転移直後3
階段を上がった先では、例の怪物が背を向けて立っていた。
怪物は両腕を天井へ向けてかざしている。その手の先には、胴をつかまれ今にも握り潰されそうな男子生徒がいた。
「助けて! 助けてっ!」
男子生徒は自由な両腕で抵抗しているが、怪物は全く痛痒を覚えた様子はない。身体が淡く発光し始め筋肉が隆起する。
進也は疾駆し、背後から怪物の右肩を一閃、付け根から腕を斬り飛ばす。
「あっ!?」
男子生徒が情けない声を上げてずり落ちそうになるが、まだ残った左手につかまれたままだ。怪物がこちらを振り向こうとするが、それよりも先に剣を翻し、喉元へと突き刺す。そして伝熱。一瞬にして怪物の顔面が沸騰し、眼窩が弾け、焼き尽くされる。
「ひっ、いでっ!?」
怪物が絶命し、男子生徒が床に落ちた。例によって怪物の身体の発光が剣に吸収される。
進也は男子生徒の手を確認するが、当然剣は持っていない。使えない方、と冷徹に考えつつ、声をかける。
「他は?」
「え、へ?」
「まだいんだろ。生きてる奴が。どこだ」
進也は怪物のことを尋ねているつもりだが、男子生徒は他の生徒のことと勘違いして、教室の方を指差す。
「大丈夫!?」
遅れて梨子たちが進也の元へ追いつく。へたり込む男子生徒へ七海が真っ先に声をかけた。男子生徒は震えながらもかろうじて頷いた。
「そいつは後だ。中にまだいる」
言って、進也は教室のドアを蹴り開けた。見える範囲に敵は確認できず、剣を構えてさっと飛び込む。
教室全体を見回すが、怪物はいない。散乱しているのは血塗れの生徒たちと机ばかりで、死角になるようなものもない。
「いねーじゃねーか」
愚痴るように零すと、七海たちも男子生徒を伴って教室へ入ってくる。
「……可哀想に」
死体を眺めながら悲愴に七海が呟く。
「言ってる場合か。おい、怪物はどこだよ」
進也は男子生徒を問い質した。
「ええ? し、知らないよ」
「知らねえってなんだコラ」
「進也、やめなって。まだ混乱してるんだからさ」
「アンタ、何考えてるの? 生きてる人がいたんだからまず喜びなさいよ」
「け、怪我はないですか?」
「あ、う、うん。少しつかまれたとこが痛いくらいで……」
男子生徒は脇腹をさする。怪物が発光し始めたばかりだったため、運よく怪力を発揮し切る前に逃れたのだろう。
「しかしなんかすごいね、進也の剣は。火が出るの、それ?」
「知らん」
「知らんって……いいのそれで?」
「使えるんだから問題ない」
「まあそうだけど。ボクたちの剣にもそういうの、あるのかな?」
「さあな。詳しく調べてる暇はねえ。つうか、気を付けろよ。学校の中なんざ、
大して広い所がねえんだ。考えなしに剣振り回すと突っかかって死ぬぞ」
「真っ先に突っ込んでるアンタが言う?」
「俺は慣れてるからいいんだよ」
「実際、人数が増えると同士討ちが怖いね。間合いには注意しようか」
七海と鹿沼は頷くと、男子生徒を自分たちと同じ真ん中へ入れる。
「う……」
どこかから呻き声が聞こえた。
「今の」
「生きてる奴がいんのか?」
「だ、だからさっき……!」
男子生徒の言葉で進也は自分の勘違いに気付いた。おもむろに倒れている生徒たちのそばに近づき、生死を確かめていく。そしてその中に友人の姿を見つけ、進也は思わず叫ぶ。
「……恭二!?」
「……え、恭二くん?」
進也は慌てて具合を確かめる。シャツを裂いて仰向けに寝かせ、怪我の箇所を看る。怪物の拳を受けたのか、身体の数か所にへこみができており、明らかにダメージが深い。特に胸部がひどい。
「知り合い、なの?」
「進也の友達だよ」
「!」
鹿沼が息を呑んでいた。梨子と七海も、沈鬱な表情で恭二のことを見ている。
「おい、おいしっかりしろ、恭二」
顔を軽く叩いて呼びかける。何度も名を呼んでいると、意識が戻ったのか、目が開いた。ぼんやりとした表情で進也を見てくる。
「しん、や……?」
「おう。生きてたか。お互い悪運があるな」
「……は、そうか、生きて……うっ!」
げほげほと恭二が咳き込む。血痰交じりの唾液が口から零れた。
「おい、大丈夫か。しっかりしろよ」
「……あ、助かったのか、お前……」
恭二は男子生徒の方を見る。男子生徒は慌てて何度もうなずく。
「はいっ、はいっ! この人たちに――」
「……そっ……ったな」
ひゅうひゅうとか細い呼吸で恭二は言う。それ以上聞かなくとも、恭二が男子生徒をかばったことは察せられた。
「おい、もうしゃべるな。とにかく連れてく」
進也が肩を貸そうとすると、恭二は首を振った。
「い……も、無……だ」
「何言ってんだバカ。いいから行くぞ。お前まだ大会も残ってんだろうが。こんなところで死んでる場合か」
「は……、いつ……文句……って、くせに……あつ、とか、下手、て、っ!」
「しゃべるなっつってんだろ」
進也は自分のシャツを脱いで裂き、傷への当て布として使う。だが重篤なのは内臓の方だ。ここでこの程度の処置を施したところで保つはずがない。
「早く運びましょう」
七海も回り込んで恭二の足を持つ。
「そうだな」
同意し、進也は脇を持とうとする。だが。
「うあああっ」
「!」
「っ」
途端、恭二が苦しげに喚いた。骨がどこかに刺さっているのか、恭二は暴れる。その痛ましげな様子に、進也たちは慌てて床に下ろす。
「……いい、置いてけ」
「るせえっ! くそっ、何かねえのか……薬……いや、そうだ、剣は?」
剣を手にした後、瀕死の進也の身体は治癒されていた。ならばと自分の剣を恭二に持たせてみるが、何も起きない。どころか、主以外の手に触れたことで抗議のようなうなりを剣が発する。
(俺の時は治っただろうが!)
