そうね。確かに私はそこを曲げたつもりはないわ」


「紅峰!」


 桂木が咎めるように叫んだ。

 紅峰の誓いは、成果を得ているとは言い難い。だが至らなかった物や足りなかった物があったとしても、その目標へ向けて邁進することを怠るつもりはない。


「桂木さんの言うことも分かる。でもそもそも根本の問題、天杉進也はここからいなくなった。そうである以上、彼に起因する事態は、姫口さんと七海さんが探索に飛び出すくらいしか発生しない」


「事態の詳細に関しては放置なわけ?」


「天杉に話を聞けないのだから、後はもう納得のためにしか調べられないでしょう。そしてその納得は、彼自身の残した行動と悪評でどうとでも言い繕える。他の生徒たちにはそれで十分だし、桂木さんはそれでもわざわざ調べる?」


 紅峰は桂木の合理性を踏まえて問いかけた。

 不機嫌さを増しながら、桂木は紅峰へ問い返す。


「……あんな奴のためにまた時間を使うのがもったいない。そう言わせたいのかい?」


「ええ、そうよ。もう無関係だもの、この学校と彼は」


 告げた途端、熊崎が若干目を瞠った。

 紅峰自身、冷淡な物言いを好んでいるわけではない。だからと言って、自分から出て行った人間をかばうほどお人好しでもない。


「……ならこうしよう。あたしは姫口に関しちゃ納得はいってない。もし梅里が連れていくってんなら、あたしも向こうに行かせてもらうよ」


「えっ、ちょ、ちょっと本気?」


 予想外の言葉に、さしもの紅峰も動揺する。

 眼前では梅里が鷹揚に頷いている。


「こちらは構わない。当然の対処だ」


「だとさ。いいね、女王様?」


「あー、うーん……仕方ないか」


 正直なところ、桂木に抜けられるのは紅峰にとって痛手だ。近頃は、本音を交えて話せる相談役になりつつあった。

 だが姫口の状態が気になるのも確かだ。これから傭兵として立ち回る以上、あまりに気落ちしたままだと、周囲はもちろん、なにより姫口本人が危険な目に遭う。目付け役は多い方がいい。


「さすがに班全員ではついてかないから安心してよ。何人かは紅峰に預けるから」


「それはありがたいわ。……リーダーと同じで癖がありそうだけどね」


「余計なお世話よ」


 肩をすくめる桂木に微笑しつつ、紅峰は話を続ける。


「あとは取引品目の整理と、向こうから派遣される人員のリスト。……その内、こっちの普通の生徒も行き来できるようにしないといけないわね」


「あたしらが護衛に付けば今でも行けそうだけど」


「まあカメーリアさんたちがここに来られたくらいだからね。それでも向こうの都合も無しに送るわけにもいかないし」


「あとはあれ。熊崎と護に関しては、何か対策取ったら?」


「……え? 何ですか?」


 急に話題を振られた二人がそろってきょとんとする。


「君たちの能力、この世界の人にどれだけ革命もたらすか分からないのよ。特に護くん。うっかり誘拐されたり、祭り上げられたりしたらマズい」


「そんな大げさな」


 自覚に乏しいのか、熊崎が手を振って否定し、護もそれに同意する。


「あるのよ、そういう事態は。『うちでも使ってください』なんて、善意に付け込んだ要求が来たら基本危険信号よ。絶対断ること」


「は、はあ……」


「あんまりよく分からないんですけど。何で親切にすることがダメなんですか?」


 素直に過ぎる熊崎の言葉に、紅峰と桂木は渋い顔をして答える。


「「とにかくやるな」」


「ええ……?」


「……要求がエスカレートしかねないのよ、そういうのは。よそでは軽々しくやらないこと」


「そもそも能力がバレない方がありがたいんだけどね」


「さすがに隠しながらの生活は無理よ。……最初にノアさんたちが来た時に、そういう考えの人がいなくて助かったわよ、ホント」


「あの神官のおっさんはあえて黙っててくれたんだろうね」


「そうね。本気で頭が上がらないわ」


 宗教的に利用する、されるという事態は避けたい。カメーリアの言に偽りはなかった。無論この先、否応でもクロム教と接触する機会は来るのだろうが、まだ取り込まれていない立場である点は大きいだろう。

 ひと通りの話が終わったところで、各々が解散する。


「あ、熊崎くん。ちょっと書類整理手伝ってくれる?」


「はい、構いませんけど」


 紅峰が言うと、熊崎はあっさり承諾した。

 桂木は紅峰を目線でちらりとうかがい、意図を察したのか、何も言わずに他の二人と出て行った。


「悪いわね、急に手伝わせて」


「いえ……」


 若干戸惑った様子の熊崎へ、紅峰はズバリと切り込む。


「熊崎くんは天杉の件、まだ気にしているのかしら」


「それはっ……その……」


 指摘された途端、熊崎はうろたえる。腹芸の出来ない彼は、こうしたやり取りですぐに考えを表に出してしまう。


「あれはもう終わったことよ。私たちにできることはした。それがあの結果だった。割り切りなさい」


「……確かにどうしようもなかったと思います。でも俺は――」


「熊崎くん。私は、今の責任者としての立場がある。もしもこの先、天杉と再会するようなことがあれば、私は彼を敵として捉える。何故なら彼は、守るべき対象に危害を加えたのだから」


 紅峰はすっと真剣な眼差しを熊崎へ向ける。


「あなたももし同じように再会するとしたら、どうするのか。それを決めておきなさい。敵とみなすか、それとも今回のように蚊帳の外にいるか。半端な迷いは周囲を傷つけるわ。どうしてもこだわるなら、せめて何もしないという選択でもいいから、意志をはっきりさせておきなさい」


 紅峰が告げると熊崎は下を向いて沈黙した。

 少し責めるような言い方になり過ぎたかと紅峰は反省する。だが実力にしろ人望にしろ、熊崎は生徒たちの筆頭だ。いつまでも落ち込んでいてもらっては困る。


「……俺は、まだ全然分からないままです。天杉が何を考えていたのかも、自分がどうしたいのかも」


「……そう」


「でも」


 熊崎が顔を上げる。そこには紅峰に勝るとも劣らぬ真剣な表情が刻み込まれていた。


「もし同じことになったら、今度は止めてみせます。あいつが身勝手や理不尽を撒き散らすなら、俺はそれから周りの人を守ってみせる」


 倒す、ではなく止める、というのがいかにも熊崎らしい発想だった。

 紅峰はこの純朴なお人好しに微笑を返した。


「ええ、期待しているわ」

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