何か条件が違うのか、それとも剣の持ち主にしか効果が無いのか。
「おい、お前らの剣も貸せ」
進也は三人の方を見る。どれかひとつでも治療ができる能力があるなら、恭二は助けられる。
「そんな都合よく」
「いいから試せ! やらねえよりマシだ!」
「……わかった」
恭二の足先にいる七海が剣をかざす。ぎゅっと力を込めて、祈るように剣へ意志を送り込む。
反応があった。風が起きた。空気が通り過ぎ、その場にいる全員の頬をなでた。だがそれだけだ。恭二の傷に対する影響は見られず、服の端や髪をなびかせて終わった。
「私のじゃ無理みたい……」
「交代しよう」
続けて梨子が剣をかざす。同じように力を込めて剣の能力を発動させるが、こちらも治癒の能力ではなかった。
「うわ、なんだこれ」
梨子は自分の身体を驚いた様子で眺める。服や体の輪郭が、まるでクラゲのようにゆらゆらと曖昧になっている。
「光か何かかな……? でもボクも外れか」
「次だ!」
「は、はい……!」
半ば自棄になって進也は叫ぶ。相変わらずおぼつかない足取りで鹿沼が近付いて剣をかざす。果たして、反応はあった。
恭二の身体が淡い光に包まれ、わずかに血色が良くなる。呼吸は細いままだが、虚ろだった目に焦点が戻る。
「やった! いいぞ!」
思わず鹿沼を褒める。鹿沼は照れ臭そうにしながら剣をかざし続ける。一瞬、全員が緊張の糸を緩める。しかし状態が改善したわけではなかった。
「っ、なんで……!?」
持ち直したはずの血色がまた悪くなる。いよいよ恭二の意識は混濁し始め、こちらの呼びかけにも応答しなくなる。
(っ、違う、この光は……!)
気が付いた。これは怪物の発光と同じものだ。怪物たちはあの光を放つと共に、自らの筋力を爆発的に向上させていた。つまりこれは治っているのではなく――
「お、お願い、治って! 治って!」
鹿沼が必死に懇願するが、意味はない。身体を強化し一時的に持ち直したのであって、瀕死の人間を治すような効果はないのだ。
「くそっ、恭二、しっかりしろ!」
「皐月、頑張って……!」
「恭二くん!」
「せ、先輩!」
七海が、梨子が、進也が、男子生徒が各々励まし続けるが、命の火が消えていくのを止められない。
震えて涙をこぼす鹿沼の剣から光が失われる。おそらく集中が途切れたためか。恭二の身体からも光が消え、ついに力尽きる。
「……がと」
微かに零れた呟き。そして恭二は事切れた。
この場にいる全員を打ちのめすのに十分な出来事だった。誰も彼もが震え、悲しみに嘆く。
医療の知識を誰かが持っているなら、無理やり切開して処置を施せたかもしれない。だが不幸にも、そこまでの知恵も工夫も、ここにいる者たちにはありはしなかった。
「ご、ごめ、んなさ、わた、し」
責任を感じているのか、鹿沼がぐしゃぐしゃに泣き崩れ、謝ってくる。
しかし――そんなことはもはや進也にはどうでもよかった。
だあんっ! と床を思い切り踏み鳴らし、進也は立ち上がる。進也以外の全員がびくりと震え、押し黙る。
進也は傲然と歩を進め教室を出る。
「進也! ――熱っ!?」
梨子の声が響く。だが歩みは止まらない。打ち捨てられた無残な屍を通り過ぎて、獲物を求める。